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第一章
森の中にある家(2)
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それから少しして、荷車は唐突に止まった。到着したようだ。
わたしはまた花の服を頭から被り、トヲネに整えてもらう。
荷車を降りて、あちこち痛む身体を伸ばしていると、ヒィリカに「なにをしているのですか?」と咎めるような目を向けられた。彼女たちは何度か外に出ていたが、わたしはずっと荷車の中にいたのだ。この辛さがわからないに違いない。
わたしたちを降ろすと、荷車はすぐに来た道を戻ってしまった。結局、操縦者と顔を合わせることはなかったな……と思いながら、結構な速度で走り去っていく荷車を見つめる。
「……レイン」
と、ヒィリカに呼ばれた。
「この森の中心部に、わたくしたちの家があるのですよ」
手で示されたほうに目を向ける。
「……森」
わたしは、はぁ、と曖昧に頷いた。
ヒィリカは森と言うが、人工林でも、木はここまで揃って生えていないはずだ。ずらりと整列して巨木が並ぶ様子は、森と言うよりもむしろ、並木道のように見える。並木道々だ。
どの木にも丸い灯りがオーナメントのごとくぶら下がっていて、その一つ一つがじわり、じわりと優しく脈打つように明滅する。
その灯りによって、森――これをそう呼ぶのなら、森なのだろう――全体がぼんやりと光って見えた。
「待たせた」
静かで、それでもよく通る声が森の中から聞こえてくる。すぐに出てきたジオ・マカベの姿を認識した瞬間、わたしはぽかんと口を開けてしまった。
……う、浮いてる……!?
それは、舟だった。
木でできていて、川に浮かべて釣り人が乗るような、舟。
しかしそれが、地面から一メートルほど離れたところを、飛んでいる。
モーター音がしないので、電気系ではない。
風が強く吹いているわけではないので、浮力でもない。……いや、このような普通の舟の形で宙に浮くはずがない。
わたしが必死になって、自分の中の常識に当てはめようとしては失敗しているうちに、ジオ・マカベを乗せた舟はわたしたちの前まで来て、地面に底を付けた。
「どうせ通り道だ。トヲネも乗りなさい」
「ありがとうございます。そうさせてもらいますね」
なんでもないことのように、ヒィリカとトヲネは舟に乗り込む。そしてわたしに向かって手招きをする。
両手に抱えた服をギュッと握り、ゴクリと唾を飲み込んだ。
よし、乗るぞ。そう意気込んで、わたしは舟の中に足を踏み入れ、女性二人の間に座った。
下方にグッと力がかかってからの、浮遊感。
心の準備をする間もなく、舟は滑るように動き出した。
かなりの速さに、ひゃっ――と叫びそうになった口を押さえる。しかしその恐怖は一瞬だった。速度は出ているが、舟には安定感があることに気づくと、周りを見る余裕が出てくる。
まずは、舟の操縦。
船尾に座るジオ・マカベを見ると、その手に櫂はなく、舟に取り付けられた台上、拳ほどの大きさの光る石に触れている。石は黄みがかった緑色で、複雑な紋様が描かれているのが見えた。
ジオ・マカベが手を動かすたびに、石からはキラキラと光の粒が舞う。色は違うけれども、泉で見た光の粒と動きかたが似ている気がする。
……これが魔法、なのかな。
そう納得してしまえば、いちいち驚かなくて済む。
わたしはひとり頷き、今度は舟の外を見てみることにした。
灯りがぶら下がっているため、森の中は明るい。木々が綺麗に並んでいることも相まって、少し遠くまで見通すことができるのだ。ヒィリカは森の中に家があると言っていたが、しかし、どこにも家らしきものは見当たらなかった。
「この辺りには誰も住んでいないのですか?」
今日は一日中話していたので、わたしは気軽に質問できるようになっていた。何気なくそう訊くと、ヒィリカはなにを言われたのかわからないというふうに目を瞬く。それから、あぁ、と微笑んだ。
「これはすべて家ですよ。木の中に住んでいるのです」
「……え?」
予想もしていなかった答えに、一瞬固まる。
「そ、そうですか……」
なんとか絞り出した反応はそれだけで、わたしは必死に思考を巡らせた。
木の中、ということは、洞穴で生活するようなものだろうか。それは何だか原始的に思えて、これまでの彼らの印象との違いに困惑する。
荷車やこの舟での移動も快適だったので、家も同じようなものだろうと勝手に想像していた。……いや、意識にすら上らなかった。それに、音楽に対する意識や、服や食事へのこだわりなどを考えると、とてもそのような生活をしているとは思えないのだ。
考えている間に、かなり奥まで来たようだ。だんだん木がまばらになってきて、少し暗いが、それでもジオ・マカベは迷うことなく進んでいく。
木の数と反比例して、その大きさが変化していることに気づいた辺りで、舟は止まった。
「送ってくださりありがとうございます、ジオ・マカベ。……ヒィリカ様。披露会、楽しみにしていますね」
暗がりに、トヲネの白っぽい姿が浮かび上がっている。彼女はふわりと布を揺らしながら、ある大きな木の幹の向こう側へと消えた。
更に進むと、今までに見たどの木よりも大きな木の前に着いた。この先に木の灯りは見えず、森の中心というより、端のように思える。
わたしたちを降ろすと、ジオ・マカベは自分も舟から降りて、外側からあの緑色の石に触れた。
石が光った、と思った瞬間、舟はしゅるりと石の中に消える。……へ? と間抜けな声がわたしの口から漏れたが、これは致しかたないだろう。
「レイン、これを」
ぽかんとしたままのわたしに、ジオ・マカベがなにかを差し出す。
ハッとして受け取ると、それは腕時計のような形をしていた。言われるまま腕に通し、かちりと金属の留め具をはめる。
琥珀色の石が、ぽうっと光った。
わたしはまた花の服を頭から被り、トヲネに整えてもらう。
荷車を降りて、あちこち痛む身体を伸ばしていると、ヒィリカに「なにをしているのですか?」と咎めるような目を向けられた。彼女たちは何度か外に出ていたが、わたしはずっと荷車の中にいたのだ。この辛さがわからないに違いない。
わたしたちを降ろすと、荷車はすぐに来た道を戻ってしまった。結局、操縦者と顔を合わせることはなかったな……と思いながら、結構な速度で走り去っていく荷車を見つめる。
「……レイン」
と、ヒィリカに呼ばれた。
「この森の中心部に、わたくしたちの家があるのですよ」
手で示されたほうに目を向ける。
「……森」
わたしは、はぁ、と曖昧に頷いた。
ヒィリカは森と言うが、人工林でも、木はここまで揃って生えていないはずだ。ずらりと整列して巨木が並ぶ様子は、森と言うよりもむしろ、並木道のように見える。並木道々だ。
どの木にも丸い灯りがオーナメントのごとくぶら下がっていて、その一つ一つがじわり、じわりと優しく脈打つように明滅する。
その灯りによって、森――これをそう呼ぶのなら、森なのだろう――全体がぼんやりと光って見えた。
「待たせた」
静かで、それでもよく通る声が森の中から聞こえてくる。すぐに出てきたジオ・マカベの姿を認識した瞬間、わたしはぽかんと口を開けてしまった。
……う、浮いてる……!?
