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踏み躙られてこそ花は香る
18
しおりを挟む意識を落としたらしい楓を腕に抱えなおし、いや、その顔を姿を、自分の腕に抱え込んで隠した男は笑う。
「もう、用はねぇよ。帰れば?」
勝ち誇ったその顔が、その態度が、余計に腹立つ。
それ以上に、その、赤から腫れ始めた頬の変色具合が特に。
お綺麗な顔が変質していく、その姿。
お遊びみたいなもんだった。
避けるぐらい、お互いが余裕で、遊びのままに出来る範疇だった。
そこに割り込んだ楓が、迷わず、クソガキを止めるのを選んだのにも腹が立つ。
出会い期間、長さが云々言うつもりはないが、本当に何にも分かってない、持て囃されて甘やかされた馬鹿ガキの時代だ。
時間は短くても濃密だった。
色々、楓は強烈だったし、な。
有名人の子供、テレビに出ている子供。
全く、そんな事どうでも良い扱いで。
言いたい放題で、間違いなく、俺より大人びていて。
近い年の女にはいない、周りには早々、いない女で。
子供の学校の記憶なんて、それこそあんまりない。
有名な子役だ騒がれて、どこ行っても世話係と言うか、劇団劇場関係者がついて。
有名子役だって勝手に騒いででなんか言っていく奴らを適当に相手して、大概がその期間が終わる。
そんな中で、当たり前に年下のガキ扱いで、普通に勉強教えようとして、縛った女はいなかった。
まあ、役者だろうが何だろうが、子供を縛る子供はそうはいない。
それぐらいにインパクトはある。
兄貴に言えば大笑いされたし。
そして再会して、何の因果か、夫婦役を、少ない役者でやりこんだ。
浅くは無い。
愛は無い。
でも信頼はあった。
お互いの呼吸は、眼を見れば合わせられる。
それだけのものを、あの現場で作り上げた。
そんな中で、今ここで、楓は迷うことなくクソガキを選び、躊躇いもなく、防御無視して楓を抱え込んで庇ったクソガキ。
なにを今、見せつけられてんのか…。
「てめぇも顔で商売やってるんだろうが」
「負け犬が囀るなよ、みっともねえ」
もう一発入れてやろか?
その思いは確かにあったが、ここでコレ以上をやる、意味はない。
「請求書寄越せ。慰謝料ぐらい払ってやる」
「いらねぇよ」
糞生意気なガキに、怒りを逃がしようもなく笑う。
何か言ってやりたい。
だが、浮かんでは消えていく言葉は、確かに負け犬そのもので、大きく息を吐いてから気持ちを切り替えた。
邪魔な腕が巻き付いて見えない楓を見る。
「面倒臭い女」
「役不足なんっすよ、先輩」
押しつけがましい台詞に、またこみ上げる怒りを押し殺してから、涙目で睨んでくる鈴鹿を見て、気持ちを切り替える。
ちっと、頭に血が上ってたのかもな。
まだガキの鈴鹿には、怖い思いをさせたかもしれない。
なんだかんだと鈴鹿との中でも信頼は出来た。
素直で天然で、ちょっと頼りないが、可愛い妹分だ。
出来るなら傷つけたくはない。
怖がらせるなんて論外。
こんな展開、思いは、させたくは無かったのだが…。
「じゃあ、お先に失礼しますよ。スポンサー様」
何を言ってもどう言っても腹立たしい。
腹立たしい苛立ちそのままに、用の無くなったスタジオを出る。
その後ろで激しい声が聞こえた気がしたが、もう、気にしないことにした。
本気で馬鹿馬鹿しい。
腹が立つんで、後日、楓、覚えてろよ…そう思いながら。
壮太君が出ていき、動き出した鈴鹿君が清牙君の腕の中の楓君に縋りつく。
それを支える様に駆けよってきた健吾君の部下達に楓君は抱えられ、清牙君はやっと楓君から腕を離した。
そのまま立ち上がった清牙君の顔は、左頬は酷く腫れている。
後ろに来た楓君に気付いた清牙君が、自分の防御を一切捨てて楓君を抱き込んだ結果。
躊躇いも迷いもなく、清牙君は楓君を抱き込んで庇った。
そうしなければ、楓君は、今の清牙君より酷い事になっていただろう。
勿論、咄嗟にそれに気が付いた壮太君が腕を引いて方向を変えようとしたのだが、間に合わなかったらしい。
それは分かる…が。
その見事に腫れあがって変色し始めたのであろう頬をつついているギナ君に永井君。
嫌そうに身体を背けるだけの清牙君。
「清牙君は、成長しましたね」
昔なら考えられない姿だ。
誰も信用していなかった、鋭さだけを追求して、人に慣れ合わない。
野生動物の様に、警戒心強く、周りを敵視した。
慣れない役者仕事に、睡眠休憩もままならず、いつも、ピリピリしていた。
事務所からついてくる大人とも話さず、出番以外は無言。
