灯る透明の染色方法

ナナシマイ

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第四章 ダイヤモンドダストのオルゴール

4−3 冬の大惨事と青い旋律

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「もう、本当に大変だったんだから!」
 そうむくれているのは秋の明星黒竜。軽い口調ではあるが、顔には疲労の色が濃い。迷い路から帰還した三人は互いにいたたまれない表情で顔を見あわせた。
「すまない。迂闊であった」
 迷い路は、世界の亀裂が生んだ、現実ではない場所。
 そして事象から生まれる魔女や聖人とは異なり、竜は身体そのものが事象だ。
 つまりヴァヅラが迷い路に落ちたことで、いっときとはいえ、世界から冬の道しるべが失われたのである。
 冬の始まりにヴァヅラの不在は大打撃で、こうしているあいだにも、向かうべき方向を見失った冬の要素たちがほかの季節を引き込んでしまい、世界は混乱を極めていた。
「春も夏もこういうときは役立たずだし、なおさらよ。私ひとりじゃあ冬の動きを調整するのは厳しいから、とりあえず動かせるだけの秋を動かして崩れすぎないようにしたけれど」
「ああ、助かる」
 夏の力を制御することで冬の安定を図るのが理想的な対処方法だったが、夏の明星黒竜は働くことが好きではないのだ。春は春で怯えがちであるので、クァッレひとりに皺寄せがいったであろうことは想像に難くない。
 簡単に状況を把握したヴァヅラは、すぐ竜のかたちになって空へと飛びあがる。たったそれだけでも、冬の異常行動はわずかに収まった。

 普段なら賑わいを見せるロッタ中央街の夜も、今はただ弱き生き物たちの怯えがこびりついていた。
 風は明滅するように寒暖を行き来し、やわらかな花が笑んでは霜に覆われる。春から夏、夏から秋、そして冬へ。個々であったならば芳しい季節の香りも、今ばかりは混沌と悪しき気配を含んだ。
 目まぐるしく変化する景色に、冬に連なる者たちが動揺している。
 季節のひずみという異常現象の収拾にあたるのは当然、引き起こした張本人であるリヴェレークたち。
「俺は商会にいる冬に連なる者たちに各地の崩壊へ向かわせるが、やれることがなければ、君も手伝うか?」
 実務を担ってくれる直属の部下がいるとはいえ、非常事態の指揮ともなれば忙しくなりそうだ。すでにウェッヅリャーあたりと連絡をとっているのか、熱を湛えたルフカレドの瞳は時々ここではないところを見ている。
「いえ」
 しかしリヴェレークはその申し出を断る。まずは目指すべきものを見失って混乱している冬たちを落ち着かせることが先だろう。
「わたしは魔法具を作ろうかと思っています」
 そして、落ち着きをもたらすことは、静謐の得意とするところである。
 ルフカレドに出会ってから慌ただしく魔法具を作ることが増えたものだ。それでも、まだ構想段階にあったオルゴールの魔法具は、この状況を打破するのに適しているはず。
「オルゴールを――」
 魔法の声で呟けば、手の中で、氷から削りだしたような質感のオルゴールが生まれた。
 いつぞやの眠りオルゴールを思い出したのか、わかりやすく頬を引きつらせ、一歩後ずさったルフカレド。
「対象に影響を与えるという意味ではいっしょですが、眠らせはしませんし、きちんと対象を絞りますよ」
「それなら安心だ」
 雪の絨毯のようにまっさらと。それから、心を揺らして方向性を与える。
 冬の者たちが皆、冬の明星黒竜を目指すように。そのような心の傾きを望む魔法具を作るつもりだった。
 しかしここで問題がひとつ。このオルゴールはルフカレドひとりの心を動かそうと考えていたものなのだ。広範囲に影響を及ぼすことを想定していない。ダイヤモンドダストの花自体、心を奪えるのは近寄ってきた者だけであるため、その作用を広げるためのなにかが必要だった。
「対象を絞りつつ、広範囲に。雪の精……は今は頼れないので……」
 お喋り好きな雪の精は噂を広めるのも早い。ダイヤモンドダストの花との相性もよいのだが、その冬が衰えているのだからいけない。
「なるほど、広めるものだな? 商会に風聞の妖精がいるから遣わせよう」
「ありがとうございます」
「だが、冬となればやはり雪そのものを動かしたいところだな」
「それはそうなのですが」
 顔を見合わせるふたり。ため息もふたつ。
 戦火の聖人と静謐の魔女は、それぞれの資質からして雪に属する者と相性が悪い。

