異世界風聞録

焼魚圭

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第四幕 異種族の人さらい

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 景色はブレながら流れ続けて後ろへと過ぎ去って行く、まるで時間と同じ。突き進む人々の内のひとりが叫びを上げていた。

「ドラゴンーーもうやめにしてくれ!!」

 明らかで当然の感情だった。幹人も叫びたくてうずうずしていた。勘弁してくれよ。そのひと言は宙を舞うこともないまま。
 竜は勢いよく走り、口を開いて三人を見続けていた。開かれた口からは大きな息遣いが隠すことなく漏れ出ていて、よだれもあふれるように垂れていた。

「絶対食う気だろコイツ!」

 正解、リリはついつい言葉をこぼしてしまっていた。箒を握り、気を込め力を込め、竜に向かって放り込む。途端に破裂する箒、木々は散り散りに竜の動きを止めようと絡みつく。しかし竜には竜の都合がある。何があろうともお構いなしに木々を弾き振り払い、邪魔者を蹴散らして動く生きて走る活きのいい餌を追って駆け続ける。

「いやだいやだいやだ殺さないで!!」

 アナのはち切れそうな叫びは悲痛でありどこまでも真っ直ぐな本音。死んでしまったらもうおしまい、分かりやすい話だった。
 息は上がり、これ以上はもたない、そう行った時、竜の動きは急に鈍った。木にぶつかり傾けるような音を耳にしてリリは振り返る。幹人は目を見開いて口を開いていた。

「いったいなにが……」

 その答えはすぐさま示しだされた。鎧を身に纏った人々が竜を取り囲み、鋭い輝きを持つ紐を引いていた。
――あれは
 頭は考える前に答えをはじき出した。竜狩りの騎士、行動から分かり切った話だった。騎士たちは竜の動きを止めたまま立っていた。
 そこにひとりの女が数人の騎士を引き連れて現れた。その女は非常にメリハリのあるこの世で最も男を誘惑するに長けた身体にオトナらしい顔をして、タバコを吸っていた。

「アイツ、嫌い」

 リリはぼそりと闇の一端を感じさせる言葉を吐き捨てていた。言葉にすらならない闇はきっとリリの中を渦巻き続けて嫌悪の感情をかき乱し暴れさせていることだろう。それは本人にすら抑えることも出来ない恐ろしきもの、勝手に湧いては勝手に強まってそれが更に相手の存在を強く刻み付けてはより鮮明に強烈に成り果てて。
 簡単には抑えられない感情を吐きださせないためにも幹人はリリの手を強く握りながら言ってのけた。

「大丈夫、リリ姉はあの人と話さなくていいから」

 女は竜を指して、美しき口から凛とした響きの良い声で命令を奏でていた。

「やれ、それの命を終わらせろ」

 騎士たちは激しい動きで竜へと突っ込む。待ってましたと言わんばかりに気合いに満ち溢れていた。オンナの声には血の気の多い男たちを漢に変える不思議な魅力を秘めていた。
――この変態どもめ
 幹人は呆れた目でしか見ることが出来ないでいた。騎士たちはいったいあのオンナ相手に如何なる幻想を夢見ているのだろうか。見たところでふわりとほどける儚く穢れた幻想。穢れはひとりのオンナめがけて勢いよく飛ばされているのだろう、オンナはそれに気が付かぬまま。
 竜の悲鳴が響き、地を揺らす。咆哮は草木をも激しく叩いて止まらない。広がり続ける衝動は幹人たちの意識までをも引き付ける。恐怖に魅了されるということを覚えてしまったのだという。この一瞬で旅の三人は異形への恐怖という意識を叩き込まれて擦り込み塗り込まれていた。それに対して平然とした態度で戦う男たち。彼らの姿勢にやられるその経過を見つめて、やがて恐怖心は薄れて行った。

「カッコいいねイケメンじゃないかいモテモテにならないのかい?」

 全くもって思ってもいないその言葉、軽く開かれた口から出た魂宿らぬ言葉は一種の尊敬すら感じさせるほどのものだった。

「ははっ、思ってもねえくせに」
「仕方ないよ、リリ姉はカッコいいものよりカワイイ派」

 可愛さ美しさ綺麗さ、内面に秘められた醜さ恐ろしさ、それら以外の森羅万象何もかも、全て総て必要ない、それがリリというひとりの人間に入れ込まれた価値観。しかし、目の前の美女は嫌いなのだと強く言い放ち、名も知れぬ憎悪を織り込んで嫌悪感を重ね重ねに厚い層を築き上げていた。
 その様に目を向けつつも受け入れる他ない幹人、彼もまたあの女は苦手な雰囲気だと心の底に刻み付けられていた。
 オンナはタバコを取り出しライターを用いて火を点けていた。一度、再び、みたび。フリントを回し顔をしかめる。火は踊りだすことなく苛立ちを注ぎ込む。オンナはそれから幾度か弾くように回してようやく火を点けることが出来た。
 上がる煙は害の象徴、幹人ではそう語られていた。

