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リリアは再会します
しおりを挟むマーラ亭で住み込みで働くことになってから一週間。慣れない労働に失敗も多かったが、寛大なマーラと店主のソフトによる熱心な指導や支えによりなんとか1日を終えることができていた。
常連客も多いマーラ亭の客も優しい人間が多く、注文の品をリリアの失敗で台無しにしても、寛大に許してくれるばかりか熱心に頑張るリリアを励まし応援してくれたのだ。
リリアが働き始めてから毎日顔を店に来てくれる客も多く、繁盛する経営にマーラもソフトもご満悦で、仕事終わりには十分すぎるくらい労ってくれる。
満席のフロアであくせくと働いていたリリアは、昼のピークを終えて落ち着いてきた店内に息をつく。
「おつかれリリア。アンタは本当によく頑張ってくれるからすごく助かってるよ。客も大勢やってくるし、良いことばかりで大助かりさ」
「ありがとうマーラ。これも二人が寛大に私を指導してくれるおかげだわ。みんな親切にしてくれるからとても頑張れるの。毎日楽しいわ」
「はは、リリアは可愛いな。お前さんが頑張ってくれるから俺たちも熱心に指導ができるってもんだ。ありがとうよ」
カウンターに立っていたソフトが疲れただろうとグラスに注いだりんごジュースをリリアに差し出してくれる。
搾りたてのリンゴで作られたジュースは甘く飲み心地が良い。ソフトはよくリリアに飲み物を差し入れてくれて、リリアはいつも嬉しく思いながら美味しいジュースを堪能していた。
マーラも忙しい店内で、タイミングを見計らってはリリアに休憩を与えてくれてその間お腹は空かないかとサンドイッチをご馳走してくれる。
「今日はルジェと出かける日だろう?仕事はもう上がってくれていいから、おめかししてきな」
「リリアはうちの大事な看板娘だ。ルジェならリリアを任せられるな」
見送ってくれる二人にお礼を言ってリリアは、カウンターから左側の壁に設置された扉を開けて中に入る。中は住居スペースになっており、こじんまりとしたダイニングルームに繋がっている。ダイニングルームにはマーラとソフトの夫婦部屋と、結婚で出て行くまでは夫婦の一人娘が使用し現在はリリアが使用させてもらっている部屋へと繋がる扉、そして外に直接繋がっている勝手口がある。
食事を囲む木製の丸テーブルと三人分の椅子が設置され、今の時期は使われていない暖炉がある。
リリアは自室へと入ると、身につけていた白のエプロンを脱いで丁寧に畳み椅子の上に置いた。視線を上げれば年季の入った机の上にお気に入りの恋愛小説、男爵令嬢は恋するが置いてある。この本こそリリアに恋を自覚させ、恋に生きる人生を選ぶきっかけとなった本だ。
さらりと表を撫でれば、手触りの感触にリリアは微笑む。
「サイラス様……あのお方は私がチェスタまでやってきたとは思いすらしないでしょうね。ふふ、あの方が私のことをあの美しい瞳に映したのはほんの僅かな時間だったから」
リリアがサイラスを知り合うことができたのは王太子が婚約者であるリリアをサイラスに紹介してくれたのがきっかけだった。
だがそれも、喋っていたのは王太子のみと言っていいほどに短い挨拶を交わしたあとは数秒互いに見つめった後に領地に戻る予定のサイラスがその場を去ってしまったのだ。
ーーだけど、あの一瞬。一目でリリアはサイラスに惹き込まれ、恋に落ちたのだ。
(いつもお父様がお母様に囁く愛しているという言葉。お父様が私に囁くのとは違う響をもった特別な言葉)
「お慕いしておりますサイラス様」
一度会ったきりの女の顔などサイラスは忘れているかもしれないが、リリアの脳裏には鮮明にサイラスの姿が刻まれている。
「いけないわ。この本を見るとどうしてもサイラス様を思い出してしまう。ルジェとの約束があるのだったわ」
隅にある水桶で水面に写る自分の姿を確認し、机の上から櫛を取って乱れた髪を整える。
ルジェは毎晩夜には必ず顔を出してくれていた。今日の約束もルジェが店に迎えに来てくれることになっている。
微かにチャリンと鳴ったベル音にルジェの来店を察して、リリアは再び店の方へと戻った。
すると、やはり来店客はルジェで、すぐにリリアに気づいて笑顔で歩み寄ってくる。
「やあリリア。今日もお疲れさま。店は出れそうかな?」
「ええ大丈夫よルジェ。マーラさん、ソフトさん行ってきます」
二人とルジェが軽く挨拶を交わし、見送ってくれる二人に手を振ってリリアはルジェと共に店を出た。背後では悲しそうにリリアを見つめて、鋭い視線をルジェに店内の客が向けていたが、ルジェが見せつけるようにリリアの背に手を添えた瞬間声にならない悲痛な叫びへと消えた。
「今日はどこにいくの?市場に行くのだったら、リンゴが少なくなってきたからリンゴと明日の朝食用のバケットを買いたいと思っているの」
「もちろんいいよ。だけど、すっかり今の生活に慣れたようで良かったよ。仕事も順調のようだし、二人との関係も良好のようだね」
「とても優しくしてくれる二人のおかげよ。ルジェには感謝してるわ」
俺も嬉しいよとルジェは優しく微笑む。
マーラ亭がある場所から市場は少し距離はあるが、リリアは移動している時間が好きだった。
馬車で移動することが多かった以前とは違いじっくりと景色と空気を味わうことができ、体感するもの全てが新鮮さに溢れているのだ。
「リリアはいつも楽しそうだな。君を見ていると俺も楽しくなるよ」
「ふふ、ありがとう。市場まで歩くのはいつも楽しいの。市場は一日おきに状況が変わるから見てるだけでも楽しくて、上手にお買い物を出来た時の達成感もあるもの。それに皆やさしくておまけまでつけてくれるのよ」
「リリアだけっていう状況もあるけど、たしかに君の言う通りだ。出入りする商人の顔ぶれも変わるからな。異国の商人が店を出していることもあるし、チェスタで有名な観光名物でもあるからな」
商人の住居や店が集うアルベルト通りにあるチェスタの市場はセライラと同盟関係にある諸外国の商人も店を構えている。そのため異国の品々も多く取り揃えられ、セライラの市場に出向けば揃わないものはないという評判の良い観光名物でもある。
規模の大きさからリリアもまだ全体を見て回ることはできておらず、マーラ亭のお使いで訪れた時や夫婦の気遣いで暇な時間を与えられた時に少しずつ市場を訪れ距離を伸ばしていた。
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