「手伝いに参りましたよ」
 どうしたものかと頭を捻るふたりのもとへ、ふわりと妖精が降り立った。
 どの季節ともつかぬ混沌とした天気のしたでもくっきりと浮かび上がる、曇天の影を薄めたような黒い羽。しなやかな美しさを持つ雷雲の妖精は、非常事態にも頼もしい、ルフカレドの腹心だ。
「早かったな、ウェッヅリャー」
 挨拶もそこそこにさりげなくリヴェレークたちのようすを見たウェッヅリャーは、「なにかお困りごとでも?」と事もなげに訊ねてくる。
 さすがは秘書、と思いながら、混乱を極める冬たちに冬としての自覚を促すための魔法具を作ろうとしていること、効果を広める方法に行き詰まっていることについて説明すれば、彼は穏やかに微笑みながら頷いた。
「雲に属する者であれば個人的な伝手がいくらかありますよ。雪と関わる者もおりましょう」
「ならリヴェレークの魔法具を効果的に使う方法は頼んだ」
 かしこまりました、と羽を揺らすウェッヅリャー。
「ほかにしておくことはありますか?」
「あとは……この混乱に乗じてこと・・を起こしそうなところへ火種を放り込んでおくか」
「それがよいでしょう。とくに砂の海のあたりは、そろそろ清掃を行わねばと思っておりましたので」
 妖精の笑みは穏やかなままどこか酷薄なものへとかたちを変えた。そうすれば黒一色の装いも悪者めいて見えるのだから、不思議なものだ。
「同感だな」
 そしてこのような苛烈さは、主であるルフカレドと似ているのだ。

 ダイヤモンドダストの花をしゃらりと鳴らす。
 魔女はオルゴールを好んで使うものだ。魔法具としてだけでなく、気に入った音をいつでも聴けるようにとオルゴールに保管することも多い。リヴェレークも手慣れたようすで花の音をシリンダーへと写していく。
 突起が、霜のように貼りついていく。
 リヴェレークは音楽そのものをあまり嗜まないが、なにもない水の中、はびこる影の音を長いこと聞き続けてきた。そんな静謐の音を土台に、可憐なダイヤモンドダストの音が描かれる。
 誰もが心奪われる音に、しかしリヴェレークは揺らがない。
 そういうふうに、対象を選択している。
「ウェッヅリャーのほうは準備ができたそうだ」
 ルフカレドの指示ですぐに動き始めた雷雲の妖精は、仕事が早い。
 リヴェレークは、まだ完成していないオルゴールを顔の前に掲げた。
「では残りは口で仕上げてしまいましょう」
「口で……?」
「足りないものを声で補うのです。魔法具の完成より、冬を取り戻すほうが優先ですから」
「そういう意味か」
 距離を詰めてきたルフカレドの口が優しく髪に触れ、戦火の要素を乗せられる。
(こちらの要素も使えということだろうか)
 そわりと、足もとから影が広がった。
 沈めるまではしない。騒ぎ奇行を繰り返す冬たちのなかでも、まずは力ある者に対象を絞り、静謐の影によって落ち着かせる。
 リヴェレークの力は強大だ。繊細な魔法の扱いを得意とする彼女であっても、この混乱のさなかでは小さき者を壊してしまうかもしれない。そうならないよう先に大きな波を抑え、それからさざめきを均していく。
 オルゴールを開けば、朝日の幻影にきらめくダイヤモンドダストが溢れ出た。
 夢のような幻想の音が、軽やかに降り積もる。
 ひとつ、またひとつと、こちらへ冬たちの意識が向けられる。
 静謐の魔女の唇が、音を紡いだ。ぞっとするほどに青い旋律。古の時代の言葉を交えた、リヴェレーク水底の音階。
 たおやかでありながら凛とした音の波が風を掬っていく。戦火の要素をわずかに含んだそれは、瞬く間に燃え広がる。
(そうか。雪とは相性が悪いけれど、火影なら……――いや、違う)
 喉の奥をぎゅっと絞られるような感覚がした。
 それは結びだ。
 静謐と、戦火の、淡い結び。
 真の意味での繋がりはまだないが、静謐と戦火はたしかに混ざり始めているのだ。そのことに気づいたリヴェレークの、目頭がひどく熱い。しぱしぱと瞬いて、湧きあがろうとする情動をなんとか堪える。
 なにもなかった水の中。ひりつくような透明の孤独。
 リヴェレークを影たらしめていたものたちが、少しずつかたちを変えている。
 ふと、顔の真横からルフカレドの、深いところで笑う気配がした。
「――っ」
 こちらの表情をずっと覗き込んでいたのだろうか。このようなときにも男性らしい満足感を醸す聖人に、溢れる寸前であった魔女の涙はすっと引っ込む。
 代わりに思考を埋めるのは、聖人の独占的な包囲網について。
「……あの、ルフカレド」
「ん?」
「ん、ではありません。なぜわたしは捕らえられているのでしょう」
 あえて抱きしめるという言葉を使わずにいれば、珍しくルフカレドは鼻で笑った。
(夫婦としておかしなことはなにもないけれど、少し動きにくいのだ)
 身じろぎしつつもされるがままになっているリヴェレークに、ルフカレドもまた無言のまま、ただ腕に力を込めた。

