異世界風聞録

焼魚圭

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第三幕 竜の少女を信仰する国

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 これまで食べてきた元の世界でのごはんの美味しさなど忘れているのだろうか、この世界の雑なごはんが美味しく感じられていた。昨日は殆ど気にしていなかったラインナップに目を通す。エビ焼きと鮭のホワイトソース煮込み。魚料理が主なようだった。
 そんな中でも特に目を惹くものは竜肉とキャベツの炒め物。竜肉とキャベツにエビが混ぜられたそれに使われている調味料は炒めたエビから染み出た出汁と塩のふたつだけ。単純な味付けだが、調味料はあまり調達していないのだろうか。考えつつもひと口頬張って。
――美味しい、クセはあるけど
 竜肉、昔なら確実に酷評していただろう。口の中でボロボロに崩れる肉は噛む度に、崩れる度に独特な臭みが広がって絵も言えぬ感情を与えてくる。そう、どのようなメニューをもってしてもグルメ方向に関して恐ろしいほどまでに研ぎ澄まされた元の世界での料理には遠く及ばない。

「慣れって恐いね。寒気がする。今世紀最大の恐怖体験だ」
「ふふ、私とのじゃれ合いにも慣れてくれたら今世紀? 最大の歓喜体験を味わえると思うんだ」

 返す言葉、魔女の言い回しに心地よさを感じつつ即興で慣れ切って浸かり続けた粗末な美味に浸りながら食事を終えて。
 一度部屋に戻ってリリから大きめの麻袋を渡された。

「幹人が倒れてる間に買ったものだよ、外出用に使いなよ」

 紐が付いていて肩に掛けられるそれにリズの貯食の魔力クルミをいくつか、念のためにリリに教わった文字と日本文字訳を書き留めたノートを入れて肩にかけて背負う。
 ノートのことを想い、何とも言えない気持ちに溺れかけていた。かつて退屈な授業の内容を書き留めて、教師の話など耳にも入れずに流しながら描き留めていた落書きの数々。描けない人よりは上手いものの、それでもそこまでという感想が浮かび上がるような出来の絵、好きなマンガのキャラクターを描いた絵を最後に授業の内容は途切れてそこからリリと共に進んだ異界人生での文字の学びが書かれていた。
 なんだろう、どのような記号かな。リリはそう言ったものの幹人に言わせればリリの扱う文字の方がよほど記号と呼ぶに相応しい形をしていた。きっとそれは互いに思うこと、異界に限らず外国語など暗号の発音でその文字など暗号化された秘密文書でしかなかった。その秘密文書を読み解いたらただの挨拶なことすらあるのが世の中の真実なこともあるわけだが。
 世の中の偽りの難しさに対して陰のある想いを向けながらどうにか準備はできた。みんな揃い、足を揃え、歩き出す。リリと手をつないで歩く幹人、いつもならば幹人の肩の上にて丸まっているリズだったが今日はレンガの地面をとことこと可愛らしく歩いていた。カイコガのメイアと共に歩く姿、時たま飛び跳ねる仕草とメイアと触れ合っているところを見るからに昨日の森での時間は良い結果をもたらしたのだろう。その様子を見つめてふたりは微笑んで歩き続ける。

「おっ、アカモウオの塩漬け燻製ひとつ!」
「あいよ!」

 活気ある少女は吞気に食べ物を買っていた。幹人やリリが目を離すとすぐに離れてなにをしてしまうのか分からないとまで思われていて信用もなにもないアナ。盗賊だったのだから当然と言われれば返す言葉もない。そんな彼女の目は様々なものを捉えて内側で踊る興味を視てはいたものの、仲間のふたりを見失うことなど一度たりともありはしなかった。様子を探る目の器用なこと。盗賊だったのだから当然と言えば返される言葉もなかった。
 それからしばらく歩き続けてレンガの赤や茶色を抜けて進んで、広がる田畑は初めて見た光景であるにも関わらず良く知ったもの。

「やっぱ畑はどこも変わらないね」

 特に想いを乗せたわけでもなくただ軽く舞う言葉。それに対してリリは目を輝かせて見つめていた。立ち並び広がり必死に生きる農作物の立派な姿を見ていた。

「しっかり育っているみたいだね、日の当たり方と土の質に肥料……うん、カンペキ」

 植物系統の魔法を得意とする魔女なだけあって見つめる先は作物への関心と農家への感心と言ったところであろうか。

「いいかい、草や木、花。みんな生きてるんだ。笑って泣いて怒って……感情で味が変わってくるから……」

 リリの話す味が変わるということ、それはきっと温度や湿度、地質や水の量で変わるということだろう。まさに前時代的な無知が生み出したうわさ話のようなものだった。
――そっか、俺が住んでた時代って、確かに相当進んでたんだよな
 先進国のように大きな便利に包み込まれた文明でもない限りうわさ話で情報が伝わってしまうことなど当然であった。目の前の世界とは比べ物にならない程に文明が開いた昭和の時代ですら数々の迷信がひしめき合っていたのだから。
 観察は続けられる。しゃがみ込むリリの隣にて膝に手を着いて腰を曲げた格好で作物を見下ろす少女もまた、農作物に目を奪われていた。その目は明らかに美味しそうなものを求める目、食欲を訴えるような目をしていた。
――いやどれだけ食べたいんだよ
 そうして時は十五分ほど今を離れて過去へと向かって行ったのだという。
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