異世界風聞録

焼魚圭

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第一幕 リリとの出会い

魔法の練習

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 明るい空、暗い心、その差はあまりにも深すぎて幹人の顔には影が差していた。そんな心を見ようともしていないのだろう。昨日の男がふたりの姿を目にして笑いながら近づいてきて話しかけてきた。
「リリ嬢と坊ちゃん元気か? この村では偉大な魔女の母さんはきっと最後まで立派だったさ。しかしそんな母ちゃんよりも強いなんて向こうにはどれだけ強い魔法使いがいるんだろな」
 リリは感情のひとつも込められていない虚無を男に向けて、言葉のひとつも発さないまま幹人とともに歩き出す。
「そう、立派だった。なのに、なのに」
 リリの目から涙がこぼれる。温かな涙は冷たくなってしまったリリの心を温めることなど叶わなくて。
「リリ、泣かないで」
 頷いてはみせるものの、全く分かってはいない。幹人の言うことに従うにはあまりにも人でありすぎた。こぼれる涙は止まらなくて、あふれる気持ちは抑えられなくて。亡き母への想いは止められない。当たり前のことを当たり前に想う、変わり者の魔女も普通の人間なのだから。


  ☆


 時はどれだけの想いを流し、そこから同じ想いを注ぎ続けただろう。気が付けば涙は涸れ果てて悲しみの波も静まっていた。
 リリは笑顔を向けて幹人の手を引いて森の中へと入ってゆく。自然に覆われたそこはいつも通りの貌をしていて美しい。
 リリの指示を受けて魔法を使い始める。属性の見極めの目は確かなもののようで、すぐに幹人は風を操りやすい魔法使いなのだと判明した。
 森の中、木や葉を揺らして飛ばして、岩や土を削り砕く。その様子を見守る魔女は妖しく微笑んで幹人の頭を撫でていた。
「このくらい使えるなら戦えるな、といっても幹人の手を煩わせるような私を許すような私じゃないのだけど」
 風はリンゴを木からもぎ取りふたりの手元へと運んだ。
「美味しくはないけどどうぞ、リリ」
「幹人が運んできたもの、嬉しくて仕方がないねえ……美味しくはないけれど」
 そう言ってリンゴにかじりつく。顔をしかめる魔女を見て幹人は笑っていた。
「どうしたのかな、なにがおかしいのやら、答えてごらん」
「どんな気持でも綺麗な表情しか見せないリリもそんな顔するんだねって」
 リリは幹人の頬を掴んで顔を近付ける。
「ふふ、そういうことばかり言ってるとリンゴの代わりに食べてしまうわ」
 確実に冗談、分かり切っていたその言葉に幹人はますます笑うばかり。森は今日もまだ、魔女の薬で見えない穢れをその身に背負わされながらもどうにか生きていて、その中で幹人とリリは今日もまた、生きていた。
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