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第3章

136話 “幻惑の虜”

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「……え?カミル殿下??」

それまで、帰宅への馬車の中で、ウトウトと微睡んでおられた我が主人が、急に眼の冴える声でそう仰ったから。

彼の従者である俺、テオドールは。
不思議に思って、俯いていた顔を上げると。

「シリル様?!」
「カミル殿下、待って…」

あろう事か、急に馬車の扉を開け、俺が身を乗り出すよりも早く、何のためらいもなく、シリル様はその馬車から飛び出して行ったのだった。
俺は、反応が一瞬遅れてしまった。

今にも眠ってしまいそうだった主人が、急に飛び出して行った事もそうだが。
彼の方は今まで、こんな突拍子もない行動をされた事が無いから。
……突拍子もない話なら、色々されていたが。
それはご自身も戸惑っておられた事ばかりだったし。
元々内向的で大人しい、年頃の少年とは思えない落ち着き払った御方だったから。

まさか、急にこんな行動に出られるとは、俺は夢にも思わなかった。
けれど、仰天しようが、俺はシリル様の従者だ。
お側に侍り、御身をお守りしなければ!

俺は、御者に近くで待っておけと伝え、すぐに彼の背に視線を戻し、全力で追いかけた。
シリル様は運動を殆どされない割に、思いの外足が速かったが、こちらは日常から常に走り回って鍛錬をしているのだ。
すぐに追いついてみせる。
そう決意し、必死で追いかけたのだが。

入って行かれた狭い路地裏を抜けた途端、少し開けた場所に出たものの……主人の姿が見当たらない。
更に奥へ奥へと迷い込まれたのか、俺はしばらく周囲を走り回ったが、やっぱり何処を探しても見当たらなかった。
それに、この辺りは雰囲気がマズい。
俺が焦燥感に駆られながら、一人でウロウロしていると、ギョロリと奇異なモノを見るような視線を受けるのだ。
みすぼらしい恰好でボロの毛布に包まって地面に寝転がったり、ただ地面に蹲っている様な者達から。

「……っ!おい、この辺に綺麗な銀色の髪をした少年が走って来なかったか?」

俺は、意を決して側で蹲っている者達に尋ねてみたが。

「…さぁ?そんな奴…見てないねぇ…」
「お兄さんさぁ、そいつを探してるの?もし見つけたら、アレをくれる?」

俺が尋ねた者達は、一人は覇気が無く死んだ様な目をしているし、もう一人は逆に目をギラつかせて寄って来た。
主人の捜索を手伝う様な事を口走りながら、その報酬は金などではなく、例の物。
此処エウリルスでも禁止された例の薬物、“幻惑の虜”。
恐らく其れの事だろうと、容易に想像がついた。
何故なら、この二人の症状や反応が正に、例の薬物の中毒患者のソレだったから。

それまで有効な治療法が見つけられたものの、高価な薬でしか対処出来なかった為、幻惑の虜の中毒患者は、その薬を入手できる貴族連中しか治療が出来なかった。
そもそも、幻惑の虜自体がやや高価な嗜好品となっていた為、そもそも金の少ない下層貴族や平民で手に入れられた者が少なかったが為、一般民衆への被害は少なくて済んだのが幸いしたが。
それでも、多少の中毒患者は残ってしまい、コレと言った対策がされず、おざなりになってしまっていた。

フローレンシア王国から帰国の後、その事を知った救世の巫子様方のご協力もあり、残された中毒患者の救済も行われ、皆、目に生気が取り戻された。
国王陛下や王太子達も、この件には頭を悩ましておられた様で、とても感謝されていたのだ。
年明けの王宮のパーティーでは、きっと大々的に謝意とお褒めの言葉を頂ける事だろう。

しかし。
そんな巫子様方の救済をも拒む中毒者も一部にはいた。
彼らが正に、その者達だろう。

身を粉にして救済に回って下さる巫子様方を拒むなど、俺には理解出来ないが、現実から逃れたい者にとっては、その薬物の名の通り、幻惑に取りつかれてしまった哀れな者達なのだろう。

だが、今はそんな者達を相手にしている場合ではない。
シリル様に関する有力な情報を持たない限り、この者らに用は無い。

今、この間にも、主人はもっと自分から離れた所に行ってしまっているかもしれない。
捜索範囲を広げなければ。
俺は踵を返してこの場を離れた。
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