上 下
33 / 73

逃げる?

しおりを挟む
「今宵も主上のお渡りがあります。素晴らしいご寵愛ですね」

 そんな風に嬉しそうに言う翠蘭には悪いけど、ここ何日も悩んだ末に、私は逃げる以外に解決手段はないと結論づけていた。

 私はあいつの愛人として生きるくらいなら、ただの友人でいたい。最悪あいつに恨まれようとも、その方がいい。

 散々悩んで出した結論。きっとこのままの状態で一線を越えたら、私は一生後悔するだろう。

 だからとうとう、私は父さまに手紙を書いた。
 ただ一言。

 助けて、と。


「きゅっ?」

 そう鳴きながら私に擦り寄るバクちゃんは今日もかわいい。
 この昭儀の宮に来てからも、相変わらずバクちゃんは私と一緒にいてくれる。

 いつのまにか、私の周りは私に仕える女官や宦官ばかりになっていた。全員が、かつて私を下に見ていたあの人たちより立場が上の人たちばかりだ。
 だからバクちゃんは、今私の周りにいる誰よりも私との付き合いが長い存在になっていた。

 ほんとうに、いつの間に。
 すっかり情も移ってかけがえのない存在になってしまった感がある。

 だけれどもし私がこの後宮から出て行ったら、バクちゃんは憑いてこない気もしている。
 本来なら神獣は皇族に憑くものらしいから、きっと皇帝がいるこの皇宮からは出ないだろうと思うのだ。

 でもそれはしょうがないね。きっとバクちゃんは、一時的な神様からの借り物なのだ。二回も生まれ変わった私に神様が同情してくれたのかもしれない。

 それか私が見る悪夢がよほど美味しかったか。

「バクちゃん、私がここからいなくなっても、もしあいつが悪夢を見ていたら食べてやってね」

 そういえば、あいつが来ているときは姿を消すな、この子。
 もしかして皇帝が嫌いなのかな?

 多分だけど、私が奴と再会してからは、今まで見ていたあの悪夢は見なくなった。
 最初はバクちゃんが食べたのかと思ったけれど、昨夜久しぶりに見た夢は全然違う夢だったから、きっとあの夢は見ていない。

 毎日のように見る奴の笑顔が、あの夢を蹴散らしてくれているような気がして複雑な気分ではあるが。

 そう、毎日来るのである。

 これは裏では李夏さま以下沢山の女官や宦官が大わらわかもしれないな。
 なにしろ表向きは毎日の「お渡り」なのだから。

 などと、かつての職場に想いを馳せてしまう。
 今では綺麗な宮の中で、そんなバタバタなんて微塵も感じることができなくなってしまったけれど。

 そして奴は今日も、涼しい顔でいそいそと姿を現すのだ。
 まるで仕事に疲れた普通の男が家に帰ってくるように。

「今日は何してた?」

 そんなことを聞きつつ、はーやれやれと夕食の席につくその姿はあまり皇帝らしくない。

「特になにも。本を読んだりバクちゃんと遊んだり。そういえば今日は呉徳妃にお呼ばれしてお茶をいただきましたね」

 実は呉徳妃にまた新刊が欲しいとねだられたことは言わないでおく。
 呉徳妃の趣味をこの人に言ってもいいのかわからないから。
 そしてすかさずそれを察知した李夏さまからも、催促するような期待するような目でしつこく見られたことも言わない。
 だって李夏さまの趣味を以下同文。

 それにしても呉徳妃は、私が出世して四夫人のすぐ下、九嬪の筆頭である昭儀になったことに悪印象を持つどころかなぜか喜んでくれた。

 そしてどうも皇帝の表向き熱愛発覚にすっかり夢中のようである。

「やっぱり主上は熱い視線で王昭儀のことを見たりするのですか? そして甘い言葉を贈るのですか!? 一体どんなことをおっしゃるのでしょう……! 主上の熱愛のご様子をこの目でぜひ見てみたいものですわ! ああ私、その場所の壁になりたい」

 などと、すっかり第三者的な立場で観察希望の呉徳妃なのだ。
 そして、きっと恋愛小説のような熱い恋を主上はされているのですね! とか言って盛り上がっている。

 ……いいのだろうか? 仮にも徳妃さまがそういう姿勢で。

 とは思うものの、仲良くしてくださるのはありがたかった。
 考えてみたら私たち上級妃は下級妃とあまり接点はないし、お互い普段話す相手は自分の女官くらいで対等なお友達もいないのだ。

 なので、私は正直に言うとちょっと嬉しかった。
 なにしろ他には上級妃はあの周貴妃しかいないのだから。

 周貴妃は他の妃嬪と仲良くする気はないようで、誰かを呼んだりもしなければ自分の宮から出てくることもない。

 だから周貴妃とは仲良くし……なくていいよね……?

