異世界風聞録

焼魚圭

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第三幕 竜の少女を信仰する国

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 王都での出来事、リリの眠りからの目覚め、それから本調子が戻ってくるまで待つこと四日間、街を歩いたり軽く言葉を交わし合うことで互いに好きな人と過ごして笑い合う日々に満ち足りた花を咲かせていた。
 かつての王都、晩秋の崩壊は王都をただの都へと変貌させていた。理不尽な徴税も消え去って、ふたりが都へと入ることが以前とは異なり非常に容易くなっていた。

「この前の苦労が嘘のようだね、幹人」

 リリの落ち着いた声はしっかりと聴いているだけで幹人はいつでも落ち着かないでいた。

「この都の本当の門の鍵は王だったんだね、なんて」

 全くだよ、あの傲慢の塊め。笑いながら口走っていた。
 都の門を抜けると歓声響く市場がお出迎え。活気あふれるそこで、ひとりの男が拍手を大量に浴びていた。あの男がこの都をどのように導くのだろうか。期待と不安に奏でられる変化の時期、幹人とリリはその果てを見つめることもなく去るために風聞を待つ他なかった。
 歩きながら、ふたりは焼き魚を頬張っていた。

「久しいね、こんなにも楽しいごはんは」

 リリのひと言に共感しながら歩き続けて言葉の続きを待っていた。少しの間を開けて、リリは再び言葉を向ける。

「こうやって一緒に食べることの楽しさを教えてくれたのはキミなんだよ」

 温かな想い、爽やかな風のような笑顔、どれもが幹人の心を惑わせてくる。いつまで経っても中々慣れないのは余裕のない日々が続いていたからだろうか。

「変なこと言わないで」

 幹人の言葉はすぐさま否定されていった。

「変なことじゃないさ、大切なこと」

 そうじゃなくて、そう返すものの、リリの奏でる言葉には敵わなかった。冗談でも変なことだなんて言わないで、なんて言葉に対抗しようなど、哀れな心は持ち合わせていなかった。


  ☆


 妙な気分で過ごした食事の最後。そこから足はいつも以上の速さで動き、海へとたどり着く。青い水の草原は揺らめいて、青をすぐさま思い起こさせる潮の香りはふたりにとっては慣れないものだった。頭の上で安らぎくつろぐリズと肩の上で白い毛を揺らすカイコガはそれぞれに大切な人に馴れていた。
 そんな様子を眺めつつも、海に浮かび地に繋がれ揺られる船の姿を目の当たりにした。リリは大事なことを今思い出したといった様子で幹人に声をかける。

「そういえば、そういえばなのだけど、国を越える時は人以外の生き物は申告しなければならないことがあるそうな」

 かつてなにも考えずに生き物を入れた結果、滅びた国があったといううわさ話を聞かされた。慣れない風土で生き物が持っていた菌が変質しただとか国を滅ぼすためにどこかの国が生き物に感染させて持ち込んだ、などと噂は飛び交い、結果として持ち込み禁止や検査が必要など、それぞれに対策を取ったのだという。幹人は完全に納得していた。
 その事実、そこから生まれる結果。当然ながらリリは一度指を鳴らしてカイコガをどこかへと消し去った。

「しばらくお休み、メイア」

 カイコガにメイアと名前を付けていたのだという。幹人には到底思いつかないような名前だった。リリは続けてリズにも戻るよう呼びかける。

「ほうら、リズもおいで、キミは幹人の帽子じゃないでしょう」

 鳴らした指の音に対しては耳を塞ぎ、差し出された手ははね除ける。言葉が分かることは既に知れていること、幹人はリズに声をかけた。

「リズ、お願いだから戻って、このままじゃ出発できないよ」

 そうした言葉もまた、リズを通り抜けて海にかき消されるだけ。頭を抱えるリリと頭を抱えられずに悩むだけな幹人。困り果てた結末。しばらくはお手上げ状態だと諦めかけていたが、リリは突然妖しく微笑んでひとつの案を示して見せた。

「仕方ないねえ、なら、これしかないかな」

 リリの考えに従って動き始めた。リズを頭に乗せたまま船へと向かい、石の床を歩き出す。向かう先、船員による検査、乗り切ることが出来る気がしなかった。
 そこに立って待つ船員にリリは銅貨を払い、目視の検査を受けて乗船の許可をいただいて。

「こちらの二名さまで満員であるぞ」

 船員の言葉に押されて訪れた幹人の番。リリから渡された銅貨を払おうとしたその時、船員の目つきは鋭く眩しく斬りにかかる。

「お客様、ペットの持ち込みは禁止ですぞ」

 待ってましたと言わんばかりに船と地を繋ぐ木の板に立っていたリリは振り返って船員に説明を始めた。

「それは生き物じゃないよ、私が彼のために縫ったカワイイぬいぐるみさ」

 カワイイだろう。と言葉を付け加えて訊ねる。船員は怪訝な顔を隠しもせずにリリの陰のある笑いの表情と少しばかり楽しそうな声を頭の中で繰り返す。

「信用ならぬな、確かにこのような生き物は見たこともありませんがなあ」

――流石に無理があるか
 幹人の想いは早くも諦め混じりの不純物と化していた。ふたりの心情などお構いなしに船員はリズを取り上げて両手で揉み始めた。

「んん、まるで本物のような感触だが、動きやしませんな」

――耐えてリズ、めっちゃ耐えて、我慢頑張って
 幹人は言葉にもできずにひたすら応援する。リズの目は今にもしかめてしまいそうで、耳も少しばかり不自然な揺れ方をしていた。
 揉んで揉んで揉んで揉んで、船員は強烈な笑顔をむき出しにして揉み続けて、検査という名目で柔らかな感触を楽しんでいた。
――しょっ、職務放棄だ! そうじゃなきゃ職権乱用!
 少しばかり長い検査、いつまでも終わる気配もなくて出港間際までの長期的な検査になりそうな予感を断ち切って幹人は船員の行動を言葉で遮る。

「あの、そろそろよろしいでしょうか」

 船員は凄く名残惜しそうな顔をしながら幹人にリズを返して船賃を払うよう手を向け広げていた。リリから渡された銅貨を船員に手渡した。

「1……2、3……6。確認しました。」
「あの世への船賃にならないこと、祈ってるよ」

 格好つけた言葉、必要のない飾りのついた想いは見事なまでにはっきりと届いた。不安定な木の板を渡り乗り込んでようやくひと息つく。大変だったね。ああ、大変だったようで。そんなやり取りが行われて、用意されている木の椅子に腰かけてリズを揉み始める幹人だった。
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