それは、舟だった。
木でできていて、川に浮かべて釣り人が乗るような、舟。
しかしそれが、地面から一メートルほど離れたところを、飛んでいる。
モーター音がしないので、電気系ではない。
風が強く吹いているわけではないので、浮力でもない。……いや、このような普通の舟の形で宙に浮くはずがない。
わたしが必死になって、自分の中の常識に当てはめようとしては失敗しているうちに、ジオ・マカベを乗せた舟はわたしたちの前まで来て、地面に底を付けた。
「どうせ通り道だ。トヲネも乗りなさい」
「ありがとうございます。そうさせてもらいますね」
なんでもないことのように、ヒィリカとトヲネは舟に乗り込む。そしてわたしに向かって手招きをする。
両手に抱えた服をギュッと握り、ゴクリと唾を飲み込んだ。
よし、乗るぞ。そう意気込んで、わたしは舟の中に足を踏み入れ、女性二人の間に座った。
下方にグッと力がかかってからの、浮遊感。
心の準備をする間もなく、舟は滑るように動き出した。
かなりの速さに、ひゃっ――と叫びそうになった口を押さえる。しかしその恐怖は一瞬だった。速度は出ているが、舟には安定感があることに気づくと、周りを見る余裕が出てくる。
まずは、舟の操縦。
船尾に座るジオ・マカベを見ると、その手に櫂はなく、舟に取り付けられた台上、拳ほどの大きさの光る石に触れている。石は黄みがかった緑色で、複雑な紋様が描かれているのが見えた。
ジオ・マカベが手を動かすたびに、石からはキラキラと光の粒が舞う。色は違うけれども、泉で見た光の粒と動きかたが似ている気がする。
……これが魔法、なのかな。
そう納得してしまえば、いちいち驚かなくて済む。
わたしはひとり頷き、今度は舟の外を見てみることにした。
灯りがぶら下がっているため、森の中は明るい。木々が綺麗に並んでいることも相まって、少し遠くまで見通すことができるのだ。ヒィリカは森の中に家があると言っていたが、しかし、どこにも家らしきものは見当たらなかった。
「この辺りには誰も住んでいないのですか?」
今日は一日中話していたので、わたしは気軽に質問できるようになっていた。何気なくそう訊くと、ヒィリカはなにを言われたのかわからないというふうに目を瞬く。それから、あぁ、と微笑んだ。
「これはすべて家ですよ。木の中に住んでいるのです」
「……え?」
予想もしていなかった答えに、一瞬固まる。
「そ、そうですか……」
なんとか絞り出した反応はそれだけで、わたしは必死に思考を巡らせた。
木の中、ということは、洞穴で生活するようなものだろうか。それは何だか原始的に思えて、これまでの彼らの印象との違いに困惑する。
荷車やこの舟での移動も快適だったので、家も同じようなものだろうと勝手に想像していた。……いや、意識にすら上らなかった。それに、音楽に対する意識や、服や食事へのこだわりなどを考えると、とてもそのような生活をしているとは思えないのだ。
考えている間に、かなり奥まで来たようだ。だんだん木がまばらになってきて、少し暗いが、それでもジオ・マカベは迷うことなく進んでいく。
木の数と反比例して、その大きさが変化していることに気づいた辺りで、舟は止まった。
「送ってくださりありがとうございます、ジオ・マカベ。……ヒィリカ様。披露会、楽しみにしていますね」
暗がりに、トヲネの白っぽい姿が浮かび上がっている。彼女はふわりと布を揺らしながら、ある大きな木の幹の向こう側へと消えた。
更に進むと、今までに見たどの木よりも大きな木の前に着いた。この先に木の灯りは見えず、森の中心というより、端のように思える。
わたしたちを降ろすと、ジオ・マカベは自分も舟から降りて、外側からあの緑色の石に触れた。
石が光った、と思った瞬間、舟はしゅるりと石の中に消える。……へ? と間抜けな声がわたしの口から漏れたが、これは致しかたないだろう。
「レイン、これを」
ぽかんとしたままのわたしに、ジオ・マカベがなにかを差し出す。
ハッとして受け取ると、それは腕時計のような形をしていた。言われるまま腕に通し、かちりと金属の留め具をはめる。
琥珀色の石が、ぽうっと光った。
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