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話が違う
しおりを挟む貴妃宮というところは、その美しくも壮麗な朱の玄関だけでなく、お香のとても良い香りまでもが外まで漂い出ていて、まるで別世界のように美しい所だった。
なんだろうここ、天国の入り口かな?
入り口だけでこの雰囲気ということは、中はさぞかし素晴らしい世界なんだろうな、なんて最初から圧倒される私。
さすが皇族の姫というのは、なんだかいる世界からして上品なのだなと勉強になる。
そしてこの香はどこのなんていう香なのだろうかとも私はつい考えていた。
どこの店が卸しているのだろう?
後宮を辞したら、同じ香は無理でも、似たような香りの香を買いたいな、なんて呑気に考えていた。
でもそれくらい上品で良い香りだった。
それとも呉徳妃さまにも、違う良い香りの香をお勧めしてみるのもあり?
時間があったら香の勉強するのもいいかもしれない。
庶民には縁がなくても、今後金持ち相手なら商売できるかもしれないから。
思わず商人としての思考が女官としての思考を蹴散らしていたその時、とうとう目の前の朱の扉が静かに開かれたのだった。
その場の全員が即座にピリリと緊張する。
李夏さまがすっと礼をしてお出迎えの体勢になった。
私もそんな上司や他の女官たちと一緒になって端で礼をする。
ものものしい雰囲気がしたので、どうやら皇帝が出てきたのだとわかった。
そして皇帝陛下はそのまま上品な衣擦れの音とともに、ゆったりと私の前を通り過ぎ――ようとした、その時だった。
ふと足を止めて、皇帝が言った。
「ほう、夏南、なかなか珍しいのがいるな」
………………!?!?!?
私は皇帝陛下の声を頭を垂れながら聞き、そして固まった。
ずっと頭を下げたままだというのに、なぜか皇帝が私を見て言った気がした。
なぜ……?
なぜ私を見た…………?
どっと全身から冷や汗が噴き出した。
私はその場で逃げ出したい衝動に駆られた。
が、幸いなことに、かろうじて私は自分の立場を忘れなかった。一女官が皇帝陛下の前で取り乱すわけにはいかない。
深々と礼をしたまま固まり続ける私。
でも、普通に礼をしている他の女官と全く変わらないはずなのに、なぜ?
なぜこっちを見た?
と思った時、いつものように私の足下でふらふらとしていたバクちゃんが、どうやら皇帝陛下の方を見てから怯えたように、
「きゅっ」
と鳴いたのだった。
あっ!!
お前か!!
お前がいるからか!!
お前に皇帝が目をとめたのか!!!
―― 一度神獣に認められた人間をおろそかにすることは皇帝陛下が許しません。
かつて李夏さまが言ったその言葉、裏を返せば皇帝は神獣が見えるということだ!
私は気が遠くなりそうになりながらも、ひたすら耐えた。
どのみち今私に口をきく権利はない。
さっきの言葉も李夏さまに向けられたものだから。
「最近拾いまして。なかなか良い仕事をしてくれるので重宝しております」
李夏さまが穏やかに答えている。
はい、拾われました。良い仕事というのは、きっとあの寝室のからくり書架のことですね。
「……ふん」
すると皇帝陛下は納得したのかようやくまた歩き始めたので、私は早く行ってくれと心の底から願ったのだった。
「きゅう~」
だからバクちゃん、大人しくしていてくれ……頼むから今は私の足に擦り寄るんじゃない……。
だが私の不安は的中する。
皇帝が、再度足を止めた気配がした。
そして。
……また私を……見ている気がする…………。
冷や汗が止まらない。そろそろ下着がぐっしょり濡れている気がするぞ。
早く……早くこの場からいなくなってくれ……! 早く行って……!!
私はおそらく人生で一番真剣に、神に祈った。
というのに、なんと信じられないことに李夏さまが私に声をかけた。
「春麗、一緒にいらっしゃい」
「………………はい」
神様! どうして!
まずい、これはまずい。
絶対に顔を上げるまい。
絶対に顔を見られることだけは避けなければ!
私は今まさに、自分の記憶にある中でも最悪の危機に直面していた。
なぜなら――なぜかはさっぱりわからないが――あの私の悪夢の主である「奴」が、この目の前にいる皇帝だったから……!
なんで! 皇帝になってんの!!
話が違う!!
「夏南」
奴はそれはそれは偉そうに李夏さまに声をかけてからまた歩き出した。
懐かしいその声、だけれど口調は命令に慣れた人のもので。
なんで! そんなに偉そうなの!
知ってる! 皇帝だからだね!
泣きたくなった。
後宮に潜伏なんて考えてしまった阿呆な自分に、そして声だけで奴だとわかってしまった自分に。
なーにが「皇帝の純愛」だ。
なーにが「純愛を応援したい」だ!
自分のお花畑な頭に反吐が出る……。
自分の見通しが甘かったことに絶望した。
腐れ縁の威力をうっかり忘れていた自分に腹が立ってしょうがなかった。
なんでこんなところで再会しているの私たち……。
腐れ縁、ああ腐れ縁……。
離れても離れても再会するこの縁は、どうして人生も三回目なのにまだ切れないのか。
私は李夏さまのすぐ後ろ、つまりは皇帝陛下の前を必死に顔を隠しながらぎくしゃくと歩き、そのまま這いつくばるようにして皇帝陛下をお見送りした。
そして皇帝が扉の外に消えた瞬間、私は全速力で自室へと走ったのだった。
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