異世界風聞録

焼魚圭

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第七幕 更に待つ再会

訊いて

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 きっと幹人が元々いた世界で創り上げられたであろう美しき思い出はしっかりと流され幹人の心を晴れ空に変えて行った。アナの応援、あの明るい声が成した本人からの言葉こそが心の霧を悉く消し去って行った。

「全く……ありがとう」

 異界に渡って来てから長らくの間盗賊として生きていた少女が最後に奪って行ったものは埃っぽい陰の想いだった。

「奪ってったものがアナらしいよ、流石明るさの権化」

 きっと元の世界では元の人格で、暗い瑠菜として生きて行くのだろう。しかしそれでもアナが死んだというわけではなかった。
 希望に、明るい心情に、美しきうつつの空に想いを馳せている幹人の隣でリリは身体を倒してしまった。見るからに意識を失っていて、起き上がりそうもない。次の日の仕事ではパートナーが欠けた事とそのわけの説明から始まるそうだ。本来の業務外のことが緊急的に業務内、この業務入りは幹人としては少し大きめの負担を背負うことになる。

「でも、『アナ』の応援があった、だから……やれる」

 やれる、絶対にやれる、絶対にやる。こなして見せる。繰り返し折りたたみ重ねる言葉は想いを強く濃く仕立て上げて行って、密度と温度が恐ろしい程に高いやる気へと昇華されて行った。
 運命という先の見通せない広い海を渡る際、意志は非常に大切なものだった。それひとつ落としてしまっただけで出来が変わってくることは言うまでもない。意志の強さが結果に結びつかないことはあれども意志無き行動が結果を邪悪の穴に叩き落すことはありすぎて。
 感情などなくても仕事を人並み以上にこなせる程幹人は大人ではなかった。
 倒れたリリを寝かせて、海産物と輸入野菜で彩られた料理たちを頬張って眠り、日が昇れば仕事をこなして陽が沈めば食事だけを済ませて眠りを引き寄せる。こうした生活はたったの二日、それだけの継続だったにも拘らず幹人には永遠の地獄を切り抜けたような疲労感があった。気が付けばリリのことを考えていて、ふとした時にリリを想っていて。それでもリリのためという理由を持ったやる気だけは三人前も心に盛られているがために無駄に空回りをしてしまっていた。寒さは海の向こうで暴れ狂っているのだろうか、ここではたったひとりの熱気が個人の内をはしゃぎまわっていた。
 そうして過ぎ去って行った二日間の後に待ち受けていたふたりの目覚め。
 静嬉の目が先に開いて、身体を起こして大きな伸びと欠伸をし、目の端に溜まった涙を右の人差し指で掬って払って人知れず幹人の心を惑わせていた。

「ううん……幹人くん? ホンモノだよね? キミが」

 意味を量りかねて首を傾げて訊ね返す。それに対する返答は笑顔と明るい声で送り届けられた。

「先輩だよ先輩さん。私たちの先輩。セ・ン・パ・イ」
「どの先輩かな、もしかして俺の事幹くんって呼んでなかった?」

 首を微かに傾けてこの世の優しさを凝縮したような微笑みを向けて空に透ける明るさを言葉に変えて響かせていた。

「そうそう、懐かしいよね、オトナっぽくて惚れちゃって、毎日会うのが楽しみだったんだよね」

 女の子同士、叶うはずもない恋心。その先輩は幹人と静嬉ふたりに永遠の愛を誓って欲しかったようだがそれもまた、叶うはずもない絵空事、先輩の妄想でしかないのだということだった。

「俺にはもう一生を共にしたい魔女がいるから紹介したいな」
「いいね、羨ましい、私も彼女欲しい」

 静嬉の返事に幹人は目を見開いて大きな声を出していた。

「女の子……だよね?」

 顔も声も体つきも心も、何もかもが少女そのもので、幹人の頭の中を混乱が絶え間なく走り続けていた。

「女の子同士、ダメかな?」

 その価値観は幹人にとっては新しすぎて、入り込んでこなかった。あまりにも普通過ぎる頭の中では同じ性別の恋愛事情など理解を示すことも出来なくて幹人の中で反発の思考が蔓延っていた。
 加えてリリのこれまでの行動を思い返して疑問が次から次へと湧いて頭を埋め尽くしていた。
――もしかして、リリは本気でアナに惚れてたんじゃないか?
――まさかそうなのかな
 黙り込み、考えて、答えは出せなくて。

――女の子の価値観……分からないよ

 不明という名の亡霊に憑りつかれて理解不能という名の混沌にかき混ぜられる。分からない解らない判らないワカラナイわからない。
 考えても訊いても見つめてもどうしようもない、彼の感性ではどのような見方をしてもどのように考えても永遠という時を全て捧げてひとりの男という小宇宙を広げてみても縮めてみても決して知ることの出来ない心は永遠に覆い隠されたカーテンのよう。様々な女が同行し続けるこの旅の中で築いてきた関係の裏側の感情の全てを疑って、総ての心の色を見失っていた。
 幹人は思う。

  俺の色、俺自身の色彩は……薄緑一色なんだな

 理解の及ばない者が突然恐ろしく感じられた。どこまでも広がる澄んだ薄緑、景色に透ける純粋な薄緑は空にかける薄いベールのような儚い存在。
――東の国で、切り離そう。どこまで仲良くなっても……多分近付けないから
 元の世界に帰れば離れ離れ、一度付き合ってその後はさよならからの赤の他人、切り裂いて引き離した関係となるのならば、想いの形はそれでいい。
 幹人がこの関りで得たほろ苦い現実はこれからの在り方をも動かしてしまうような気がしていた。
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