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逃げる?
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「今宵も主上のお渡りがあります。素晴らしいご寵愛ですね」
そんな風に嬉しそうに言う翠蘭には悪いけど、ここ何日も悩んだ末に、私は逃げる以外に解決手段はないと結論づけていた。
私はあいつの愛人として生きるくらいなら、ただの友人でいたい。最悪あいつに恨まれようとも、その方がいい。
散々悩んで出した結論。きっとこのままの状態で一線を越えたら、私は一生後悔するだろう。
だからとうとう、私は父さまに手紙を書いた。
ただ一言。
助けて、と。
「きゅっ?」
そう鳴きながら私に擦り寄るバクちゃんは今日もかわいい。
この昭儀の宮に来てからも、相変わらずバクちゃんは私と一緒にいてくれる。
いつのまにか、私の周りは私に仕える女官や宦官ばかりになっていた。全員が、かつて私を下に見ていたあの人たちより立場が上の人たちばかりだ。
だからバクちゃんは、今私の周りにいる誰よりも私との付き合いが長い存在になっていた。
ほんとうに、いつの間に。
すっかり情も移ってかけがえのない存在になってしまった感がある。
だけれどもし私がこの後宮から出て行ったら、バクちゃんは憑いてこない気もしている。
本来なら神獣は皇族に憑くものらしいから、きっと皇帝がいるこの皇宮からは出ないだろうと思うのだ。
でもそれはしょうがないね。きっとバクちゃんは、一時的な神様からの借り物なのだ。二回も生まれ変わった私に神様が同情してくれたのかもしれない。
それか私が見る悪夢がよほど美味しかったか。
「バクちゃん、私がここからいなくなっても、もしあいつが悪夢を見ていたら食べてやってね」
そういえば、あいつが来ているときは姿を消すな、この子。
もしかして皇帝が嫌いなのかな?
多分だけど、私が奴と再会してからは、今まで見ていたあの悪夢は見なくなった。
最初はバクちゃんが食べたのかと思ったけれど、昨夜久しぶりに見た夢は全然違う夢だったから、きっとあの夢は見ていない。
毎日のように見る奴の笑顔が、あの夢を蹴散らしてくれているような気がして複雑な気分ではあるが。
そう、毎日来るのである。
これは裏では李夏さま以下沢山の女官や宦官が大わらわかもしれないな。
なにしろ表向きは毎日の「お渡り」なのだから。
などと、かつての職場に想いを馳せてしまう。
今では綺麗な宮の中で、そんなバタバタなんて微塵も感じることができなくなってしまったけれど。
そして奴は今日も、涼しい顔でいそいそと姿を現すのだ。
まるで仕事に疲れた普通の男が家に帰ってくるように。
「今日は何してた?」
そんなことを聞きつつ、はーやれやれと夕食の席につくその姿はあまり皇帝らしくない。
「特になにも。本を読んだりバクちゃんと遊んだり。そういえば今日は呉徳妃にお呼ばれしてお茶をいただきましたね」
実は呉徳妃にまた新刊が欲しいとねだられたことは言わないでおく。
呉徳妃の趣味をこの人に言ってもいいのかわからないから。
そしてすかさずそれを察知した李夏さまからも、催促するような期待するような目でしつこく見られたことも言わない。
だって李夏さまの趣味を以下同文。
それにしても呉徳妃は、私が出世して四夫人のすぐ下、九嬪の筆頭である昭儀になったことに悪印象を持つどころかなぜか喜んでくれた。
そしてどうも皇帝の表向き熱愛発覚にすっかり夢中のようである。
「やっぱり主上は熱い視線で王昭儀のことを見たりするのですか? そして甘い言葉を贈るのですか!? 一体どんなことをおっしゃるのでしょう……! 主上の熱愛のご様子をこの目でぜひ見てみたいものですわ! ああ私、その場所の壁になりたい」
などと、すっかり第三者的な立場で観察希望の呉徳妃なのだ。
そして、きっと恋愛小説のような熱い恋を主上はされているのですね! とか言って盛り上がっている。
……いいのだろうか? 仮にも徳妃さまがそういう姿勢で。
とは思うものの、仲良くしてくださるのはありがたかった。
考えてみたら私たち上級妃は下級妃とあまり接点はないし、お互い普段話す相手は自分の女官くらいで対等なお友達もいないのだ。
なので、私は正直に言うとちょっと嬉しかった。
なにしろ他には上級妃はあの周貴妃しかいないのだから。
周貴妃は他の妃嬪と仲良くする気はないようで、誰かを呼んだりもしなければ自分の宮から出てくることもない。
だから周貴妃とは仲良くし……なくていいよね……?
