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美しい手のひら返し
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皇族である楊太師は、神獣が見える人だった。
そのため明らかに私に懐いているバクちゃんを見て、とうとうこの一連の話が本当だったのだと確信したようだった。
その後楊太師はうっすら涙を浮かべて私と優駿の手をとり、よく生きていてくれたと何度も何度も言った。そして父さまにも、よくぞ娘を最後まで大切にしてくれたと、幸せな人生を送らせてくれたと心から感謝を伝えたのだった。
そして。
「周貴妃さまよりも皇族としての血も濃く、しかもたいへんお美しく、その上皇帝陛下をお助けする才覚にもあふれた王淑妃さまほど、皇帝陛下に相応しい方はいらっしゃいません」
と、その場で今までの主張を完全に反転させたのだった。
さすが政治家。うん、感心した……。
ただ問題なのは、このままでは母が生き残ってその後皇女を産んでいたという事実を公表できないことだった。
毒杯では死にきらず、後から生き返ったことにするのか。
しかしそれも証明がどこまで出来るものなのか。
単に楊太師が何かの利益のためにそういう話をでっち上げて、主張を変えただけに見えるのではないか。
最悪成金の娘がとうとう楊太師の買収に成功した、そう言われてもおかしくはない。でも。
「まあ、別に私はそれでもいいかな」
私は相変わらず足しげく通ってくる白龍と夕飯をいただきながら、明るく言った。
だってもともと生まれなんて知らなかったし、今でも私の自意識は商人の娘なのだ。
そしてそれを恥じる気持ちなんて欠片もない。
だからそこに「実は皇女でしたって、本当か? 嘘っぽいよな」と噂されようとも、別に私としては痛くもかゆくもない。
何の実感もないのだから。
そして白龍も、なんだかさっぱりしているのだった。
「まあな、実は俺もそれでいいかなって。お前を皇后に迎えられるなら、理由なんてどうでもいいし。要はじじいたちの反対がなければそれでいい、それだけだ。あとは楊太師が周皇太后に御璽を返すように説得するらしいから、それで返ってくれば万々歳だな」
「返ってくればね。でも、返ってくるかな」
楊太師の申し出はありがたいけれど、でもすんなり行くような気は全然しなかった。
だって周皇太后って、御璽をたてに娘を皇后にしろって皇帝に迫る人なのよ。きっと娘を皇后にするためには何でもするくらいの覚悟をしていそう。
白龍にそう言うと、
「まあ普通なら難しいだろうな。ただ周親子にとっては、今楊太師の事実上の後見がなくなったら他にはもう頼る先がない。周家は金はあるが医師の家系で今は政治的にはほぼ無力なんだ。楊太師には跡取りがいないから、後援を息子に引き継いでもらうことも出来ない。それもあって桜花の立后を焦っているんだろう。となると、今後の援助と保護を引き換えに返す可能性もないわけではない」
ま、楊太師次第だな、と白龍は言った。
なるほど、楊太師が失脚もしくは寿命を迎えるのが先か、それとも娘を皇后にするのが先か。
周皇太后もなかなかスリリングな人生を歩んでおられるな。
「無理矢理取り返すわけにも行かないしねえ……」
と、ポツリと私が言うと。
「は? 俺を誰だと思ってる。皇帝だぞ。無理矢理取り返すことは出来る。禁軍を動かすのは御璽がなくても出来るから多分一瞬だ。ただその時は周皇太后を大罪人として処刑することになるから、桜花も連座で死罪になる。さすがに俺も、何の罪もない桜花まで死なせるのには躊躇している。穏便に取り返せるなら穏便に済ませたい」
「たしかに、二度も結婚した自分の奥さんだもんね」
ええ忘れてはいませんよ。
たとえ本当にずっと白龍にそんな気持ちはなかったのだと知った今でも、だからといってその事実が簡単に忘れられるかといったらそれもなかなか難しかった。狭量? そうですね。否定はしない。
「……まあ、長い付き合いの記憶はあるからな。情は捨てきれない。それに俺が見たところ、桜花は単に母親の言いなりになっているだけで、おそらく何も知らされていない」
ちょっと居心地悪そうにそう言う白龍である。
まあ、その気持ちもわからなくはないのだ。小さい時からよく知っている何の罪もない人を、自分の命令で死なせるようなことは私だってしたくないと思うだろう。
私も、たとえば子供の頃からよく知っている長年の付き合いの商人や友人が巻き添えで死ぬとなったら、きっと全力で抵抗するしな。
私にも昔なじみの人たちとの思い出がたくさんあるように、この人にも周貴妃とのたくさんの思い出がある。それも人生二回分の。
……ほんと私は、なんでこんな複雑な相手を好きなんだろうな……。
「きゅっ?」
バクちゃんが私を見上げて、ちょっと心配そうに鳴いた。
そして私の体と腕の間にずいずいと頭を突っ込んできてから、私にぴったりと寄り添う。
なんだか私がちょっと元気がないのに気がついて、心配してくれているように見えて嬉しかった。
最近のバクちゃんは、私の目にはもうほぼ実体化して見えていた。だから今も私の腕の下にはなめらかでつやつやとした毛皮の感触を感じている。
李夏さまのお妃教育で山ほどの情報を頭にたたき込まれている中に、神獣はその主と決めた人物とのつながりが強くなると、触れることが出来るようになるのだという話があった。
だからきっと、私とバクちゃんの絆が強くなっているのだろう。
あの李夏さまと、壁になって私を跳ね飛ばした妖狐の紺のように。
あの李夏さまと強固なつながり……うん紺も苦労していそうだな。
