異世界風聞録

焼魚圭

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第六幕 再会まで

強制送還

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 船は激しい波に叩かれ揺らされ今にも壊れてしまいそうな様を見せていた。
 真昼はティーカップから零れ落ちる赤くて熱い液を眺めてため息をつく。

「乗り心地、というより天候か……気性の荒い海だこと」

 それから幾度かの夜を寝て起きて出された食事を平らげて過ごしたそうだが、始終暗闇雲空に覆われていて時間すら把握が許されない。

「霧に覆われし眠らぬ国には確か時計があったようだけど」

 見渡して、部屋を出て、歩き回って。そういった類のものの存在はものの見事に否定されてしまった。どうやら荒波航海の前提で造られた船のため、精密な仕掛けで動く時計という文明は初めから持ち込まれていないのだそうだ。

「そこらに船員いないのかしら、彼らなら時間分かるかな」

 その望みは、すぐさま途絶えた。通りかかった船員の話によれば太陽の上がりも分からず、時計も高価な上にこの荒波の中ではすぐに時間がズレてしまうのだそうだ。
 それは残念―― それから部屋に戻って紅茶の残りがひとりでに半分以下まで減っているのを目にして大きなため息をついた。

「娯楽もない、ここになにがあるという」

 なにもない、それは沈黙と状況が示していた。どうしようもなくただ眠り、食事を頬張るだけの日々、それを乗り切った頃には真昼は既に必要以上の疲れを感じていた。
 暗雲が立ち込める薄暗い土地、雷鳴がそれなりの頻度で降り注ぐその大地を歩きながら、魔力の奔流を確かめる。この世の掃き溜めのような臭いと肌に触れて弾ける刺々しくて禍々しい魔力が空気中を支配していた。遠くの所々に綺麗な空気の層が見えるのは邪悪の中に潜む清浄だろうか。濁った空気を吸いながら苦い貌をして言葉を洩らす。

「どうにも魔力を持った何かが多く潜んでるようだ」

 人の声はこの土地では異音なのだろうか、真昼の独り言が大地に降り立った途端、地を砕いて突き出て来た鉄製のハリネズミが襲いかかってくる。

「出たな、悪魔」

 追っていた人物とは全く異なる存在を前にして真昼は手帳を開いた。幾何学模様の描かれたページを開いて放り投げる。力学、世界の法則に従って打ち上げられた手帳は薄水色の輝きを放ちながら空に円を、内に幾何学模様を描いた。そしてそこから降り注いだ二振りの透き通った氷の剣を真昼はその手で握りしめてハリネズミの腹を裂いて頭を踏みつけ跳躍した。跳んで宙へと空へと。未だに地につかず、ようやく落ちようとし始めた手帳を咥えて重力に身を任せ落ちて行く。
 地にて待ち、苦しみの声を上げるハリネズミと再び近距離の出会いを果たし、剣を交差するように振るった。
 斬撃の軌跡、薄水色の冷たい線が標的の頭を裂いて割って、その命をこの世界から捨て去るに至った。剣を地に突き立てて手帳をスーツのポケットにそっと仕舞い込んで辺りを見回した。

「まだいるかも知れない」

 そこには既に、カエルのような化け物が立っていた。更に真昼の言葉を待っていたと言わんばかりに海は割れて八本の黒い触手、吸盤が並んだ足を目にした。視線をよそへと移すとそこに生えている草が鎌の形となりて襲いかかってきた。
 ここは悪魔の住む国、『悪魔見つめし自由国』と呼ばれる地域。
 荒れ地にはバッタの脚を取り付けた蛇が大量にひしめいていた。

「全て相手にしてたら……もたない」

 狙いはただ一人、その男を元の世界に強制送還するためだけにここまで来た。

「これ以上世界を荒らすのは許せない」

 そうした言葉に反応しての出来事だろうか、空から粘度の塊と呼べるほどに粘々とした黒い液体が降ってきた。粘りの中から現れるのは漆黒の人類、凶悪犯を思わせる顔をしていた。海からはエビの脚と尻尾をしたサバが上がってくる。
 真昼が一歩踏み出しその地を踏み鳴らすと共に岩と土で作り上げられた大蛇が首元に咲く紅いバラを揺らしながら湧き出て真昼を見下ろし睨みつけていた。

「靴の音にまで。こうなれば……突き抜けるのみ」

 地に突き立てた剣を引き抜き二刀流の構えで駆け抜け始めた。立ち塞がる黒を薙ぎ払い、蛇を踏みつけて跳ねあがり、ポケットから手帳を取り出し片手で指定のページを見つけて開き、魔法を放つ。薄水色に輝く手帳は魔法陣を顕現させ、真昼を真っ直ぐ導く氷の橋を出現させて空に架けた。
 ただひたすら走るのみ、真昼にはある程度の目星がついていた。
――標的が人なら、人の声や靴の音が異物なら、進むには悪魔の相手をし続ける必要がある
 大軍を相手にする大物の姿があれば、大きな能力の奔流があればそこにいるに違いない、そう踏んだ。
 橋にまで攻め入る大蛇を引き裂いて、断末魔の悲鳴の如く悲痛な声で延々と鳴き叫び続ける腐り果てたカラスを切り伏せながら駆け抜けた先、そこに見えた魔物の大群。少女を護りながら戦う少年の姿が目に入った。

「いた」

 思っていたよりも進んでいなかった紘大の元へと冷気を贈る。途端、身の回りの魔物たちは降り注ぐつららの雨に貫かれて跡形もなく消え失せて行った。

「ほら、魔力の隙間のきれいな空気のある空間に行くよ」
「言われなくても分かってら」

 一日や二日ではない、もっともっと長い時間を過ごしてきた彼らならばある程度のことは分かっているのだろう。そんな短い会話から移る行動はとても早かった。三人揃って清浄なる空気を求めて、それ以外の何事も考えることなく一直線に駆け出していた。
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