異世界風聞録

焼魚圭

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第六幕 再会まで

本の正体

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 夕暮れは建物をおどろおどろしい雰囲気で派手に飾っていた。幹人はその風景に心を奪われ立ち尽くしていた。

「夕焼け、空を焼く茜の炎みたい。幹人の目にはどう映ってる?」

 歩く辞書の好奇心は人の心というものにまで向いてしまったのだろうか。幹人は綺麗に微笑んで見せてから答える。

「俺には……そうだね、図書館を覆う朱く透けるカーテン、かな」

 歩く辞書は語る。 ――茜の向こうに入る白とわずかに残る青をも焼くような色、あなたの考えとは違う。人によって見て来た文字も読める文字も違って、それがある、そう気が付くか気が付かないか。あの本を読めるか、違うか、それも人次第で。だから、違った人、読める人に会いたい
 そうした本音から、どのような熱を受け取ることが出来ただろう。底に張り付く冷たい冷気のような炎なのか、どこまでも真っ直ぐな燃え盛るものなのか、空を焼くような透き通る炎なのか。情熱の形も様々で、目の前、すぐそばに見えているはずの少女の心すら見えていなかった。一方でその少女は頭に形を叩き込むほどに覚えている本、すぐ身近にあるはずの物の意味すら見えていなかった。
 互いにため息をついて、言葉を交わし合う。

「一旦図書館に戻ろっか」
「そうね」

 少し正面へと歩くだけですぐさま目の前。立派な建物、きっとここも例に漏れず国が運営する図書館なのだろう。中へと入り、奥へ奥へ、様々な本を、人々を素通りして歩く辞書は人通りの少ない棚へと潜って行く。時たま目に入る利用者を横目に歩く辞書はぼやく。

「こんな遅くに人が多い。妙ね」
「勉強熱心でいいね」
「そう……だったらいいね」

 人々が何かを調べたり勉強する静かで冷たくはあれども熱い姿勢を保つさまを横目に、陰に潜むように離されたこの棚。歩く辞書は指を向けてゆっくりと進む。

「ここ、カテゴリーの外側の世界、誰も読めない、読める人が少ない、悪しき文化や思想を植え付ける、まさに隣国の信仰みたいな本。そんなものたちを集めたところ」

 臭い物に蓋をする、そうした考えは国も時代も通り越してどこにでも通用するもののようだった。そこから歩く辞書は二冊の本を取り出してテーブルにて隣り合って座る。女の子の肉付きの良い身体、整い過ぎているわけでもなく自然にあるように成ったぽっちゃりとした優しさを感じさせる姿。小さくも柔らかく可愛らしい年頃の少女がすぐ近く、今にも触れてしまいそうなところで居座っている。幹人の冷静は奪われ、不埒な熱にのぼせ上りかけていた。

「この本、それにしても今日はたくさんしゃべった」

 そこから更に続けられた言葉が幹人の頭に強大な熱を与える。

「こんなに一緒にいた人、久しぶり」

 幹人は繋ぐ言葉も見つけられないままただ黙り込むことしか出来なかった。
 歩く辞書は本を開き、得体の知れない文字を見せていた。

「これがその本の文字。私が読めない文字」

 この文字使う地域なら私は文盲ね。そう付け加え、幹人の心にひとつの事実を刻み込んだ。
――俺は結構な地域で読み書きできないけど?
 そうして歩く辞書の知識の海の端で溺れかけて、胸が苦しく更に熱くなっていた。

「全てのページに同じ文字のクセ、というより法則性かな。それがあるの、よく見たら」

 熱く燻る想い、それはきっと誰にも届かない、そんな気がしていた。

「接続詞かな、ほら、この文字列と文字列の間。全く同じところに同じ文字の並び。それあるの」

 熱は大きく強く主張を続け、黒々とした薄い何かが視界を覆い始めていた。まさに不快なカーテン。熱のあまり出てきた汗を拭って幹人はひとり呟いた。

「やけに暑いね」
「あら、奇遇。私もおんなじ」

 見渡す限り人という存在は排除されており、棚の角や床、本から突き抜けるように迸る赤い靄のような脅威と漆黒の闇が迫っていた。

「か、火事だ」

 図書館炎上、どうして気が付かなかったのだろう、避けられなかったそれ、静かだった館内でこのような事態になっていたことなど気が付かないまま手遅れという状況に片手を突っ込んでいた。

「ああ……私の人生が」

 涙をこぼし、大人しい声で嘆く姿を目にしつつ、幹人は歩く辞書の手を引いた。
 手元にあるのは読むことも出来ない二冊のみ。それだけを持って図書館から慌てて駆け抜け外へ救いの場へと出て行った。

「私の……私の生きる意味が」

 歩く辞書の口から零れ落ちる言葉の数々からは普段の知識が抜け落ちていた。余裕のない時に出て来ることもない語彙は、想いの大部分と共に内側で燻り続けていた。
 歩く辞書の声はそんな想いの表層を痛々しく奏で散らしていた。

「嫌だ……嫌だよ」

 外へと出たそこで見た光景はゆっくりと立ち去る利用者たち。それぞれに笑っていた。さぞかし愉快といった様子で嗤っていた。

「お前ら! 何笑ってんだよ!」

 幹人の突き刺すような声に反応を示したのか、一瞬だけ身体を震わせて振り向いて、闇に覆われた言の葉を散らした。

「生きていたのか、お前を殺すために燃やしたのに」

 幹人は怒りに身を任せて訊ねた。

「なんで俺を殺そうとするんだ」
「仲間をやられたからな、盗賊としてのやり返しだ」

 悪者を成敗した結果、相手が更に悪事を働く。あまりにも馬鹿馬鹿しい状況に怒りの炎はより一層激しく燃え上がり、気が付けば相手の元へと肉薄し、風を放っていた。
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