異世界風聞録

焼魚圭

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第二幕 時渡りの石

王都へ

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 日は沈み日は昇る。月は暗闇によって露わとなって明るみに消える。空はいつも通りの貌の変え方をしては村の人々を悩ませていた。
「どうしたのかしら? あなたたち顔が険しくて怖いわ」
 神経を逆なでにするようなリリの声色に縋りつくように男たちは頼み込んだ。
「雨を、恵みの雨を降らせてくださいお願いします」
 そう、このままでは植えた作物たちが育ってくれなくて、村人たちは相当参っていたのだ。
「どうしたものかと思ったら。そうね、聞き入れるとしましょうか」
「緊急ミッションの発生だね」
 このミッション、急発進した無理難題。
「雨乞いでもすればいいのかな」
 リリは首をかしげて疑問符を浮かべていた。その表情は少しばかりかわいらしくて幹人はついつい笑ってしまう。
「なにかな、そんなことも分からないのと笑っているのかい」
 幹人は首を横に振って本当の感情を伝える。
「かわいいいなって思ただけ」
「それはそれは嬉しいね、すごく、とても、嬉しいわ」
 頬に手を当てて顔を赤くしているリリの顔からニヤつきがこぼれていた。
「リリ姉どうすれば解決できると思う?」
 なにひとつ見当もつかなくて、霧の中を迷っているような心境の中で訊ねていた。リリはただひたすら考えていた。
「さあ、魔法も万能じゃあないからねえ、どうすれば解決できるものかしら」
 思い考えて、思考して、頭の中で試行して。やがて思い浮かんだことを提示してみた。
「魔力をリズに注いでみようか。ここで全力なんか出してしまって出発を遅らせるのはあんまりだけど、ここは致し方ない」
 リリは幹人の頭に乗っている柔らかな生き物を取り上げて揉み始めた、身体を揉み揉み、それは揉まれる側のリズにとっては気持ちの良い揉み心地でありつつもあまり気持ちの良いことではなくて。
 リリはしっかりと揉みこむとともに魔力を擦りこんでいた。
 しばらく揉んだのちに幹人に手渡した。
「さて、あとは幹人が魔力を揉みこむだけさ、なあに、さっきので水魔法のために練った魔力を入れたからあとは風属性のものを好きなようにあげるといいさ」
 そう言われては断る理由もない。というより揉むことができるというだけで喜びに満ち溢れていた。幹人はいつもそばにいる魔獣を揉み始めた。リズの表情は安らかで清らかでされたい放題で嬉しそう。明らかに幹人に懐いていた。
「やれやれ、どうして幹人がそんなに好きなことやら、さしずめ私の恋敵といったところかしら」
「ちょっ、変なこと言わないで」
 その発言がどこまで本気なのか、幹人には判断も付かないものの、確実に心だけは大きく乱されていた。
 柔らかな毛に覆われた身体を揉み続けること五分、リズの安らかな顔を見つめながら癒されて、心は明るいもので満たされていた。
「はい、揉みこんだよ」
 途端、リズは走り始めた。木の幹を駆け上がり、葉の中に隠れた体、その姿が再び見えるまでに時間はそうかからなかった。木の頭に乗っているリズは飛び跳ねて空の下、地面よりは高いそこで激しく耳を揺らした。ふたりの魔力は混ざり合い、水を風が運んで田や畑に降り注ぐ。リリはその様子を見て静かにうなずいていた。
 突然降り出した雨に驚いて、村人たちが外を出る。そうした人々を待ち構えていた光景にさらに驚きつつも感謝の意を込めて首を垂れた。