ロケバスで仮眠らしきものをとっていても、誰か入ってくれば、瞬時に目を覚ます。
見る。
そして、誰かがいると、目を閉じる事はあっても、もう、寝ようとはしない。
見た目はとてつもなく綺麗なのに、常に、野生動物の様だった。
だから、勉強は大丈夫かと当たり前のことを聞いたのだ。
そして、その日の天気でも応えるように当たり前に、「全くやってないから絶対無理」と答えられた。
その言葉に、表情に、これが清牙君なのだなと思った。
一般教養が一切受けられない現状に、そこまで働かされている事にも、危機感などは何もなく、酷く投げやりに見えた。
今さえ終えれば良いと。
なので、演技は決して巧いとは言えなかった。
常にやらされてる、その姿勢を隠す事は無い。
演技が好きだとは到底思えず。
なのに、時々ハッとした表情を作る。
毎回それやってくれれば良いのにとは思っても、自分の立ち位置ではそれを口にする権限は無く。
ただ、只管、勿体無かった。
その存在は眩しいほど美しく獰猛なのに、どこか儚げで頼りなくて。
下っ端ADなんて、雑用は幾らでもあったが、それと同時に、主要キャストのご機嫌取りも、主な仕事。
子役で気難しい清牙君の相手をすると言えば、上は喜んで送り出す。
子供なのに子供らしくなく、妙に冷めた清牙君を、誰もが持て余していた。
話してみれば、普通に、話せる子供、だったのに。
試しに、小学校の学習教材を見せてみれば、不思議そうな顔をされた。
やってみるかと聞けば、あっさり頷く素直な姿。
時間を見て、勉強教えてみれば、役者であれだけ出来る事もあって、理解力は半端ない。
確かに、彼は、学校教育は受けてないが、自分で台本を読んで理解はしていたのだから、当然だろう。
独学で、自分でスマホで確認して、自分だけで落とし込んでいたのだ。
事務所からついてくる大人は一切宛てにすることなく。
学習教材も、やらせてみれば、こっちの手助けがほとんどいらないまま、短時間であっという間に理解して次に進める。
だが、勉強はあまり好きではなかったようで、すぐに飽きる。
まあ、撮影合間だったので、途切れ途切れで、落ち着かなかったのもあっただろう。
それでも、こちらから誘わないと、やらないくらいには、勉強には一切…いや、英語は自分から学びに行っていたけれど。
一番熱心だったのは、英語台詞指導の彼との会話。
自分は見た目外人だから、話せないと面倒臭いからと、英語だけはしっかり勉強していたように思う。
英語指導の彼の元には、空き時間よく声を掛けに言っていた。
そんな、いつもギリギリで、生きていた子供。
あの頃は青少年条例なんてあってないようなもので、朝も夜も無く撮影が続いた。
一桁の子供が当たり前に、睡眠時間2・3時間で動いていたのだ。
そんな、あり得ない環境でも、彼は、誰かが頭押さえつけなくても、役を自分でやり切る。
その場での自分の立ち位置だけは、与えられた仕事だけは、きっちりこなした。
何を思ってだったのかは分からない。
役者が、芝居が好きだった様子は、全く見られなかった。
眠かろうが、寒かろうが暑かろうが、彼は大人達に言われるがまま、芝居を続けた。
自分で決断して、芝居を続けていた。
まったく楽しくなさそうに。
ものすごく嫌そうに。
自分にかかる期待と、大人達が大勢動いて出来る作品結果を、ちゃんと理解していたんだろう。
子供だから…なんて逃げもせず、自分の仕事として責任抱え込んで働く彼は、見ていて痛々しかった。
君がそこまでする必要はない。
そう言ってやれなかった自分は、同じく酷い大人だった。
メイクでライトで誤魔化して、睡眠もとれず、まともに日も当たることなく、撮影所だけで日々を終えていく不健康な生活。
すり減ったナイフの様に、鋭いけれど、日々何かをすり減らして生きていた、頼りなかったあの頃には無い姿が、いまそこにある。
あの時には決して言わなかった、「嫌だ」「やりたくない」を素直に口に出来るようになった姿が。
同年代の子達とふざけて話す、その姿が。
あの頃は同じ子役がいても1睨みするだけで、近寄りもしなかったから。
まあ、その所為で目つきが悪い態度が悪い、横柄だ、生意気だ、暴力的だと、言われたい放題だったが。
実際、子役の頃、彼が事務所からついてきた大人以外に何かを言ったりする事は無かったのだけど。
大人だろうと子供だろうと平気で無視をして、人がいない場所を探していたようだ。
1人、よっぽど嫌いな相手だったのか、蹴り転がしてスタジオ外に追い出していたのもいたが。
まあ、その印象もあるのだろう。
今でも暴力的に言われる清牙君が、同年代の子とふざけて何かを話す。
