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39 独立国家

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 この町は王都から距離があり、大火災のことが王族の耳に届いたのは、クロスが石像になって10日も経ってからだった。

「鎮火はしたのか? あの地はトラッド侯爵に任せておったが、トラッドはどうした?」

 宰相が答える。

「消火活動の陣頭に立たれ、非常に残念なことながら命を落とされたそうです」

 王が玉座から立ち上がった。

「なんと! トラッドは命を犠牲にしてあの地を守ったのか! かの家を継ぐ者は?」

「令嬢がおひとりだけでございますので……」

「その令嬢は王子の婚約者であったろう?」

 宰相の後ろに控えていた男が恭しく一歩前へ出た。

「直答を許す」

 王の言葉にゆっくりと頭を下げた男が口を開いた。

「トラッド侯爵様はその命が尽きる前に『この地は神の棲み処として独立するべき』と申されました。ご令嬢はその意思を尊重したいとお考えです」

「独立だと? 我が国の端とは言え、ワシにその地を手放せと? 命を掛けた願いとあらば叶えてはいやりたいが……」

 男が素早く言葉を続ける。

「広さとしては一辺が400メートルの正方形だとお考え下さい。その中心部分にあった市場が全焼し、大きな広場となっております。焼け残った周辺地域は、農地と住宅地がほとんどでございますので、税収はほぼ見込めなくなったような土地でございます」

「400メートル四方だと? 王宮の馬場より狭いではないか。その程度であれば故人の希望を叶えるのも吝かではないが……神の棲み処とはどういう意味だ?」

 男が顔をあげる。

「大火災を消したのが突然降った雨だからでございます。その雨はキラキラと輝き、まるで天からの祝福のようでございました。神は確かに存在すると、生き残った者たちは口々に申しております」

 王が顎に手を当てた。

「それほど大きな教会があるのか?」

「いいえ、平民が通う古びた教会のみでございます。貴族用の教会は敷地内にはございません」

 王が小首を傾げた。

「なるほど、そう言う事であればその地を独立させることに問題は無さそうだが、整備する費用などは王家からは出せんぞ?」

 男は気付かれないようにニヤッと笑った。

「もちろんでございます。トラッド侯爵の屋敷を売却し、その収入を充てると唯一の遺族であるリリベル令嬢が申し出てくださいました。また、亡くなった住民たちの遺産もすべて寄付するというのが、残された住民たちの総意でございます」

「なんと殊勝な心掛けではないか。宰相、聞いたか? リリベルは我が王子の婚約者だ。その身ひとつで嫁いで参れと申し伝えよ。持参金とすべき物は全てワシからの寄付としよう」

 男は深々と頭を下げて御前を辞した。
 一緒に出て行こうとする宰相を呼び止めたのは、ずっと黙って聞いていた王妃だ。

「あの者はどこの家門の者じゃ? 人間離れした美しさじゃな……我が従者にしてやろう」

 その言葉には答えずただ頭を下げて宰相が部屋を出た。
 廊下で待っていた男が宰相と目を合わせた。

「手続きは三日で整えよ」

「畏まりました」

「悪いがもう少し我慢していてくれ。そうだなぁ、あと20年ほどか? お前たちにとっては一瞬のようなものだ」

 宰相がニコッと微笑む。

「もちろんでございます」

 宰相の中に入り込んでいるのはヘルメの使い神だ。
 陰で無能呼ばわりされていた宰相が、この日を境に辣腕と呼ばれるようになっていく。
 王宮を出たヘルメが空を見上げた。

「さあ、まだまだ働かねば。クロスに怒られてしまいますからね」

 ヘルメがスッと姿を消した。

 その頃、市場だった場所の中央には山の神トモロスが立っていた。
 オリンポスの山から切り出された巨石を削っているのは作業員の姿に身を変えた天使たちだ。

「傾斜角度は0度だ。垂直に立てよ」

 元々はルシファーを閉じ込めるために造られる予定だったオベリスクは、この場所で犠牲となった市民の魂を鎮めるためのものに変更されている。
 トモロスはヘレラの願いを聞き入れ、オリンポス山で一番大きな岩を切り出した。
 その岩を取り出すために空いた穴には、岩となった神々が葬られ、残滓のように残っていた精神の欠片は、絶対神ゼウルスによってオベリスクの中に放たれる予定だ。

「オベリスクの先端にクロスを置くのですか? あの子はここの人たちが大好きでしたから、近くにいないと寂しがるのでは無いでしょうか?」

「教会に設置しても良いのだが、少々なぁ……」

 クロスの石像を見ながらアプロが言う。
 アテナが頷く。

「だって燃えちゃったまま石になったでしょ? 私たちは良いけれど、人間達にはちょっと刺激が強いよね」

 マルスがプッと笑った。

「ほんとデカいよな……」

「うん、デカい。しかも形が……」

「そう、形がなんとも卑猥だ」

「設置するまで教会に置くんだろ? 布かなんかで隠しとく?」

 ヘルメがふと昔を思い出すような遠い目で言った。

「隠しましょう。またミル貝だと勘違いされても困りますからね」

 見守っていたハデスが言った。

「ミル貝? あれ旨いよなぁ。オリーブオイルをかけて塩を振ってさぁ」

 アテナがニコッと笑った。

「レモンを絞っても美味しいわよね」

 全員が笑った。
 神達の頭の中でクロスの声が響く。

『酷いこと言うなよ。オリーブオイルは許すけれど、塩は痛そうだしレモンはしみそうだ』

 クロスの意識は石にはなっていない。
 会話もできるし、自由にどこにでも飛んでいける。
 ただ体が固定されて、指先さえ動かせないだけなのだ。
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