 そうして天候を操る魔女という噂話がのちに広がることとなった。

 王都へと向かおうとしていたふたりを引き留めて行われるその夜のもてなしは妙に豪華だった。
「隅から隅まで王都からの配給じゃないかい?」
 正解だった。しかも野菜の種類からしてその王都で採れたものではなくて明らかな輸入品だった。
 やせ細った作物を使っているのだろう、幹人の口の中では妙に硬くて乾いてお世辞にも褒められないような味が広がっていた。
「まさか出発が一日遅れてしまうなんてねえ」
 リリの一言に幹人もまた頷く。予定外の魔力の消費に予定外のもてなしに予想外のメニュー。
「そういうこともあるんだろうね」
 思っていたよりも楽しめない食感に打ちひしがれつつもどうにか答える。
「キミが作ってくれたお手軽な料理の方がおいしいよ」
 幹人の頬にほんのりと赤が浮かび上がる。熱っぽくて目は見開いて。
「恥ずかしいからやめて」
「イヤだ、幹人の料理が食べたいね」
 そっぽを向いてすねた顔をする。あまりにもわざとらしい仕草、その子どもっぽさは明らかにわざとやっているのだろう。
 幹人はそんなリリを宥めるだけだった。
「それは今度だね」
「本当かい?」
 即座に機嫌を取り戻して、もてなしの終わりを迎えることができたのだった。外では昼には風に揺らされて唸っていた木々が嘘のように静まり返っていた。あまりの静けさ、それは闇の深さ、底知れなさをより一層強く引き出していて恐怖を呼び起こす。
 静寂を打ち破るもの、それは人の声に他ならなかった。
「さあ明日こそは出発しよう」
 そう語る魔女は強い意志で言葉を付け加えた。
「明日は何言われても知らない、それでいいね」
 しっかりと答える幹人。少しの寂しさを暗闇の中に隠しつつも出発できることを嬉しく思い、嬉しさだけを見せていた。
 一方でリリは目の前の闇の中にどのような感情を映してどれだけの感情を声に乗せているのだろう。

 気にしていても探してみても、答えは見つかりそうにもなかった。


  ☆


 朝日、一日の始まりは訪れた。日差しはざわめき落ち着かず、木々ははしゃいでいつまでもどこまでもにぎやかで。
 リリの手を取って幹人は森の中へと入る。仮面をかぶった魔女の視界はそこまでよいものではなくて。
「幹人よ、これから王都へ安値で入るために頑張ってもらおうかな」
 耳もとで話すリリの声、仮面のおかげで顔は見えず吐息はかからずただ純粋に声だけが幹人を惑わす。
――心配事が減って良くなかったのですが? 量が質に化けていらっしゃる
 単純な心を普通の行いで揺さぶること、それは自覚なき罪でしかなかった。
 話は終わって王都へ向かう。門番はいつも通りに立っていた。
「貴様ら、見かけない服だがどこの出身だ?」
 見かけない服、イノシシの毛皮に覆われた少年とクマの着ぐるみを思わせるような姿を持って仮面を被った何者か。怪しさ満点の百点満点だった。
「野生民族国のキーとリリアですよ、最近森の偉大なる魔女さまを殺した人物を退けたリリという魔女に名前が似てるってことでリリアが気にしていらっしゃって」
「リリアとか言ったか、そこのクマは顔を見せろ」
 しかし仮面を外すこともない。ただ幹人の肩をただつかむだけだった。
「いけません、リリアは怪我をしてとても人前で顔を見せられるものでもなくてしまって」
 完全なるハッタリを切って張る。門番はしばらくふたりを見つめていたが、やがて口を開く。
「なら、祖国の金を出せ。それでいな」
 その要求を聞き、幹人はニヤリと歪んだ笑みを浮かべていた。
「そういわれては仕方がありませんね」
 門番兵士に差し出したもの、それは小麦だった。
「なるほど、野生民族国らしいな、その金は要らない。通れ」
 しめたしめた、上手く行った。喜びを無理やり隠して入るその時、門番は背後から言葉を投げつけた。
「待て貴様ら」
 気づかれてしまったのだろうか。ぎくりとする危うい想いに背筋を伸ばして立ち止まる。
「街の中でそれ使おうとするなよ、食い物は金じゃねえ」
 ただそれだけのことで、安心して手を挙げて進む。

 これにて王都への潜入は成功、段階は目的へと近づきつつあった。

 王都は立派な石の街で、しかしながら勇者の建てた街とはあまりにも違いすぎる色合いと質を感じさせた。
「これは確かに街を修復できないワケだね」
 リリが思わずこぼした言葉、人生の中のなかなかに長い時間を過ごしてきたリリの口から出る言葉に幹人はただ頷くほかなかった。
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