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第二章
ペンは木で、手紙は鳥で(3)
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森はやはり本物の森だ。家のある、並木道々な森とはまったく違う。
最初の泉の周辺にあった森と雰囲気が似ていて、あそこよりも色彩が鮮やかなところが幻想度を増して見せていた。
十の月というのは冬のはじまりだが、わたしはツスギエ布の下に着る服を厚手のものに変えただけで、寒さを感じることはない。
涼やかでやわらかな風が、湿った土の匂いやどんな種類かもわからない花の甘い香りを運んできて、それが心を落ち着かせてくれる。日本にいたときは滅多にこういう場所へは足を運ばなかったけれど、元来わたしは自然のあるところが好きなのだ。
「この森で自分のヌテンレにふさわしいと思う枝を見つけてもらう。大きさは魔道具にする過程で調節されるので気にしなくて良い――あまり大きすぎると魔力が足りずに失敗するのだが……。とにかく、手に馴染む木の種類、形を優先するように」
デジトアの説明とともに、二本の細い布が配られる。分厚いけれど、この感触はツスギエ布だろう。
「枝を決めたらば、ツスギエ紐を一本結び付けておくこと。対になっているため、翌日以降、枝の場所へ向かうのに役立つ。……では、行きなさい」
その言葉を合図に、子供たちが一斉に散らばった。
といっても、走りだすような子はひとりもいない。シャンシャン、ひらりひらりと、足場の悪い森の中でもしっかり美しさを保っている。
わたしもゆっくりと歩きながら周囲の木々に触れていく。
ゴツゴツとした表面の木は、持ちかた矯正の凹凸がついたペンになりそうだ。
ツルツルとした表面の木は、触り心地は良いだろうけれど、滑りやすくなるような気がする。ヒィリカたちの使いかたを見るに屋外での使用頻度が高そうなのだ。落とす可能性のあるものは避けたほうが良いだろう。……と、なぜか得意げにペン回しをする啓太が思い浮かんで、クス、と笑みがこぼれた。
樹皮が剥がれやすいものもある。脆くなりそうだから却下だ。
こうしてよく注意しながら見てみると、いろいろな種類の木があることがわかる。
本当に同じ場所に生えているのか、と疑問に思うほどだ。たとえるならば、針葉樹とヤシが一緒に生えているような。実際の生態は知らないけれど、雰囲気の違いは一目瞭然で、それがまた違和感をもたらす――。
途中からはヌテンレ作りというよりさまざまな木肌の感触をただ楽しんでいるといった趣になってきて、しかし、わたしはある木の前で足を止めた。
触れている指先にかすかな温もりが伝わってくる。わずかな凹凸を持つ表面は、ほど良く滑らかだ。
傾きかけた陽が作る影のせいだろうか。焦げ茶色の幹が、青みがかっているように見える。
この木だ、と思った。
フラルネに括り付けていたツスギエ紐を外し、ちょうどボールペンのような太さになっている、握りやすそうな枝の部分に結び付ける。
使う枝を決めれば、今日の作業は終わりだ。ジオの林へと戻る。森のどこにいてもあの大きすぎるマクニオスの木が見えるため、帰り道に迷うことはなかった。
翌日はヌテンレ用のクァジの楽譜を持って、昨日選んだ木のもとへ向かう。
デジトアが言っていた通り、ツスギエ紐は役に立っている。森に入るとぼんやり光りだし、なんとなく覚えていた木の方向を指し示すように浮かぶのだ。
今日は演奏ができるのでわたしの気分も上向くはず、だったのだが――。
「……デジトア先生」
「なんだ」
そっと後ろを振り向く。纏ったツスギエ布をふわりと空気に乗せることも忘れない。
そう離れていない位置に、悠然と立ちわたしを見下ろすのはデジトアだ。細められた薄灰色の瞳は、間近で見ると赤みがかっていることがわかる。ジオの土地の人はみんなそうだな、と目の前の問題から逃げた思考へと流れそうになったが、わたしはお腹にグッと力を入れ覚悟を決める。