しかしその周貴妃は、貴妃宮の中で何を思っているのだろう。
そんなことをつい思う夜。
全ての原因というか中心である目の前の男は、今日も脳天気にご馳走に舌鼓をうっている。
「それにしてもなんで毎日来るかな」
「あ? 会いたいからに決まってんだろ」
「ここに来ても私は何もしないし、楽しいことも何もありませんよ」
「別にお前がいて、こうして飯があればそれでいい」
少々困惑気味の私としれっとした皇帝陛下。
そういえばこの人の今の名前は、始白龍というのだそうだ。
顔も性格も態度も声も、全部昔のままなのに、名前と立場だけが昔とは全然違う人。
「じゃあ食べたら帰る? それなら歓待しますよ。昔話ももう二人でしか出来ないしねえ」
「はあ? もちろん泊まっていくに決まってるだろ。俺はここに寝に来てるんだぞ」
「だったら客間の方がゆっくり休めるのでは? ご用意しましょうか?」
「皇帝を客間に通そうとはお前、なかなか度胸があるな? もちろんお断りだ!」
そんな無駄口をたたきながらいただくご飯にも慣れつつあって、その楽しさが危険だと思う。
私が後宮を出たら、きっと懐かしく思い出すんだろうなあ……。
そんな風に嬉しそうに言う翠蘭には悪いけど、ここ何日も悩んだ末に、私は逃げる以外に解決手段はないと結論づけていた。
私はあいつの愛人として生きるくらいなら、ただの友人でいたい。最悪あいつに恨まれようとも、その方がいい。
散々悩んで出した結論。きっとこのままの状態で一線を越えたら、私は一生後悔するだろう。
だからとうとう、私は父さまに手紙を書いた。
ただ一言。
助けて、と。
「きゅっ?」
そう鳴きながら私に擦り寄るバクちゃんは今日もかわいい。
この昭儀の宮に来てからも、相変わらずバクちゃんは私と一緒にいてくれる。
いつのまにか、私の周りは私に仕える女官や宦官ばかりになっていた。全員が、かつて私を下に見ていたあの人たちより立場が上の人たちばかりだ。
だからバクちゃんは、今私の周りにいる誰よりも私との付き合いが長い存在になっていた。
ほんとうに、いつの間に。
すっかり情も移ってかけがえのない存在になってしまった感がある。
だけれどもし私がこの後宮から出て行ったら、バクちゃんは憑いてこない気もしている。
本来なら神獣は皇族に憑くものらしいから、きっと皇帝がいるこの皇宮からは出ないだろうと思うのだ。
でもそれはしょうがないね。きっとバクちゃんは、一時的な神様からの借り物なのだ。二回も生まれ変わった私に神様が同情してくれたのかもしれない。
それか私が見る悪夢がよほど美味しかったか。
「バクちゃん、私がここからいなくなっても、もしあいつが悪夢を見ていたら食べてやってね」
そういえば、あいつが来ているときは姿を消すな、この子。
もしかして皇帝が嫌いなのかな?
