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李夏さまと私
しおりを挟む「……春麗、一体これはなんなんです?」
「辞表です」
ぜえはあぜえはあ。
全速力で部屋に戻った私は、身の回りの貴重品だけを持って辞表をなぐり書き、そしてまた全速力で李夏さまの執務室に駆け込んだのだった。
「この走り書きが?」
李夏さまが私のあまりの状態に面食らっているようだけれど、関係ない。
汗だくだろうが取り乱していようが、そんなことはもう私にはどうでもよかった。
とにかくここから一刻も早く逃げ出さなければ。まさかここが奴の愛の巣だったなんて!
もうただそのことだけが私の頭の中を渦巻いていた。
今まで奴の後宮の中にいたなんて。
もはや認めるのも苦痛なこの事実がわかってしまったからには、もう一瞬たりともいたくはなかった。
なんと前の人生よりも、奴の妻が大増殖していた。
なんなの、これは悪夢なの!?
バクちゃん、お願いちゃんと仕事して!?
「急いで書きましたもので、申し訳ありません。ですが私、今この場で後宮を辞めさせていただきます! では! 大変お世話になりましたっ!!」
そう言ってくるりと後ろを向いて、そのまま駆け出す。
が。
「紺、出すな」
李夏さまのその一言で、なぜか李夏さまの妖狐が私の前にするりと回り込んで、ドアを塞ぐように壁に変化したのだった。
妖狐の壁に激突する私。
私を見つめる壁についた目が、ちょっとだけ申し訳なさそうにしていた。
妖狐って、実体化もできるの!?
ずるくない!?
しかしそんなことをのんびり考えている暇はない。
「李夏さま……何をするんですか。もう辞表は提出しましたから。出してください」
「春麗、私はまだこれを受理するとは言っていませんよ」
「はっ!? 受理してくださいよ!」
「もちろん受理しましょう。お渡りの後でね」
李夏さまは、いつもと変わらぬ天女の微笑みのまま言った。
綺麗な顔で何を言ってるんだこの人。
「はい? お渡りは終わったのでは?」
「いいえ、先ほど夜のお渡りが決まりました」
夜!? あいつの、夜!?
「へ……へえ良かったですね! じゃあ後継問題ももうすぐ解消ですね!! でも今後の李夏さまのお手伝いの仕事は誰かにお願いしてください。大丈夫、私もたいした仕事はしていませんから、誰にでも出来ますよ。私は金輪際もうこの後宮でお仕事なんてごめんです!」
私は早口でまくし立てた。
奴が妻を娶るのをお膳立てとか、絶対に嫌!
死んでも嫌だ!!!
そうなるのが嫌で後宮に逃げ込んだはずなのに……。
私はぽろっと涙がこぼれそうになるのをぐっとこらえて李夏さまを睨んだ。
だってそうしていなけれは、涙がこぼれ落ちそうだったから。
なのに李夏さまの表情はピクリとも変わらない。
いや心なしか嬉しそうでもあって、私は意味もなく腹が立った。
「そうですね。後継問題の解消、ぜひ頑張ってください。皇帝陛下のお目に止まるとはさすが春麗。なんと光栄なことでしょう」
「………………はい?」
「今夜の、皇帝陛下のお渡りの相手はあなたです」
「は? そんなこといつ言ってました……?」
言っていたら私、今頃辞表も書かずに逃げてるはずだけど?
そんな私を見て、李夏さまが天女の微笑みのまましれっと言った。
「いちいち言う必要はないのですよ。あなたを見てから、私を呼ぶ。それで決定です。知らなかったのですか?」
知らなかったです!!
「お断りします!!」
あいつ!!
後宮に目覚めたと思ったら、もう手当たり次第か?
それとも妃嬪に手を出す前の練習か!?
ちょっと見かけた獏をつれた珍しい女にその日のうちに手を出すとか、なんて奴なの!
「ですからあなたは断る立場にはないのですよ。宦官と女官を手配しましたから、皇帝陛下には誠心誠意お仕えしてくださいね。それがあなたの今日のお仕事です」
「嫌ああぁぁーーーー! お断りしますってばーーー!!」
しかし暴れる私を宦官たちは軽々と抑えつけ、風呂に化粧にと引き回されたのだった……。
後宮、なんてところなの……。
女の権利なんて全くありゃしない。
私は後宮に来ることを決めたかつての自分を心底呪った。
せめて今の皇帝がどんな人なのかくらい調べてから来るべきだったのだ。
ほんとバカだったよ私……。
どんなに泣いても叫んでも、ここには助けてくれる人なんて一人もいないのだった。
そして泣きながらも気づいたのは、このまま皇帝のお手つきなんてことになったら妃嬪になってしまうという未来。
簡単に辞めて帰れなくなる上に、他の女とあいつの寵を争う何番目、いや何百番目かの妻になるということ……。
そんなのは嫌だ! 絶対に、絶対に嫌だ!!
「バクちゃん! なんとかして! 私を助けて! 李夏さま! 李夏さま後生です私を助けて~~~!!」
そんな風に泣き叫ぶ私に、李夏さまがいつもと変わらぬ天女の微笑みのまま言ったのは。
「何を今更。そもそも私があなたを拾ったのも、このためじゃあないですか。せいぜい寵愛してもらってください。私の献上した娘が寵妃になれば、私の地位も出世も安泰なのですから」
そうだった! 李夏さまは、出世に全ての人生を賭けている人だった!!
そうかこうやって上ってきたのかこの人は……!
そしてとうとう哀れな私は、李夏さまからの捧げ物として布団でぐるぐる巻きにされたまま、皇帝陛下の寝所にぽいっと投げ込まれたのだった。
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