周囲にはわたしたち二人しかいない。ここまできたらもう疑いようはなかった。
「え、っと。わたしのあとをついてきているのですか?」
「ほかになにがあるという」
「いえ……その、ほかの子たちを見ていなくても良いのかな、と……」
これは本当に疑問だったので首を傾げながらそう訊くと、デジトアは心底面倒だというふうに目を閉じながら息を吐いた。
やがて開かれた瞳は冷え切っていて、その恐ろしさにわたしは一歩後ずさる。
「最も見ていなくてはならないのはレイン、そなただ」
「あ……」
「それがなぜほかの者の心配をしているのか、私には理解できぬのだが」
「……すみません」
「そう思うのなら努力をしなさい」
彼の言いかたは辛らつだが、おおむね正しい。わたしは他人より魔力があると言われながら、できないこと、知らないことが多すぎるのだ。
哀しくなってきて、頷いたそのままうつむいて歩きはじめると、くいっと左手を引かれた。
「その歩きかたは美しくない」
ハッとする。
……そうだ、このままではいけない。わたしには、神さまに会って日本に帰してもらうという目標がある。こんなところでうつむいている場合ではない。
小さく、それでも深く、息を吐いた。
大丈夫。わたしはレインだ。
しなやかに背筋を伸ばしながら、心の底から楽しんでいるような笑みを浮かべる。
「はい、デジトア先生。ご忠告ありがとうございます」
それからクァジを演奏してヌテンレができあがるのはあっという間だった。
家にあるものと同じように琥珀色になるかと思っていたが、それよりもずっと黒っぽい。先端には万年筆のようなペン先が付いていて、漏れ出る金とも銀ともつかぬ色の光によって重厚感がある。
出来も問題なかったようだ。表情こそ変わらなかったが、デジトアもしっかり頷いてくれた。
ちなみに、最初に決めていた枝は「そなたがこの細い枝を魔法石にするとアクゥギの魔法石よりも大きくなりそうだが、美しくないのではないか」と言われたので、かなり太い枝に変更した。
今、フラルネにはめられたアクゥギの隣には、親指の爪ほどの大きさをした黒い魔法石が加えられている。
最初の泉の周辺にあった森と雰囲気が似ていて、あそこよりも色彩が鮮やかなところが幻想度を増して見せていた。
十の月というのは冬のはじまりだが、わたしはツスギエ布の下に着る服を厚手のものに変えただけで、寒さを感じることはない。
涼やかでやわらかな風が、湿った土の匂いやどんな種類かもわからない花の甘い香りを運んできて、それが心を落ち着かせてくれる。日本にいたときは滅多にこういう場所へは足を運ばなかったけれど、元来わたしは自然のあるところが好きなのだ。
「この森で自分のヌテンレにふさわしいと思う枝を見つけてもらう。大きさは魔道具にする過程で調節されるので気にしなくて良い――あまり大きすぎると魔力が足りずに失敗するのだが……。とにかく、手に馴染む木の種類、形を優先するように」
デジトアの説明とともに、二本の細い布が配られる。分厚いけれど、この感触はツスギエ布だろう。
「枝を決めたらば、ツスギエ紐を一本結び付けておくこと。対になっているため、翌日以降、枝の場所へ向かうのに役立つ。……では、行きなさい」
その言葉を合図に、子供たちが一斉に散らばった。
といっても、走りだすような子はひとりもいない。シャンシャン、ひらりひらりと、足場の悪い森の中でもしっかり美しさを保っている。
わたしもゆっくりと歩きながら周囲の木々に触れていく。
ゴツゴツとした表面の木は、持ちかた矯正の凹凸がついたペンになりそうだ。
ツルツルとした表面の木は、触り心地は良いだろうけれど、滑りやすくなるような気がする。ヒィリカたちの使いかたを見るに屋外での使用頻度が高そうなのだ。落とす可能性のあるものは避けたほうが良いだろう。……と、なぜか得意げにペン回しをする啓太が思い浮かんで、クス、と笑みがこぼれた。
樹皮が剥がれやすいものもある。脆くなりそうだから却下だ。
こうしてよく注意しながら見てみると、いろいろな種類の木があることがわかる。