なんてつい遠い目をしてしまった時、そんな私に気がついているのかいないのか、突然白龍は明るい声で言ったのだった。
そのため明らかに私に懐いているバクちゃんを見て、とうとうこの一連の話が本当だったのだと確信したようだった。
その後楊太師はうっすら涙を浮かべて私と優駿の手をとり、よく生きていてくれたと何度も何度も言った。そして父さまにも、よくぞ娘を最後まで大切にしてくれたと、幸せな人生を送らせてくれたと心から感謝を伝えたのだった。
そして。
「周貴妃さまよりも皇族としての血も濃く、しかもたいへんお美しく、その上皇帝陛下をお助けする才覚にもあふれた王淑妃さまほど、皇帝陛下に相応しい方はいらっしゃいません」
と、その場で今までの主張を完全に反転させたのだった。
さすが政治家。うん、感心した……。
ただ問題なのは、このままでは母が生き残ってその後皇女を産んでいたという事実を公表できないことだった。
毒杯では死にきらず、後から生き返ったことにするのか。
しかしそれも証明がどこまで出来るものなのか。
単に楊太師が何かの利益のためにそういう話をでっち上げて、主張を変えただけに見えるのではないか。
最悪成金の娘がとうとう楊太師の買収に成功した、そう言われてもおかしくはない。でも。
「まあ、別に私はそれでもいいかな」
私は相変わらず足しげく通ってくる白龍と夕飯をいただきながら、明るく言った。
だってもともと生まれなんて知らなかったし、今でも私の自意識は商人の娘なのだ。
そしてそれを恥じる気持ちなんて欠片もない。
だからそこに「実は皇女でしたって、本当か? 嘘っぽいよな」と噂されようとも、別に私としては痛くもかゆくもない。
何の実感もないのだから。
そして白龍も、なんだかさっぱりしているのだった。
「まあな、実は俺もそれでいいかなって。お前を皇后に迎えられるなら、理由なんてどうでもいいし。要はじじいたちの反対がなければそれでいい、それだけだ。あとは楊太師が周皇太后に御璽を返すように説得するらしいから、それで返ってくれば万々歳だな」
「返ってくればね。でも、返ってくるかな」
楊太師の申し出はありがたいけれど、でもすんなり行くような気は全然しなかった。
だって周皇太后って、御璽をたてに娘を皇后にしろって皇帝に迫る人なのよ。きっと娘を皇后にするためには何でもするくらいの覚悟をしていそう。
白龍にそう言うと、
「まあ普通なら難しいだろうな。ただ周親子にとっては、今楊太師の事実上の後見がなくなったら他にはもう頼る先がない。周家は金はあるが医師の家系で今は政治的にはほぼ無力なんだ。楊太師には跡取りがいないから、後援を息子に引き継いでもらうことも出来ない。それもあって桜花の立后を焦っているんだろう。となると、今後の援助と保護を引き換えに返す可能性もないわけではない」
ま、楊太師次第だな、と白龍は言った。
なるほど、楊太師が失脚もしくは寿命を迎えるのが先か、それとも娘を皇后にするのが先か。
周皇太后もなかなかスリリングな人生を歩んでおられるな。
「無理矢理取り返すわけにも行かないしねえ……」
と、ポツリと私が言うと。
「は? 俺を誰だと思ってる。皇帝だぞ。無理矢理取り返すことは出来る。禁軍を動かすのは御璽がなくても出来るから多分一瞬だ。ただその時は周皇太后を大罪人として処刑することになるから、桜花も連座で死罪になる。さすがに俺も、何の罪もない桜花まで死なせるのには躊躇している。穏便に取り返せるなら穏便に済ませたい」
「たしかに、二度も結婚した自分の奥さんだもんね」
ええ忘れてはいませんよ。
たとえ本当にずっと白龍にそんな気持ちはなかったのだと知った今でも、だからといってその事実が簡単に忘れられるかといったらそれもなかなか難しかった。狭量? そうですね。否定はしない。
「……まあ、長い付き合いの記憶はあるからな。情は捨てきれない。それに俺が見たところ、桜花は単に母親の言いなりになっているだけで、おそらく何も知らされていない」
ちょっと居心地悪そうにそう言う白龍である。
まあ、その気持ちもわからなくはないのだ。小さい時からよく知っている何の罪もない人を、自分の命令で死なせるようなことは私だってしたくないと思うだろう。
私も、たとえば子供の頃からよく知っている長年の付き合いの商人や友人が巻き添えで死ぬとなったら、きっと全力で抵抗するしな。
私にも昔なじみの人たちとの思い出がたくさんあるように、この人にも周貴妃とのたくさんの思い出がある。それも人生二回分の。
……ほんと私は、なんでこんな複雑な相手を好きなんだろうな……。
「きゅっ?」
バクちゃんが私を見上げて、ちょっと心配そうに鳴いた。
そして私の体と腕の間にずいずいと頭を突っ込んできてから、私にぴったりと寄り添う。
なんだか私がちょっと元気がないのに気がついて、心配してくれているように見えて嬉しかった。
最近のバクちゃんは、私の目にはもうほぼ実体化して見えていた。だから今も私の腕の下にはなめらかでつやつやとした毛皮の感触を感じている。
李夏さまのお妃教育で山ほどの情報を頭にたたき込まれている中に、神獣はその主と決めた人物とのつながりが強くなると、触れることが出来るようになるのだという話があった。
だからきっと、私とバクちゃんの絆が強くなっているのだろう。
あの李夏さまと、壁になって私を跳ね飛ばした妖狐の紺のように。
あの李夏さまと強固なつながり……うん紺も苦労していそうだな。
なんてつい遠い目をしてしまった時、そんな私に気がついているのかいないのか、突然白龍は明るい声で言ったのだった。
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