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第八幕 日ノ出ズル東ノ国
くさび
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旅は続く、砂の大海原、大砂原とでも呼べばよいのだろうか。ラクダに乗ってリズの頭を撫でながら幹人は問いかける。
「そういえばあの子、リリの友だちのナリッシュさんが認めた子なんだよね? ……良かったの?」
リリは特に表情を変えることもなく答えた。
「ああ、それはナリッシュと私の考えは違うから。友だちでも違うことまで無理に認めることはないわ」
そう語られては返す言葉も何もあったものではない。無理に認めてしまえば過ちの是正も出来ない上に互いの依存や正しさが分からなくなること、価値観の紛失などが起こり得るだろう。
仲が良くても『これはこれ、それはそれ』といった考え方は持ち続ける付き合いだったそうだ。
そうした話を聞き届けて幹人は安心のため息をついて安息に浸っていた。
「たまにあんまり良くない付き合いの友だちとかいるからさ」
そこから続けられる言葉は当然のものだった。
「よかった、リリがハッキリと善悪分けて価値観を持ってる人で」
そう、静嬉のあの言葉は静嬉のもの、リリの意見はあれと異見で、幹人の暗い気持ちは収まりつつあった。
しかし完全に消え去ったわけでもなく、ずっとずっとくっついて離れない、いつまでも付きまとうそれは、幹人の中で形のある疑問を産んだ。
――違うのは良かったけど、リリの価値観ってなんだろ
静嬉へ与えた言動、あの時の態度を思い返したところでそれは褒められたものではないのだということを確かめる。静嬉は静嬉、リリはリリ。そうあるように幹人は幹人、ここでも価値観の違いは当然のように起こるものだった。
大好きな人の心から奏でられた差別的な言葉や態度、その事実は現実に出てしまった時点で覆すことの叶わないものだった。
受け止めて考えて、幹人はどうするべきなのか、見いだすことが出来ない。
幹人は今、人との関わり方に大層深い悩みの底で頭を抱えて這い上がることが出来ないでいた。
人の想いなど知る由もなくラクダは進み続ける。お構いなし、それもまたラクダの考え方なのだろうか。考えても仕方のないところにまで思考の手を伸ばし、答えの芽が開かないところに行ってしまう、そんな深みに嵌り続けるという思春期の罠に足がかかってしまっていた。
「リズはどう考えてるの?」
突然訊ねられてもリズには人の言葉を話す術など持ち合わせてはいなかった。人の言葉を解することは出来る魔獣、リズが取った行動と言えば柔らかな毛で覆われた短い手で悩みにふけ続ける頭を撫でることのみだった。
「リズ……ホンットに優しいんだね」
幹人は悩まされていた。静嬉というこれまで触れてきた女の中でも最も苦手に位置する人物が知らぬ間に打ち込んだくさびに悩まされていた。それは恐ろしい程までに強く打ち突けられていて、感情の動きと共に傷口をどこまでも広がり続けて共に溶け出す厄介な代物だった。
リリは幹人の曇り気味の表情を見逃してはいなかったものの、触れることが出来ないでいた。この年頃の悩みは想像以上に難しい。自身がかつて同じように抱いたはずの難しい悩みを忘れてしまっても尚それだけは覚えていた。
ラクダを寄せるわけにも行かず、ただ遠くで見守るように、出来るだけ心だけは近くで。そう思うは良いがそこもまた近寄ることを許してはくれなかった。
――これが、私と幹人の距離なのかしら
ラクダに乗っていては近寄ることの出来ない身体の距離、思春期相手に近寄ることの出来ない心の距離、それがとても切なく思えてそんな想いが止まらなくて。
砂漠を進んでどれだけの時間が経っただろうか。辺りはすっかり暗闇に閉ざされてしまっていて、砂もサボテンも見えなくなっていた。
見えない姿は距離すら測らせてもらえない。
――どこにいるの?
――近く?