 しかしその周貴妃は、貴妃宮の中で何を思っているのだろう。

 そんなことをつい思う夜。
 全ての原因というか中心である目の前の男は、今日も脳天気にご馳走に舌鼓をうっている。

「それにしてもなんで毎日来るかな」
「あ? 会いたいからに決まってんだろ」

「ここに来ても私は何もしないし、楽しいことも何もありませんよ」
「別にお前がいて、こうして飯があればそれでいい」

 少々困惑気味の私としれっとした皇帝陛下。
 そういえばこの人の今の名前は、始白龍というのだそうだ。
 顔も性格も態度も声も、全部昔のままなのに、名前と立場だけが昔とは全然違う人。

「じゃあ食べたら帰る? それなら歓待しますよ。昔話ももう二人でしか出来ないしねえ」
「はあ? もちろん泊まっていくに決まってるだろ。俺はここに寝に来てるんだぞ」
「だったら客間の方がゆっくり休めるのでは? ご用意しましょうか?」
「皇帝を客間に通そうとはお前、なかなか度胸があるな? もちろんお断りだ!」

 そんな無駄口をたたきながらいただくご飯にも慣れつつあって、その楽しさが危険だと思う。

 私が後宮を出たら、きっと懐かしく思い出すんだろうなあ……。
しおりを挟む
感想 47

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

王宮に薬を届けに行ったなら

佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。 カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。 この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。 慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。 弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。 「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」 驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。 「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

妹と人生を入れ替えました〜皇太子さまは溺愛する相手をお間違えのようです〜

鈴宮(すずみや)
恋愛
「俺の妃になって欲しいんだ」  従兄弟として育ってきた憂炎(ゆうえん)からそんなことを打診された名家の令嬢である凛風(りんふぁ)。  実は憂炎は、嫉妬深い皇后の手から逃れるため、後宮から密かに連れ出された現皇帝の実子だった。  自由を愛する凛風にとって、堅苦しい後宮暮らしは到底受け入れられるものではない。けれど憂炎は「妃は凛風に」と頑なで、考えを曲げる様子はなかった。  そんな中、凛風は双子の妹である華凛と入れ替わることを思い付く。華凛はこの提案を快諾し、『凛風』として入内をすることに。  しかし、それから数日後、今度は『華凛(凛風)』に対して、憂炎の補佐として出仕するようお達しが。断りきれず、渋々出仕した華凛(凛風)。すると、憂炎は華凛(凛風)のことを溺愛し、籠妃のように扱い始める。  釈然としない想いを抱えつつ、自分の代わりに入内した華凛の元を訪れる凛風。そこで凛風は、憂炎が入内以降一度も、凛風(華凛)の元に一度も通っていないことを知る。 『だったら最初から『凛風』じゃなくて『華凛』を妃にすれば良かったのに』  憤る凛風に対し、華凛が「三日間だけ元の自分戻りたい」と訴える。妃の任を押し付けた負い目もあって、躊躇いつつも華凛の願いを聞き入れる凛風。しかし、そんな凛風のもとに憂炎が現れて――――。

外では氷の騎士なんて呼ばれてる旦那様に今日も溺愛されてます

刻芦葉
恋愛
王国に仕える近衛騎士ユリウスは一切笑顔を見せないことから氷の騎士と呼ばれていた。ただそんな氷の騎士様だけど私の前だけは優しい笑顔を見せてくれる。今日も私は不器用だけど格好いい旦那様に溺愛されています。

【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?

氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。 しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。 夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。 小説家なろうにも投稿中

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

【完結】妹に全部奪われたので、公爵令息は私がもらってもいいですよね。

曽根原ツタ
恋愛
 ルサレテには完璧な妹ペトロニラがいた。彼女は勉強ができて刺繍も上手。美しくて、優しい、皆からの人気者だった。  ある日、ルサレテが公爵令息と話しただけで彼女の嫉妬を買い、階段から突き落とされる。咄嗟にペトロニラの腕を掴んだため、ふたり一緒に転落した。  その後ペトロニラは、階段から突き落とそうとしたのはルサレテだと嘘をつき、婚約者と家族を奪い、意地悪な姉に仕立てた。  ルサレテは、妹に全てを奪われたが、妹が慕う公爵令息を味方にすることを決意して……?  

処理中です...