本当に同じ場所に生えているのか、と疑問に思うほどだ。たとえるならば、針葉樹とヤシが一緒に生えているような。実際の生態は知らないけれど、雰囲気の違いは一目瞭然で、それがまた違和感をもたらす――。
途中からはヌテンレ作りというよりさまざまな木肌の感触をただ楽しんでいるといった趣になってきて、しかし、わたしはある木の前で足を止めた。
触れている指先にかすかな温もりが伝わってくる。わずかな凹凸を持つ表面は、ほど良く滑らかだ。
傾きかけた陽が作る影のせいだろうか。焦げ茶色の幹が、青みがかっているように見える。
この木だ、と思った。
フラルネに括り付けていたツスギエ紐を外し、ちょうどボールペンのような太さになっている、握りやすそうな枝の部分に結び付ける。
使う枝を決めれば、今日の作業は終わりだ。ジオの林へと戻る。森のどこにいてもあの大きすぎるマクニオスの木が見えるため、帰り道に迷うことはなかった。
翌日はヌテンレ用のクァジの楽譜を持って、昨日選んだ木のもとへ向かう。
デジトアが言っていた通り、ツスギエ紐は役に立っている。森に入るとぼんやり光りだし、なんとなく覚えていた木の方向を指し示すように浮かぶのだ。
今日は演奏ができるのでわたしの気分も上向くはず、だったのだが――。
「……デジトア先生」
「なんだ」
そっと後ろを振り向く。纏ったツスギエ布をふわりと空気に乗せることも忘れない。
そう離れていない位置に、悠然と立ちわたしを見下ろすのはデジトアだ。細められた薄灰色の瞳は、間近で見ると赤みがかっていることがわかる。ジオの土地の人はみんなそうだな、と目の前の問題から逃げた思考へと流れそうになったが、わたしはお腹にグッと力を入れ覚悟を決める。
周囲にはわたしたち二人しかいない。ここまできたらもう疑いようはなかった。
「え、っと。わたしのあとをついてきているのですか?」
「ほかになにがあるという」
「いえ……その、ほかの子たちを見ていなくても良いのかな、と……」
これは本当に疑問だったので首を傾げながらそう訊くと、デジトアは心底面倒だというふうに目を閉じながら息を吐いた。
やがて開かれた瞳は冷え切っていて、その恐ろしさにわたしは一歩後ずさる。
「最も見ていなくてはならないのはレイン、そなただ」
「あ……」
「それがなぜほかの者の心配をしているのか、私には理解できぬのだが」
「……すみません」
「そう思うのなら努力をしなさい」
彼の言いかたは辛らつだが、おおむね正しい。わたしは他人より魔力があると言われながら、できないこと、知らないことが多すぎるのだ。
哀しくなってきて、頷いたそのままうつむいて歩きはじめると、くいっと左手を引かれた。
「その歩きかたは美しくない」
ハッとする。
……そうだ、このままではいけない。わたしには、神さまに会って日本に帰してもらうという目標がある。こんなところでうつむいている場合ではない。
小さく、それでも深く、息を吐いた。
大丈夫。わたしはレインだ。
しなやかに背筋を伸ばしながら、心の底から楽しんでいるような笑みを浮かべる。
「はい、デジトア先生。ご忠告ありがとうございます」
それからクァジを演奏してヌテンレができあがるのはあっという間だった。
家にあるものと同じように琥珀色になるかと思っていたが、それよりもずっと黒っぽい。先端には万年筆のようなペン先が付いていて、漏れ出る金とも銀ともつかぬ色の光によって重厚感がある。
出来も問題なかったようだ。表情こそ変わらなかったが、デジトアもしっかり頷いてくれた。
ちなみに、最初に決めていた枝は「そなたがこの細い枝を魔法石にするとアクゥギの魔法石よりも大きくなりそうだが、美しくないのではないか」と言われたので、かなり太い枝に変更した。
今、フラルネにはめられたアクゥギの隣には、親指の爪ほどの大きさをした黒い魔法石が加えられている。
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