異世界風聞録

焼魚圭

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第三幕 竜の少女を信仰する国

メイア

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 風魔法を使った命の救いは不可視の柔らかクッション。支えられて助けられたアナは驚きの柔らかさの上に立ち、満天快晴元気満開の笑顔で辺りを照らして歩き出す。初めての歩き心地に笑いながら船へと近づいて、乗り込んでは幹人を撫でつけて頑張って小さな手を伸ばし続けるリズを手に取り撫でつける。リズに与えられた行ないはリズを喜ばせるには至らなかったのだろうか。一瞬大きく震えて幹人の肩へと走り渡り首に寄りかかる。

「カワイイけど……なんて反応だ毛玉ちゃん」

 呆れた表情に充ちた目を向けてボソッと不満をこぼす、そんなアナを強い感触が襲う。しっかりと後ろから抱き締めて言葉まで奪い去るリリの姿を見ることは叶わず。代わりに幹人からの嫉妬の目を受けていた。

「なあなあリリさんアンタのせいでアタシが恨まれるんだけど」

 ごめんなさいね、後ろから聞こえる声に安心して腕が離れることを確認してようやく命の危機から解放されたような心地を得ていた。
 続いてリリは上空で苦しむ竜に目を向け届かぬ声を向けた。

「さあて、そこの竜の瞳に輝きを授けるとしようかしら」

 言葉と共にカイコガのメイアが向けられて、跳んで木へと乗り移り、登り始めた。それを目にしてくつろぐことをやめてリズも続く。薄っすらと輝く木の向こうで苦しみ暴れる竜へと向かって木の頂上へと駆けて、やがてはたどり着き、メイアの羽からキラキラと輝く鱗粉が空へと撒かれる。暗闇の中に散らばる輝きは小さな星のよう。リズは耳を激しく振って強力な風を起こして鱗粉を飛ばした。それは輝きながら竜の瞳を彩るべく忍び込み。
 その瞬間、竜は悲痛に歪んだ叫び声を上げた。
 首を振り回し、痛みにいつまでも叫んで飛んで、闇の向こうへと飛び去ってしまった。

「この戦いももうお仕舞い」

 どこへと仕舞われるのだろう、広がる無限の闇のどこかへと。ようやく訪れた平穏の中、アナは少年の方へと戻り、収穫をバケツへと突っ込んで撤収することとなった。
 船の上ではリズとメイアがひたすらすり合ってやがては一緒に眠り始めた。気ままな異種族たちに静かな微笑みを贈る。

「眠ったみたいだね」
「ああ、とても可愛いね」

 和やかな暖か空気に覆われた優しさを乗せた船が進む一方、もう片方はあまりにも騒がしかった。

「あのカッコよさ、勇敢な行動に惚れました!」
「で?」
「付き合ってください!」

 いやだぞ、そう返した途端、少年の語彙力は「お願いします」と「付き合ってください」のふたつだけに成り果てて、想いを吐きだすゾンビのような何かに成り果てたのだという。
 ただただ怨念を手にして船を漕ぎ続けるだけの存在はもはや命のない抜け殻のよう。それほどまでにこの大失恋が脅威だった。思考を壊すほどの恐ろしさを持ったそれを抱えて少年は哀れなさまをしていた。

「おいおい元気出せって」

 それはもはや追いこみ、追い込まれた少年はますます落ち込んでしまうだけだった。しばらく流れた沈黙は明らかに少年の絶望の色。ゆっくりと進む船はふたりを運んで岸へと着いて、この時の役目を終えたのだった。

「待っててくれよ、オヤジに報告する」

 なにを報告しようというのだろう。船の貸し出しが目的なためにやはり船の状態だろうか。それから少しの間を置いて中年もまた同乗者を連れて帰ってきた。

「よしよし、無事に帰ってこれた」

 竜を引き揚げてからの放流を経ての現状。これは奇跡のような生存だった。

「みんなありが」
「オヤジーーー」

 中年の言葉を遮るは少年の叫び。そこから少年は船の中で作り上げた作り話を披露していた。船から突き落とそうとする残虐な女だの殴りつけられて仕事は結局全て少年に押し付けられたなど、耳を疑うような話ばかり。リリも幹人もあきれ返っていた。

「せめてもっと上手な嘘をついたらどうかな」

 やり手になれたら楽しいよ、そう付け加えてリリは少年の言葉の一言一句、なにもかもを否定して見せた。少年は叫び返す。

「そういって俺をだまらせるんだろ! お前らが船を借りたいから都合の悪いことは全部嘘だっていうんだろ?」

 大きく息を吸って、嘘にまみれた心からの叫びを続けていた。

「最悪だなおまえら。都合よすぎるぜ。現実を受けとめろよ。俺がこんなにも頑張って本当のこと言ってるのにな」

 この大噓つきめ! 最後の叫びはあまりにも悲痛でありながらあまりにも滑稽。リリも幹人も、流石に見通せていた。

「やれやれ、嘘をつくには全員の性格を把握して噛み砕かなきゃ」

 考えが甘い、リリの瞳は訴えていた。中年はただただ困惑してきょろきょろとそこに立つ人々を眺め続けていた。

「いいかい? ある時ある研究者がいたのだけどその人は自分のことしか考えないで嫌われて」

 それでもまだまだ己の過ちに気が付かないで。リリの声によって聞かされた物語に幹人はこの前いた王都でのことを思い出していた。そう、自分勝手は嫌われる。挙句の果てに成り果てた嘘つきは更に嫌われる。あの男はあまりにも浅い人物であまりにも同情の余地を残さなかった。

「キミはね、そうした言葉で自らを滅ぼした男と同じ道を辿ろうとしてるんだ」

 改心、反省を促される少年、当然のことをいかなる心持ちで受け止めたのだろう。うつむいて貌の端すらも影の内に覆い隠して、誰にも見せることはなかった。
 そんな少年の心の動きなど知らないとばかりに時間も出来事も進んでゆく。中年からの許可を無事に頂戴して、船を借りることに成功した三人は代わるがわる仮眠を取りつつマーガレットたちの到着を待つだけだった。
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