 気を取り直した静謐の魔女による、ともすれば鎮魂歌のようにも聞こえる歌声が、街のあいだを縫っていく。途切れることなく連なる旋律。
 青く、また青く。
 起伏の少ない音は、ひたすらに静謐だ。
 しんしんと降り積もる音が呼び水となって、風が動きだす。
『違うわ。こんな音、私たちの雪じゃあないわ』
『もっと賑やかで、もっと素敵なのよ!』
 静謐にうんざりした凍て風が、早く早くと雪雲を運んでくる。ようやく冬が正気を取り戻し始める。
「ウェッヅリャーのほうで雪はなんとかなったみたいだな」
 ルフカレドは相変わらずリヴェレークに張り付いているが、追い込み漁の要領で放った火によって冬の者たちが雑に仕分けられていった。
 時おり燃えているのは、商売敵か、彼の気まぐれか。
 溶け逃げてしまった冬たちを影に固め、在るべき場所に在るよう、オルゴールで誘導していく。雪がその噂を広め、加速度的に冬が取り戻される。
 ひたりと滲むように輝く明星が、鮮烈な青さですべてを見下ろしていた。

       *

 今夜から明日の夜まで丸一日、世界は夜であることが定められた。
 冬は夜の領域にある。ヴァヅラを筆頭に、冬に属する星たちを長く光らせることで、冬の安定を図るのだ。
 各地でも冬の者たちが夜会を開き、それを後押しする。
 リヴェレークたちは冬に連なる者ではないためそれらには参加しないが、このあとはクァッレとともに冬の料理を食べることを予定していた。
 どこかうんざりしたようすで夜の手配をしてくれた夜の魔女が去ると、過去に因縁でもあるのか、ルフカレドは詰めていた息をはあっと吐く。
「……そういえば、ダイヤモンドダストの花はこの事態を知る前から魔法具にと用意していなかったか? 本当はなにに使うつもりだったんだ?」
 何気ない疑問に、リヴェレークはぎくりとする。
(ルフカレドの心を動かせないだろうかと考えていたとは……さすがに言えない)
 となれば答えはひとつだ。
「秘密です」
「話すことを好む君が秘密・・か」
 息をするようにさりげなく額へ口づけてくる聖人は、どこまで気づいているのだろう。
 魔女もまた、変化しているのだということに。
 こちらへ向いた伴侶の心を留めておきたいと願うくらいには、なにかと寄り添ってくる振る舞いに心地よさを覚え、また、あの夜の意思なき拒絶を後悔していた。
 身体的な触れあいに覚える感慨を、ひとは不健全と言うだろうか。
 けれどもリヴェレークは、ルフカレドがそうしてくれたからこそ実感できたのだと思う。自分には適用されないと考えていた、目指すべき幸せに、触れることもできるのだと。
 彼自身が初めは望んでいなくても、リヴェレークの恐怖に気づいても、怯むことなく伸ばされた、この手があったから。
 言葉だけでは足りない、たしかに夫婦のかたちがここにあるのだと、知ることができた。
(ならばわたしは、どうやってこの心を伝えようか)
 言葉で。それから、行動で。幸せになるためにできることは、きっとたくさんある。
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