異世界風聞録

焼魚圭

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第三幕 竜の少女を信仰する国

帰り

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 急いで箒に跨って上空へと飛び上がる。アナを先に岸へと向かわせ続いて幹人を乗せに戻ってきて。ふたり空中へと飛び込み潜り込み、すっかりと太陽が昇って明るい青に顔色を変えた溌剌な海を見下ろして。幹人は使い続けていた魔法を解いて島を産みの中へと沈みこませる。海の蓋は島など初めからなかったかのように覆い隠してしまった。
 偉大な海を上から見下ろし幹人は目を輝かせていた。
――きれいな海
 キラキラと輝く青い宝石のような美しさを誇るそれはどこまでも広がっているように思えた。リリもまた見惚れていた。

「きれいだね、あれが地上よりもはるかに多くの命を美しく収める宝石箱、なんだね」

 これに口は挟むまい、決して深海のエイリアンが隠されているだなんて情緒を壊すことなど言ってはならない。口を押えることに必死になっていた。

「どうしたのかい? 箒酔い?」

 それはイケナイ、そう続けて岸へと向かって飛んで降り立って。そこではアナが不服を隠すことなく顔に表して待っていた。

「見たかった」

 アナがぽつりとこぼした言葉を耳にして疑問符を浮かべ首を傾げる。ふたりして不思議なものを見るような目をしていた。

「アタシも海、一緒に見たかった」

 リリは海を見つめ、空を見上げる。きっとそういうことだと勝手に納得して話を進める。

「ごめんよ、流石に私は疲れた。後でアカモウオの塩漬け燻製あげるから許して」

 向けられた言葉はアナにどのような反応を与えただろう。頬を膨らませていかにもな心を表していた。

「そうかい、それはまあ仕方ないね」

 時間が解決してくれるか、そうこぼしつつもアナの顔を見つめ続けていると申し訳のない気持ちがわいてくる。しかし明日を待つのだろうか、目的が叶うことなどないと知っていてもなおこの場にとどまり続ける意味を考えていたが答えは空白を示していた。ただの観光で来ているわけではないのだから。

「とにかくさ、真実を伝えに行こう。助けたい人がいるんだろう」

 全くもって間違いはなかった。しかし、それだけでは満足できない少女もいた。黙り込んでただただそこにいるだけの抜け殻にため息交じりの言葉で命を吹き込んだ。

「仕方ないね、それなら明日に向けて船を借りるとしようか」

 海と漁港があるのなら借りられるはず、箒は二人乗りが限界で幹人を引き離し過ぎると魔法が解けてしまうのなら、この方法しか残されてはいなかった。リリは残された雀の涙ほどの貨幣を数えながら歩き続ける。次の国辺りで働くことは確実だったが、もしかするとこの国での生活すら凌ぐ金が足りないのかも知れない。
 一旦あの授業風景を見に戻り、休み時間が来ると共に待ってましたと態度で示してマーガレットに訊ねる。

「船?」
「そうそう、船。真実は見つけたのだけどあの子の疑いを晴らすためにはみんなに見せたいねと思ってね」

 魔法の術者は近くにいなけりゃ、そう付け加え、情報を聞き出していた。

「うん、向こうの風車がいくつか刺さってるところに漁師さんがいるよ」

 礼を言って三人揃って風車が刺さっている場所を目指して進み始めた。

「リズは知ってる? 風で回る羽のついたものがあってね」

 幹人の知識にリズは目を輝かせて落ち着きなく幹人の頬をつついていた。笑いながら指で軽くつつき返して仲良しこよし。その様子を黙って見ているリリではなかった。
 メイアを呼び、リズの元へ。種族の異なるふたつの姿はじゃれ合いながらついてきていた。

「うわあ、リリって大人げねえな」
「大人げなくて結構、私だって恋するひとりの女の子なのさ」

 いつもより鋭い目は嫉妬の色をしていた。
――リリ姉ご機嫌斜め
 すこしばかりの困惑を抱く幹人だったが、思い返して表情を曇らせた。アナとリリが仲良く接していた時の幹人もこのような貌をしていたのだろうか。
 足を進めてついたそこには花が咲いていた。大量の小さな風車が咲いていた。みんなそれぞれ様々な向きで咲いて、風に吹かれて回っていた。

「これが風車か、何のためにそんなの置いてんだ?」

 アナの疑問にリリはすぐさま答えていた。船を出すにも風の向きを知ることは必要。その説明に頷いていた。納得は無事に形になっていたようだ。
 風車の花畑を抜けてたどり着いた家。そこにもまた一輪の風車が咲いていた。

「いやどんだけ風車置いてんだよ」

 アナの驚きの感想は隅に置いて、家のドアをノックする。しかし音も気配の動きもなくて本当にそこに人が住んでいるのだろうか、心配は大きくなっていった。

「まさか風車が住んでるわけじゃねえよな」

 あり得ない妄想だったが、そう思わせるほどの風車の数を見たばかりで連想を呼び起こしていた。

「風車が風車栽培を営む家、面白いかも知れないわね」
「リリ姉まで何言ってるんだよ」

 別になんでもないわ、涼しい顔をして答えていた。家に誰もいないのをいいことに冗談の砲撃連撃言いたい放題の祭りだった。どうやら待つことしかできないそうだ。漁師が帰ってくるのはいつなのだろう。帰って来てから船など貸してもらえるものなのだろうか。心配しかなくて、心配に浸かって、心配が溢れて。
 しかし、そんな瞬間すら幹人にとってはリリと一緒にいられる貴重な時間の中でのものだった。

「早く幹人を帰さないと親が心配してしまうというのに」

 リリの言葉から、珍しく真っ直ぐな熱い想いを感じていた。幹人は思う。リリの想いと決して交わることのできないものは今のところ仕舞っておくに限る。幹人の考えなどリリどころかこの世界に住まう人間の創造の範囲を超えたものであった。
――俺は探す
 この広い世界に隠されているかもしれなければそもそもあり得ないかもしれない異界への移動手段。その中でも幹人が考えることは実行に移すことができるかどうか、それすら知りえないわかりえない。
――リリ姉も、連れて行くんだ
 それでも目的の実現への道を探ってただただ真っ直ぐ、しかし悟られないように想いを向け続けて。
 太陽は当然のようにどこかへといつものように立ち去ろうとしていた。希望の光も消え去ろうとしていたその時、影が雲となって心を覆い尽くして絶望を雨のように降らせようとしたその時、笑い声と共に何者かが訪れた。傾いた太陽が世界に流し込む薄暗い茜の中、影を滲ませながら楽しそうにはしゃぐ恰幅の良い中年の男と大人びた風貌の中に少しばかりのあどけなさを残した少年のふたり組が歩いて来たのだった。
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