多分だけど、私が奴と再会してからは、今まで見ていたあの悪夢は見なくなった。
最初はバクちゃんが食べたのかと思ったけれど、昨夜久しぶりに見た夢は全然違う夢だったから、きっとあの夢は見ていない。
毎日のように見る奴の笑顔が、あの夢を蹴散らしてくれているような気がして複雑な気分ではあるが。
そう、毎日来るのである。
これは裏では李夏さま以下沢山の女官や宦官が大わらわかもしれないな。
なにしろ表向きは毎日の「お渡り」なのだから。
などと、かつての職場に想いを馳せてしまう。
今では綺麗な宮の中で、そんなバタバタなんて微塵も感じることができなくなってしまったけれど。
そして奴は今日も、涼しい顔でいそいそと姿を現すのだ。
まるで仕事に疲れた普通の男が家に帰ってくるように。
「今日は何してた?」
そんなことを聞きつつ、はーやれやれと夕食の席につくその姿はあまり皇帝らしくない。
「特になにも。本を読んだりバクちゃんと遊んだり。そういえば今日は呉徳妃にお呼ばれしてお茶をいただきましたね」
実は呉徳妃にまた新刊が欲しいとねだられたことは言わないでおく。
呉徳妃の趣味をこの人に言ってもいいのかわからないから。
そしてすかさずそれを察知した李夏さまからも、催促するような期待するような目でしつこく見られたことも言わない。
だって李夏さまの趣味を以下同文。
それにしても呉徳妃は、私が出世して四夫人のすぐ下、九嬪の筆頭である昭儀になったことに悪印象を持つどころかなぜか喜んでくれた。
そしてどうも皇帝の表向き熱愛発覚にすっかり夢中のようである。
「やっぱり主上は熱い視線で王昭儀のことを見たりするのですか? そして甘い言葉を贈るのですか!? 一体どんなことをおっしゃるのでしょう……! 主上の熱愛のご様子をこの目でぜひ見てみたいものですわ! ああ私、その場所の壁になりたい」
などと、すっかり第三者的な立場で観察希望の呉徳妃なのだ。
そして、きっと恋愛小説のような熱い恋を主上はされているのですね! とか言って盛り上がっている。
……いいのだろうか? 仮にも徳妃さまがそういう姿勢で。
とは思うものの、仲良くしてくださるのはありがたかった。
考えてみたら私たち上級妃は下級妃とあまり接点はないし、お互い普段話す相手は自分の女官くらいで対等なお友達もいないのだ。
なので、私は正直に言うとちょっと嬉しかった。
なにしろ他には上級妃はあの周貴妃しかいないのだから。
周貴妃は他の妃嬪と仲良くする気はないようで、誰かを呼んだりもしなければ自分の宮から出てくることもない。
だから周貴妃とは仲良くし……なくていいよね……?
しかしその周貴妃は、貴妃宮の中で何を思っているのだろう。
そんなことをつい思う夜。
全ての原因というか中心である目の前の男は、今日も脳天気にご馳走に舌鼓をうっている。
「それにしてもなんで毎日来るかな」
「あ? 会いたいからに決まってんだろ」
「ここに来ても私は何もしないし、楽しいことも何もありませんよ」
「別にお前がいて、こうして飯があればそれでいい」
少々困惑気味の私としれっとした皇帝陛下。
そういえばこの人の今の名前は、始白龍というのだそうだ。
顔も性格も態度も声も、全部昔のままなのに、名前と立場だけが昔とは全然違う人。
「じゃあ食べたら帰る? それなら歓待しますよ。昔話ももう二人でしか出来ないしねえ」
「はあ? もちろん泊まっていくに決まってるだろ。俺はここに寝に来てるんだぞ」
「だったら客間の方がゆっくり休めるのでは? ご用意しましょうか?」
「皇帝を客間に通そうとはお前、なかなか度胸があるな? もちろんお断りだ!」
そんな無駄口をたたきながらいただくご飯にも慣れつつあって、その楽しさが危険だと思う。
私が後宮を出たら、きっと懐かしく思い出すんだろうなあ……。
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