濡れちゃいそうだよ

kjji

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9月

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 机と椅子が取り払われた教室の中に、ゴミみたいなガラクタが所狭しと置かれている。
 この秋の文化祭でわたしたちのクラスは、バザーを実施することになった。怠惰な人間が多い我がクラスでは、美術の授業で描いた絵などを展示する美術館を開こうと言う案が有力であったが、さすがにそれだと、最初に壁に絵などを張り付けるのと、最後にそれを引っぺがすだけの作業になるので、怠惰すぎると言う理由から先生に却下された。
 それで次に怠惰な、家庭にある不用品などを持ち寄ってバザーを実施すると言う案に収まったのだった。これだと、お会計係の生徒が椅子に座って、お客さんとお金のやり取りをすることになる。
 しかし持ち込まれた品々は、ほんとうにゴミじゃないの? と疑われるほどくたびれ切ったものばかりで、狙い通り、誰も買っていかない。いや、手に取ることさえ、ためらいながら去って行く。
 生徒が交代で十分間、お会計係として、椅子に座るのだが、漫画に読みふける生徒さえいる。それでもまったく問題はない。教室に入ってきた人は、大抵ちらっと室内を見まわしただけで去って行くので、お会計係の机の中に仕舞われた現金皿も、まだからっぽのままだ。
「麗、お疲れ」と言って、次の順番の生徒がわたしの肩を叩いた。
 やっと十分たったか。何もせずに座っていると言うのも、存外疲れるものだ。などと考えながら、しかしわたしは足取りも軽く、三階へと続く階段を登って行く。
 一ノ瀬君のクラスは喫茶店をやることになっている。一ノ瀬君、いるかな。いてもきっと女子にキャッキャッ言われながら、取り巻かれてるんだろうな、とそんなことを考えながら、教室の中を覗いてみると、そこに一ノ瀬君が立っていた。しかし何やら年配のご夫婦と見られる二人と立ち話をしている。いつも一ノ瀬君を取り巻いている女子たちも、少し離れたところで三人の様子を静かに見守っている。はて、どういうこと?
 わたしは耳をそばだてた。一ノ瀬君の口から「オヤジは」と言う単語が飛び出してくる。また「洸」と言っている女の人の声。
 こ、これは、一ノ瀬君のご両親?
 いやだ、一ノ瀬君と結婚したら、このお二人をお父様、お母様と呼ぶことになるのね。
 しかしまずは、一ノ瀬君の家に行って、はじめてご両親と正式に対面するときのことを、あらかじめ想定しておかなければならない。
 たとえば誕生日とかに家に来るように誘われて、わたしはプレゼントを抱えて、一ノ瀬君の家を訪問する。食事が終わって、食器をお母様が片づけ始めると、
「お母様、わたしもお手伝い致しますわ」と、わたしも立ち上がる。
「いいのよ。あなたはお客様なんですから」などと言われても、わたしは食器を手に持って台所に行き、一緒に食器洗いを手伝う。
「ほんとにいいのに」と言われても、ここで引き下がってはいけない。
「お母様の方こそ、ここはわたしに任せて、リビングでお寛ぎください」くらいのことは、言ってもいいだろう。
 お母様も内心、「あら、この子は本当によくできた子ね。この子になら洸を任せても安心ね」などと考える。
 片付けが済んだあと、リビングで談笑したり、ボードゲームに興じたりしながら、時間が過ぎて行く。十時を回ったら、
「そろそろお暇致します」と、わたしから切り出す。
「もう帰ってしまうのかね」と、お父様が引き留める。
「母が心配すると、いけないので」
「ご両親には、こちらから連絡を入れれば、いいでしょう。なあ、おまえ」と、お父様がお母様に言う。
「そうよ。いっそ今日は泊って行ったらどうかしら」
「そうだ、そうしなさい」
「麗さん、それでよろしくて?」
 わたしは戸惑いながら、少しのあいだモジモジとする。
「そうなさいよ」と、お母様に少し強めの口調で言われると、わたしもこくりと頷いて見せる。
「それじゃあ、わたしからご両親に電話するわね。電話番号を教えていただけるかしら」
「あっ、この携帯を使ってください」と答えて、私は家の電話番号を開いた携帯をお母様に渡す。
「それじゃあ、失礼しますね」と言って、お母様は電話をするために席を外す。
「そうだ。麗さん」と、お父様が話かけてくる。「どうせなら、洸の部屋に泊まってはどうだろう」
「えっ、一ノ瀬君の部屋に?」
 わたしは心臓がバクバクしはじめる。
「でも、それは・・・」