――ねえ
――幹人、ねえ
妙に陰の濃い寂しさに感情を見る目を浸されて、闇に身も心も侵されて。蔓延る闇はあまりにも強くて、リリは闇一色に染め上げられていた。静寂は心地よいが視方によっては苦しみを直接映し込む姿なき鏡となって人々の心をも蝕んで行く。悲しさは溢れて、リリは離れたくないあの子の名前を呼んだ。
「幹人!」
それからどれだけの間が空いただろう。見えない闇は時間感覚を狂わせて、リリの歩む人生の一瞬や微量の時を幾重にも重ねて増長させる。一秒や二秒が十秒にも感じられた。
どれだけ待ったのか、分かることもないままに長く想えた数秒を経て気の抜けた返事が差し出された。
「なに? どうしたのリリ」
そこにいる、その場に、近くに。今すぐにでも触れたい、そんな衝動を抑えながら言葉だけを振り絞る。
「暗くて何も見えないわ、幹人の顔も体も」
心も、最後の本音を仕舞っておいて、幹人の返事を待つ。ただ話すだけでも随分と気がほぐれるものだった。
「俺の事、そんなに見たいの?」
「ええ、ずっと見てたいね」
これはリリと幹人の旅、ラクダの貸出人がついて来ていてもふたりの旅。そんな中で蚊帳の外の認識に置かれたラクダの貸出人が遂にかけたかった声を上げた。
「暗いしそろそろ止まるぞ」
そこからの過ごし方、貸出人が布を引いて簡易テントを組み立て始めた。そこで寝るのだという。静寂の中、ふたりはどうにか身を寄せ合うことが、寂しさを埋めることが叶ったのだった。
「そういえばあの子、リリの友だちのナリッシュさんが認めた子なんだよね? ……良かったの?」
リリは特に表情を変えることもなく答えた。
「ああ、それはナリッシュと私の考えは違うから。友だちでも違うことまで無理に認めることはないわ」
そう語られては返す言葉も何もあったものではない。無理に認めてしまえば過ちの是正も出来ない上に互いの依存や正しさが分からなくなること、価値観の紛失などが起こり得るだろう。
仲が良くても『これはこれ、それはそれ』といった考え方は持ち続ける付き合いだったそうだ。
そうした話を聞き届けて幹人は安心のため息をついて安息に浸っていた。
「たまにあんまり良くない付き合いの友だちとかいるからさ」
そこから続けられる言葉は当然のものだった。
「よかった、リリがハッキリと善悪分けて価値観を持ってる人で」
そう、静嬉のあの言葉は静嬉のもの、リリの意見はあれと異見で、幹人の暗い気持ちは収まりつつあった。
しかし完全に消え去ったわけでもなく、ずっとずっとくっついて離れない、いつまでも付きまとうそれは、幹人の中で形のある疑問を産んだ。
――違うのは良かったけど、リリの価値観ってなんだろ
静嬉へ与えた言動、あの時の態度を思い返したところでそれは褒められたものではないのだということを確かめる。静嬉は静嬉、リリはリリ。そうあるように幹人は幹人、ここでも価値観の違いは当然のように起こるものだった。
大好きな人の心から奏でられた差別的な言葉や態度、その事実は現実に出てしまった時点で覆すことの叶わないものだった。
受け止めて考えて、幹人はどうするべきなのか、見いだすことが出来ない。
幹人は今、人との関わり方に大層深い悩みの底で頭を抱えて這い上がることが出来ないでいた。
人の想いなど知る由もなくラクダは進み続ける。お構いなし、それもまたラクダの考え方なのだろうか。考えても仕方のないところにまで思考の手を伸ばし、答えの芽が開かないところに行ってしまう、そんな深みに嵌り続けるという思春期の罠に足がかかってしまっていた。
「リズはどう考えてるの?」
突然訊ねられてもリズには人の言葉を話す術など持ち合わせてはいなかった。人の言葉を解することは出来る魔獣、リズが取った行動と言えば柔らかな毛で覆われた短い手で悩みにふけ続ける頭を撫でることのみだった。
「リズ……ホンットに優しいんだね」
幹人は悩まされていた。静嬉というこれまで触れてきた女の中でも最も苦手に位置する人物が知らぬ間に打ち込んだくさびに悩まされていた。それは恐ろしい程までに強く打ち突けられていて、感情の動きと共に傷口をどこまでも広がり続けて共に溶け出す厄介な代物だった。
リリは幹人の曇り気味の表情を見逃してはいなかったものの、触れることが出来ないでいた。この年頃の悩みは想像以上に難しい。自身がかつて同じように抱いたはずの難しい悩みを忘れてしまっても尚それだけは覚えていた。
ラクダを寄せるわけにも行かず、ただ遠くで見守るように、出来るだけ心だけは近くで。そう思うは良いがそこもまた近寄ることを許してはくれなかった。
――これが、私と幹人の距離なのかしら
ラクダに乗っていては近寄ることの出来ない身体の距離、思春期相手に近寄ることの出来ない心の距離、それがとても切なく思えてそんな想いが止まらなくて。
砂漠を進んでどれだけの時間が経っただろうか。辺りはすっかり暗闇に閉ざされてしまっていて、砂もサボテンも見えなくなっていた。
見えない姿は距離すら測らせてもらえない。
――どこにいるの?
――近く?
――ねえ
――幹人、ねえ
妙に陰の濃い寂しさに感情を見る目を浸されて、闇に身も心も侵されて。蔓延る闇はあまりにも強くて、リリは闇一色に染め上げられていた。静寂は心地よいが視方によっては苦しみを直接映し込む姿なき鏡となって人々の心をも蝕んで行く。悲しさは溢れて、リリは離れたくないあの子の名前を呼んだ。
「幹人!」
それからどれだけの間が空いただろう。見えない闇は時間感覚を狂わせて、リリの歩む人生の一瞬や微量の時を幾重にも重ねて増長させる。一秒や二秒が十秒にも感じられた。
どれだけ待ったのか、分かることもないままに長く想えた数秒を経て気の抜けた返事が差し出された。
「なに? どうしたのリリ」
そこにいる、その場に、近くに。今すぐにでも触れたい、そんな衝動を抑えながら言葉だけを振り絞る。
「暗くて何も見えないわ、幹人の顔も体も」
心も、最後の本音を仕舞っておいて、幹人の返事を待つ。ただ話すだけでも随分と気がほぐれるものだった。
「俺の事、そんなに見たいの?」
「ええ、ずっと見てたいね」
これはリリと幹人の旅、ラクダの貸出人がついて来ていてもふたりの旅。そんな中で蚊帳の外の認識に置かれたラクダの貸出人が遂にかけたかった声を上げた。
「暗いしそろそろ止まるぞ」
そこからの過ごし方、貸出人が布を引いて簡易テントを組み立て始めた。そこで寝るのだという。静寂の中、ふたりはどうにか身を寄せ合うことが、寂しさを埋めることが叶ったのだった。
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