異世界風聞録

焼魚圭

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第三幕 竜の少女を信仰する国

真相

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 マーガレットの笑顔と「彼のためにも頑張ってね……私は頭が足りないから」といった言葉を受け取って歩みを進める。朝ごはんは蒸した豆を主食にキャベツと肉を煮込んだスープを啜るというもの。幹人にとっては未だ慣れないものであった。

「米がっ……食べたいっ」

 願望はリリの耳によって聞き入れられたのだろう。声のない軽い笑いを挟んで言葉を返す。

「おやおやホームシックかな? あの国と同じ呼び名の別の世界? そこでも米が主食なのね、寿司は美味しいのかしら?」

 生で食べるだなんて私には出来ないけれど、付け加えられたひと言にお国の違いを見せつけられた。
 違いに叩かれたような痛みを誤魔化しながら足を速めて突き進み、変わり映えのしない切り開かれた草地を歩き続け、抜けて進んで空へと飛び込む想いで駆けて。空がきれいになる前に海へとたどり着く。薄暗い空は濃い蒼で一面を塗りつぶして、海はまだまだ黒々とした深い藍を表に見せつけていた。青い草の匂いに混じってしっかりと強気に漂う汐の香りに心を打たれ、辺りを見渡す。

 特になにも見当たらない、広がり揺れる海の草原が広がるだけで、島など瞳には映らない。やはり嘘か見間違いだったのだろうか。
 幹人の思考の中で駆け巡る色彩を吐き出す。

「霧に覆われてるなら、漁船との見間違いか大きな生き物かな。クジラとか」
「いや疑うのかよ」

 アナの口から思わず叫びが上がっていた。しかし幹人の内から真に受け信じるという色は滲み出ることすらなかった。朝のスープのしょっぱさと優しい甘みへの反芻の方が出てきてしまうほどのものだった。
 雲ひとつない天に広がる濃い色をした薄い幕は晴れ晴れとした青空になるであろう。リリの瞳は気候を見つめていた。

「霧が条件で現れるのかも知れないなあ」

 想像の尾を引いて、ため息交じりの言葉がついつい続けて現れてしまった。

「だとしたら少し手間」

 しかし魔女の頭の中には特殊な条件だからこその希望もあった。
――もしかすると、幹人の故郷の世界の一部かも
 ふたりして黙り込み考え込んで。そうしている内にも時間は止まってなどくれはしない。溶ける時間を無駄にはできない、今日もまたあの子が信じてもらえなくて苦い汁を啜り続ける。アナは落ち着きもなく歩き回りながら草原を歩き回る。
 その目にたまたま映り込んだ違和感、リリの肩を叩いてそれを口にしてみた。

「なあなあ見てみろよ。あそこだけ色が違うぜ?」

 リリの顔は海を向いて、リリの貌は驚きを示して目が見開いていた。
 どこまでも広がる海の中、微かな明るい色が潜んでいた。

 風の強い日、早朝の海。

 リリの中でひとつの真実へと結び付けられて昇華された。指を向け、色の異なる部分を示して幹人に指示を送る。

「いいかい。今から飛んでそこに行くから風を思い切り放って」

 念のために持ってきていた箒に跨って幹人を後ろに乗せ、宙へと浮かび上がる。不安定な浮遊感はこの上なく不安を煽る。停滞や低速を意識した扱いはこれまでの急ぐ時とは違って扱いが難しいのだろう。心地の悪い飛行、緩いそれに乗せられ進んで海へと向かって。
 海はどこまでも穏やかに蠢いて、人々の心をどこまでも優しく揺さぶって。その想いの中に留まる波景色。微かな光を受けて青い身体に白いレースを加えてはためかせ続けていた。

「さて、そこに強い風を入れてあげるんだ」

 幹人は力を魔力を振り絞り引き絞り、風を生んで激しい音を産み。手を伸ばした先、異なる色彩を持った海へと強大な一撃を放った。
 波は砕けて散って、海が道を開けたそこに待っていた島の姿に目を見開く。

「ホントウにあったんだ、未知の島」

 引き潮と強風によって現れる島、朝に引き潮が来ているのならばその時に霧がかかって曖昧さを彩っていることもごくごくありふれたことのひとつであろう。

「ふふ、これじゃあ幹人の故郷に帰る手段とは関係はないみたいね」

 残念そうな貌をする彼女の顔が背中に掴まっている幹人にも容易に想像できた。
――そんなこと、俺は本当に望んでるのだろうか
 この前の決意は波のように揺れる。幹人の想い、それは実行が可能なのか、知らない分からない。リリを掴む手に思わず力が入ってしまっていた。

「ん? 少し痛いな、ほうら今から降りるから構えて」

 海を跳ね除けた島へ、風に覆われた島へ。幹人を降ろしてリリはアナを迎えに戻った。見渡す限りの海、砂と岩、引っかかった海藻の緑、寂しい色合いで作られた島の向こうに幹人は不自然な輝きを見た。
――なんだろう、あれ
 見たい、衝動が突っ張ってひたすらに誘惑を仕掛けてくる。それをひたすら抑え込んだ三十秒の後に掛けられた愛しい声に振り向いた。

「やあ、お待たせ」
「待たせたな、私が来た」

 ふたりが訪れた、そこで幹人は礼の輝きを指した。

「あっちが光ってるんだけど、なにあれ」

 リリが目を向けて、その存在への不明に襲われ首を捻る。

「さあ、確かめてみよう」
「おう、それがいいな」

 みんなの意見は当然のように合致して、ごくごく普通のことのように歩き出す。
 海が近づいて小さな島を飲み込もうと手を伸ばすも、魔法の手によって作り上げられた強風によって押しのけられて触れることすら叶わない。自然を超えた力に敵わない。一方で海の歌声は風の音をもかき消して美しい奏でを届けて続けていつもの通りになびかせて。弱々しい音ではそれには敵わない。混ざり合うことすら叶わない。
 歩み寄った先に待っていた景色はあまりにも異様だった。
 風によって不自然に阻まれ作られた水の壁からは波の音と汐の香りだけがこちらへと入り込んでいた。

「潮が満ちようとしてるみたいだね。あの輝きはいったい?」

 水の壁の断面、水族館を思わせる光景の底の方に見た輝き。それは金色に輝ききらめきその姿を誇示する海藻やクラゲ。

「おおっ、金のアカモウオだ!」

 アナはよほどあの塩漬け燻製が気に入っているのだろう。高貴に輝き優雅に泳ぐ魚に目を向けていた。リリは口を押えて軽く笑っていた。

「これじゃあアカモウオなんて呼べないものね、キンモウオ?」

 なんでもいいよ、キンキラフィッシュ。幹人の言葉で会話は途切れ、ようやく確認に入った。

「つまり消えて現れる島の真相は引き潮と強風で奇跡的に見える沈んだ島、そうだね」

 ここまでの出来事を見つめ返して異見を唱える者など誰一人としていなかった。
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