「洸もその方がいいだろう」と、お父様。
「僕は構わないけど」
 そんな話をしているうちに、お母様が部屋に戻ってくる。
「お待たせしました。麗さんのご両親の了解が取れましたよ」
 そう言って、わたしに携帯を返す。
「なあ、おまえ、いま麗さんに洸の部屋に泊まってもらったらどうだろうと話していたんだが、おまえはどう思う」
「あら、いやだ。お父さんたら、当り前じゃありませんか。まさか私たちと一緒に寝ろだなんて言えないし、若いひと同士、一緒の部屋で寝た方がいいに決まってるじゃありませんか。ねえ、麗さん」
「は、はあ」
 わたしはその場の雰囲気に押されて、生返事をする。
「あら、いけない。もうこんな時間」と、お母様が時計を見上げて言う。「洸は、明日も朝からテニスの練習があるんだから、もう寝ないといけない時間ですよ。さあ、二人とも早く部屋に入って、おやすみなさい」
 わたしは言われるままに席を立ち、一ノ瀬君の後を追うようにして二階に登る階段の前まで行く。するとお母様が追いかけてきて、わたしの耳元で、わたしにだけ聞こえるくらいの声で、
「頑張って」と言って、わたしの背中をポンと叩く。
 あら、お母様、いったい何を頑張れと仰るの。
 わたしが驚いて振り向くと、お母様は「ふふふっ」と、笑いながら、こちらに背を向けて去って行く。
「麗、この服に着替えろよ」
 部屋に入ると、一ノ瀬君がTシャツを投げてよこす。
「あれ、お袋のやつ、気を利かせて、枕を二つ、並べてくれたのか」
 見ると、ベッドの上には、枕が二つ寄り添うように置かれている。ひとつは無地の白いカバーのかかった大きな枕。もうひとつの枕にはハートのマークのプリントされたカバーがかかっていて、大きさも少し小振りだ。
「おい、どうした? 早く着替えろよ」
「だって、見られてたら、着替えられないよ」
「ああ、そうか。僕もパジャマに着替えるから、二人で背中合わせに着替えよう」
 そんな風にして、わたしたちは無言のまま着替えを済ませる。
「なんだこれ、お袋のやつ、きょうは限って、変なパジャマを置いてったな」
 その声に振り向くと、白地に青いハートのマークを鏤めたパジャマを着て、頭を掻いている一ノ瀬君の姿が眼に飛び込んでくる。そうやって照れているところも、とてもチャーミングだ。
「あーあ、明日も朝練だ」などと言いながら、一ノ瀬君が布団の中に潜り込む。
「あれ、麗、何してるの」
「うん、一ノ瀬君の服、畳んでるの」
「そんなこと、しなくていいよ」
「そうは行かないよ」
 そうは行かない。たとえば明日、わたしが帰ったあと、お母様が部屋に入って、一ノ瀬君の服がちゃんと畳んで置かれているのを見たら、
「まあ、きっと麗さんが畳んだのね。しっかりした娘さんだわ。合格!」って言う話になる。嫁と姑の関係構築は、すでにこの時点から始まっているのだ。
 服を畳み終えると、わたしはベッドの横に立つ。
「どうしたの。早く入れよ」
「はい」と頷いて、わたしはベッドの上に腰かける。
「はやく」と言って、一ノ瀬君がわたしの肩に手をかけて、引き倒す。すぐに私の上に掛け布団が、ふわっと被さってくる。一ノ瀬君の匂いがする。
「じゃあ、おやすみ」
 そう言いながら一ノ瀬君は電灯のリモコンを手に取って、電気を消す。
 ピッ!
 それが試合開始のゴングだ。
 ・・・そんなことを考えていると、いつの間にか水上由美が一ノ瀬君の横に立って、笑顔でご両親と話をし始めた。残念なことに、嫁と姑との良好な関係は、すでに構築済のようだ。
 ご両親と一ノ瀬君と水上由美の、その和やかに会話する様子を眺めていると、とてもそこに自分が割って入れる余地はない。
 由美は原宿でモデル事務所にスカウトされた事があるって言うくらいの美人で、誰が見ても一ノ瀬君の横に立って似合うのは、わたしじゃなくて、由美の方だ。
 誰かの手がわたしの手に触れた。振り向くと杏が立っていた。杏も四人の姿をぼんやりと見ていたが、少しして不意に、
「勝った負けたとぉ、騒ぐじゃないよ~」と、小さな声で口ずさみ始めた。
 おっ、こいつ、案外古い歌を知ってるな。
「一生一度~の」
 いや、それ、なんか別の曲とゴッチャになってる。
「一生一度お~、お~、の~、花~が咲く」
 花は咲かない。まったく違ってる。誰の歌?
 しかし杏はそこまで口ずさむと満足したのか、少しのあいだ黙っていたが、最後に
「現実は妄想みたいに甘くはないって言うことか」と、妙に冷めた口調で呟くと、その場から去って行った。
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