異世界風聞録

焼魚圭

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第六幕 再会まで

お昼

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 救われた時には冷え切りすぎて実感も湧かない程に心が押し込められた身体、凍り付いたそれを思わせる状態も充分に温まって溶けていて、少しずつ余裕も帰って来ていた。
 デイドリームと名乗る女は幹人に淡々と告げていた事実を整理してみたところ、幹人がこの世界に来たことなどただの偶然でしかなかった。そんな偶然であれども、初めに出会ったあの魔女からはかけがえのない運命を感じ取っていた。
 幹人は眠気が襲って来るのにも関わらず体を起こして立ち上がり、ふらつく脚で歩き出そうとしていた。

「どこに行くつもり?」
「リリを……仲間を助けに」

 すぐさま返しては見せたものの、相手は納得の表情を浮かべることもなくひとつの問いが帰ってきた。

「どうして? 今からあなたは元の世界に帰るのに」
「帰りません、まだ……やり残してることがあるので」

 そうした言葉にどれだけの想いが詰まっているのだろうか。どれだけ想いが大きかったところで正しさには決して敵わないのだと思い知らされるのだった。

「そう。なにをする気か知らないけど、ここで出会った仲間との時間は永遠でないの。いつか……終わりが来る」

 これがデイドリームの言いたいことなのだろうか。眠気に襲われる頭に入れるには面倒な説教のような言葉は続けられた。

「その時あなたは当たり前のようにその手を離すことができるかしら」

 終りだなんて―― 幹人の心の中を得体の知れない不安が雲となって覆い尽くしていた。

「分かりません。でも」
「でも?」

 幹人の想いはどこまでもどこまでも、果てしなくリリ色に染め上げられていて、別れなど考えることが出来なかった。

「だからこそ、仲間との時間を大切に」
「浅い!」

 幹人の瞳をしっかりと覗き込み、女は言葉を遮った。

「あなたのその声から出るその言葉、あまりにも浅いわ」

 完全に否定したのだろうか。瞳に眠気と苛立ちを募らせる幹人に更なる言葉を、表の感情によって霞がかけられた奥に潜みし本音の雰囲気をつかみ取った女の言葉が鋭く突き刺さった。

「本音なら……そんなに浅く感じさせないわ、他のことを考えているでしょう?」

 リリをどうにかして日本に連れ込もうとしていること、それだけは決して悟らせないように懸命に包み隠していた。女は灯りを消して幹人の頬を優しく撫でながら、言葉を紡ぎ続けた。

「今のところは訊かないであげる。どのようなことをするのか知らないけど、世界の均衡を崩すことなら……絶対に止めるから」

 夜闇の中、静寂の中、小さな灯りも既に消されていて言葉だけで伝えられたからこそ、声に溶け込んだ強い感情が幹人に心地の悪い味を感じさせた。
――この人は、絶対に敵だ
 悟らせないように、これ以上言葉を与えないように振る舞っていた。眠気も一段と強くなってきて下手すれば本音の一部を覗かせたちまち暴かれてしまうだろう。しかし、目の前の闇に溶けた不可視の女は言葉を返さなければならないような言葉、質問を与えて来た。

「世界の均衡、私がここに来たもうひとつの目的はそれを保つこと。天使は見かけなかったかしら」
「ええ、天使のようにかわいい子なら何人でも」

 リリから始まりアナにマーガレット、ヘレン、そしてミーナ。可愛らしさの天使は大量に転がっていた。

「そういうことじゃあない、正真正銘の天使さ。あれは世界を破滅に陥れようとしている」

 なんで天使が―― 訊ねようとするものの、幹人の身体は強烈な眠気を訴えていた。
 声に混じる眠気を視たのだろうか、女は幹人の元を離れ、ひとつの提案を出した。

「真剣な話ばかりで退屈だったでしょう。川流れの後だもの、今はゆっくりとお休み」

 平気です、すぐ行きます―― そう口にしようとするものの、身体は恐ろしく正直なようで、意識はみるみる内に闇の中へと落ちて行った。闇は人々の意識までをも暗闇の中に消してしまうのだろうか。女は暗闇を見つめて、何となく程度の言葉をこぼす。

「暗いのはイヤだね、早く昼が来ないかしら」

 何を言ったところでこの星は時間は誰に対しても特別扱いすることなくただひたすら自身の習慣を続けるだけ。
 女はため息をついて、毛布を被って寝息を立て始めた。


  ☆


 幹人の瞳にまで光が届いて来た頃には日差しは上から下へと直接降り注いでいた。昼間、太陽から注がれる光の雨に感謝を込めて、ひとり呟いた。

「おはよう」
「おそよう」

 ただなんとなく言った言葉に返事が来て幹人は心底驚いていた。

「んん? おそようってなんだよ」

 おはようにしては遅い時間だからね、などと返されるも納得が行かなかったようですぐさま幹人の指摘が入っていた。

「それならこんにちはでいいんじゃないか」
「こんばんは」
「飛ばすなよ」

 やる気のなさそうな表情を浮かべる女は着替えを渡しつつタバコの空箱を指でつまんで揺らして言った。

「タバコ、持ってないかしら?」
「俺思いっきし未成年なんだけど」

 そこからこの世界のタバコはマズいだの、及第点の銘柄も次買った時には美味しかったり線香代わりにしかならなかったり、などと法律的には生真面目な高校生には全く理解の及ばない話を続けられていた。
 どれだけそうした話を続けただろうか。女は満足した笑みを浮かべて話を切り替えた。

「じゃあ、大切な人を探そうか、あなたが満足するまではこの世界にいればいいわ」

 時空の穴は閉じないから安心して。それだけ伝えてテントやその他の道具を片付けて真昼は歩き始めた。
 恐ろしいまでの重さに対する苦しみの欠片も感じさせない五十代の若作り女性の力に幹人はただただ呆然として立ち尽くす。

「早く来て、じゃなきゃ私に置いてかれるよ」

 迷うのだけは御免、そう言って幹人はついて行くだけだった。
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