「ヘレン隊長、戻りました」

 男の鼻の下を伸ばしたイヤらしい顔つきと犬のような態度に臆することなくヘレンと呼ばれたオンナは答えた。

「ご苦労、進もう」

 そう言いつつ幹人立ちに目を向ける。

「あら、旅行者ね、ついていらっしゃい。方角から目的地は分かっているわ」

 途中の獣混じりの国までは案内してくれるのだという。そうしてついて行く際、ヘレンから過去について語られていた。

「タバコ、昔は大嫌いだったのよ」

 それはある竜狩りが常に吸っていたものなのだという。真面目なカップルと仲の良い喫煙者の見るからに緩い男。そんな奇妙な組み合わせはよく目立ち、ヘレンもまたその組み合わせにどこか惹かれていた。その顔触れは明らかに普通の男女カップル、そこまで見て思った。
――勝手にしてなさい、冴えない人たち
 目立ちすぎて竜に食われるなよ、などとからかいの言葉が飛んでいる中、最後に男の顔を見たヘレンの中に明るい花が咲いていた。
――待って、イケメンいるじゃない
 タバコを咥えた茶髪の男、いったいどのような人物なのだろうか。気になって眼に映って離せなくて話したくて。膨れ上がる気持ちは身体を破って出てきてしまいそう。
 口を開くまで、時は殆ど溶かすことなかった。ぶじに進められた会話によって新しい関係が築き上げられていた。
 冴えないカップルの内の女は名もよく覚えていないものの、男の方はジェロードと名乗っており、おぞましい香りを漂わせる男はイアンという名を持つらしい。
 タバコの匂いは鼻を突いて嫌悪感を与えにかかるものの、この竜狩り騎士育成所においては貴重な顔をしていた。
 それからしばらくの時、匂いに耐えて時と共に嫌悪感は絶えてこれからいい関係になろうと行った時のこと。それはちょうど竜狩り実習初日のことだった。ジェロードが行方不明となってしまった。辺りを見渡してもいるのは残りの仲間と木々だけで。彼女とイアンはジェロードの名を叫ぼうとして思い留まった。もしもひとり欠けた状態で竜に聞かれて遭遇してしまったら。人員が揃っていたとしても確実に勝てるとは限らないこの状況に包まれながら、探すことなど出来るのだろうか。竜の攻撃を躱すなどといった選択肢を奪い去る重い鎧を身に着けたまま逃げることなど可能なのだろうか。答えなど探すまでもなく目に見えていた。ふたりは泣く泣く諦めて竜狩り終了を迎えたのだった。
 それからどれほどか、それほどでもないだろうか。あの女は規律違反で除名処分を下された。竜狩り騎士の間で恋愛関係が結ばれていて片割れがいなくなってしまえば無断で森へと入って探して規律違反。よくある話だった。

「そう、おバカな女ね」

 生きるために仕事を探した人物が仕事の中で色に浮かれて命綱の仕事を喪う。実に愚かなことだった。
 誰がいなくなろうとも関係などない、生きるために必要なことを崩す必要などない。イアンがいなくなっても変わることなどない。

 そう思っていた。

 イアンと共に他の部隊の足しとなってこれまでよりも多い人数、増えた身代わり人形。そう語り笑っていたヘレンだったが、またしても別れの時が訪れてしまったのだった。
 森で竜を三頭ほど倒した時のこと。無事に業務終了の時刻を迎えて帰り始めていた時のことだった。
 森を抜け出そう、都へと戻ろうかといったその時、突如として悲劇の調を奏でる存在が後ろから大きな響きと揺れを担いで現れた。
 竜が後ろから迫りくる。進めばきっと竜が都へと侵入するであろう。人の創りし法など何ひとつ理解することなく構うこともなく。故に、逃げるわけには行かないのだと気合いを入れて立ち向かい、そして、イアンは命を喪った。立派な殉職、実に名誉なこと。
――殺されて名誉だなんて……殺されなければただの金喰い虫だなんて
 納得できるはずもない。国を護るために戦っているにも関わらず初めから死を期待されている。英雄たちの背中に向けて石を投げ、死を願う。そんな人々が許せるはずもなかった。

 大切な人だったのだと死なせるまで気が付かなかった自身のことが許せなかった。

 大きな怒りを抱えつつ、イアンの遺品を整理していた。捨てられる前に拾い上げるべき思い出の品、彼の好むものは少なかったのだろうか。整頓前であるにも関わらず、あまりにも物が少なすぎた。出て来るものはと言えば国から支給される羽ペンと使われてもいないのに既にボロボロの紙と竜狩りに必要な備品。あまりにも生きた心地のしない、足跡すら残されていないようにすら感じられる部屋の中、タバコとライターが隠されていることに気がついた。

 常にイアンが持ち歩いていた品、その予備といったところだろう。

――オイルは入ってるのかしら
 見当たらず、探り探ってついに見つけたそれを手にして部屋へと持ち帰る。布を垂らすことでドアの代わり。レンガの寮にドアなど付けられていなかった。ひとり籠ってライターに油を注ぐ。立派な金属の塊はきっとそこそこ値が張るものだろう。
 幾度かフリントを回して火を点けて、舞い上がる煙を目を細めて見つめる。昇り消え行く煙はイアンとの思い出のよう。それを咥えて息を吸って、即座に咳き込みタバコを口から離して煙に目を細めた。

「マズいわ、なにこれ」

 どうしてこんなものを吸ってるの―― 咳と苦い言葉しか出てこないその中で、もう吸わないことを決意した。
 それから次の日のことだった。

 気が付けば、タバコに再び手を伸ばしていたのだった。まるでいなくなったあの人が見ていた味わいを共有するように。
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