SPHY関係者以外で見るのは、初めてかもしれない。
「そうだと良いんですけどね」
そう言って、健吾君はインカムを外して編集室を出ようとする。
「清牙君は良いんですか?」
彼はその見た目の美しさでも、有名なVなのに。
「ここ1年程は何もなかったんですけどね。あれくらいなら、歌に支障はないです。問題あれば、清牙が自分から言ってきます。歌う仕事だけは飛ばさない、清牙なので」
清牙君、成長していないのかも、しれないですね。
自分の興味あることだけに熱心で。
それ以外は言われるがまま。
だが、それ以外の中では「嫌だ」「断る」をちゃんと言えるようになっている。
書類を片付けまとめた健吾君は、思い出したかのように僕を見る。
「しばらく、仕事はさせられませんのでご了承ください」
「清牙君が?」
「清牙の仕事は、スケジュールさえ調整効けば、清牙の気分次第ですので。説得出来るのなら、どうぞ」
つまりは、楓君と希更君の事、なんでしょうね。
確かにちょっと、今回はやり過ぎました。
「けれど、必要な事だと思うんですがね」
色艶に欠け、それを自覚していながらなんとかしようとする気配すらなかった楓君も、自分の出来る事がやっと見えた希更君にも。
「それをどう判断するのかは、私ではありませんので」
相変わらず、清牙君が、SPHYが第一な子で、困った事だ。
本来…いや、当初は、彼だってあちら側の人間だった。
一緒に、演奏していた。
それを、清牙君のSPHYの為にと、裏に徹底することを選んだ。
そこに間違いはないだろう。
現在彼は、成功しているとしか表現出来ないほどの、結果を生み出しているのだから。
けれど、勿体無いとも思う。
まだまだ彼は、音楽家として、出来る事があった筈なのに、自分の未来より、SPHYのこれからを何より優先した。
自分を見切ったのだ。
それに、彼自身の後悔は無いのかもしれない。
だが、一切の迷いも後悔も憐憫も無いかとなれば、別物だろう。
誰もが、そうやって、見切って仕切りなおして、藻掻いて足掻いて、成功出来る訳でもない。
何が良かったのかは、当人にしか決められない。
だからこそ思う。
もう少し、奏者としての、音楽家としても彼も見て見たかったと。
「清牙君とSPHYの為に、才能を潰さないでくれると有難いんですがね」
確かに清牙君は、そこにいるだけで万人の目を引き付ける。
歌えばそれ以上の人間を魅了する。
彼は間違いなく、幼い頃から特別だった。
だが、特別だと存在を示す為には周囲を守り、環境を整え、雑務を片付ける脇がいる。
組み立てさせる、外野がいる。
どの仕事が、等と言うつもりはない。
どんな仕事であっても、そこに金銭が発生している以上、絶対に必要な業務なのだから。
だが、誰であっても、その自己存在価値を、忘れないで欲しい。
出来る、やりたい、そうなりたい。
それは、絶対的、圧倒的、原動力なのだから。
世に才能の無い人はいない。
成し遂げるだけの根気が、あるのかないのか。
タイミングを掴み切れるのか、しがみ付けるのか…。
圧倒的な才能に傾倒して尽くすのも、反発心で奮起するのも、個性なのだから。
そもそもが、成功の結論終着点さえ曖昧で。
「それも、私の範疇外です」
笑って出ていく健吾君の姿に溜息が出る。
どの子達も不器用で困る。
誰しも、自分以外を、傷付け壊したい…訳じゃないのだ。
結果を産む為に、確実にする為に、その過程で生まれてしまう悲しい結果。
その、苦しみ傷つくことでしか、誰かを追い落とすことでしか、得られないものも、確かにある。
同じ過程を経て輝く者もあれば、消えていく者もある。
全てを振り切って、突き上げて上り詰める事も。
難しい事だ。
だがその前に。
「バレる前に逃げてしまいましょう。年寄りの出る幕ではないので」
そう言って緩く笑って歩く有名監督の姿に、今日も優しくご機嫌だったなと言われるのも、仕方がなかった。
長谷監督と言えば、役者には怖がられるけれど、スタッフに迄腰が低く穏やかな人だと有名なので。
ただ、撮影現場で一度リテイクの嵐が始まると、スタッフもドン引きにはなるが。
怒鳴ることも喚くことも不機嫌になる事も無く、只管しつこいだけなので、役者が怖がる理由があまり分かっていないスタッフも多い。
当たり障りなく表面だけでも、取り繕う。
それこそが、こちら側の日常なので。
大人は得てして、ズルい、生き物なのだ。
何かを成し遂げた者ほど、それが顕著になる。
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