雨音は鳴りやまない

ナナシマイ

文字の大きさ
上 下
21 / 54
第一章

マクニオスの常識(3)

しおりを挟む
 ――これは、四柱の神による世界の創造と、人間、精霊についてのお話です。

 四柱の神たちはまず、それぞれの思いのままに、洞窟、火孔、谷、泉を創りました。そしてその周囲を木々で囲み、草や花で彩りを添えました。そこに住まう獣や、魚や、鳥たちもみな、神の創造物です。
 世界が完成すると、神は最後に、人間を生み出しました。
 人間は、神の創ったこの世界に必要な存在として、神から役割を与えられます。
 男性は、世界に綻びができぬよう調整すること。
 女性は、神の現身うつしみとして世界で過ごすこと。
 そう。神は、自身が創った世界を堪能してみたかったのです。
 美しく、生命力に溢れる世界は、まさに理想郷といったところで、四柱の神はその出来にとても満足しました。
 そんな美しき世界からは、他の神々も生まれました。世界の力を糧にした神々も、人間にとっては四柱の神と変わらぬ神ですから、当然、人間は同じように尽くします。

 時が流れ、人間は神々を満足させるためのそれを、芸術として披露するようになりました。そしてその頃には、神々の意識は人間の営みを眺めることに向いていたので、美しい芸術のお礼に、神は人間の願いを叶えることにしました。
 その様子を見ていた精霊は、神を真似ようと人間に近づきます。
 けれども、精霊は人間から生まれた存在。神のために作られた芸術は難しく、理解することができませんでした。
 そこで人間は、精霊にもわかりやすい、新しい芸術を作ることにしたのです――



 問題の「神」という言葉は、本棚の低いところにあった。『マクニオス神話』と題されたその本をパラパラとめくってみると、子供用なのか、読みやすく、童話のような内容になっている。
 冒頭部分は、マクニオスというより、世界のはじまりについてだろうか。マクニオスの美しさへのこだわりは、本当に神さまのためだったのだ。
 マカベの儀での演奏は神さまに捧げるものだとは聞いていたが、こうして神話として知ると妙に納得がいく。

 ……それにしても、神さまだけでなく精霊までいるなんてね。

 神話の本を棚に戻し、今度は『献上詩集』を手に取る。
 何編か目を通すとわかるが、シルカルが言っていた通り、マクニオスの詩には構成がなかった。繰り返しの言葉がとても多い。それが少しずつ変化していくうちに、落ち着かない感情が心に刻まれるような感覚が不思議だ。
 神さまを呼び出すための詩はないだろうかと読み進めてみたが、残念ながらピンとくるものはなかった。

 また今日も、夜更かしをしてしまった。



 月が変わると、兄姉をはじめ、多くの人と接することになるらしい。
 ということで、三の月、七の週は、演奏のほかに、マクニオスで生きるための最低限の知識を仕込まれた。音楽や服装や文字は、その大前提だったということだ。

 わたしにとって大事なことは三つ。
 笑顔を崩さないこと、一つひとつの動作を丁寧にすること、周囲の人間を立てることだ。

 特に気にしなくてはならないのが三つめ。現時点で、わたしが敬称をつけずに済む相手はいないらしい。女性が名前を呼び捨てることができるのは弟妹か自身の子供のみで、わたしにはそのどちらもいないからだ。
 とにかく、全方位に向けて丁寧な態度で接すれば良いということはわかった。が、美しさを基準とした細かな決まりを覚えることは、正直大変である。

「レインは落ち着きがありますから、マカベの儀までには、マカベの娘としてふさわしくなれるでしょう。笑顔は……」

 そこでヒィリカは言葉を止めて、笑顔のままわたしをじっと見つめた。わたしはニコリと微笑む。
 わかっている。ヒィリカはいつも笑顔のおっとりした人に見えるが、それは半分違う。

 女性は神さまの模倣品。
 負の感情は勿論、強すぎる感情を出すこともまた、許されない。

 隠してはいたようだが、最初になんとなく感じた強引なところもまた、ヒィリカなのだ。

「今はよくできていると思います」
「ありがとうございます」
「……これからは、気立子としても、マカベの娘としても嫌な思いをすることがあるかもしれません。そういうときにこそ笑顔を崩さぬよう、美しくあるのですよ」

 と、ここで気づいたことがある。
 なにかにつけて「マカベとしてふさわしく」とか、「マカベの娘としてふさわしく」と言われるなかで、どうにもニュアンスが違うように思えてならないことが多々あり、混乱していたのだが……。この二つの「マカベ」、どうやら意味が違ったらしい。

 前者のマカベは、このマクニオスに住む人、という意味で使われている。つまりこの場合は、日本人としての常識を身につけなさい、と言われているようなものだ。
 後者のマカベは、木立の者という意味で、ジオ・マカベたるシルカルの娘として、ということらしい。こちらの場合は、市長の娘として恥ずかしくないように、といったところだろうか。わかりにくい。

 なにはともあれ、笑顔は得意だ。
 アルバイト時代のクレーマー客も、ライブハウスにいたやたらと話の長いおじさんも、会社勤めになってからのいびり上司も、みんな笑顔で乗り切った。作り笑いと気づかれない自信がある。

 ずっと言われてきたのだ。
 ――いつも楽しそうだね、悩みなんてないでしょう、と。
 そんな嫌味混じりな言葉も、いつだって「えへへ」と流してきた。

 ここでも同じことをすれば良いのだ。常に穏やかに、楽しい気持ちで、わたしはわたしレインを演じれば良い。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。

梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。 ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。 え?イザックの婚約者って私でした。よね…? 二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。 ええ、バッキバキに。 もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

優しく微笑んでくれる婚約者を手放した後悔

しゃーりん
恋愛
エルネストは12歳の時、2歳年下のオリビアと婚約した。 彼女は大人しく、エルネストの話をニコニコと聞いて相槌をうってくれる優しい子だった。 そんな彼女との穏やかな時間が好きだった。 なのに、学園に入ってからの俺は周りに影響されてしまったり、令嬢と親しくなってしまった。 その令嬢と結婚するためにオリビアとの婚約を解消してしまったことを後悔する男のお話です。

処理中です...