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37 逞しい人々
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大火災のあくる日、家を失った者たちが教会の前で呆然とぽっかりと空いた広場を見ている。
どうやってこれから生きていけばいいのか……全員の顔にそう書いてあった。
聖堂の中では怪我人の手当が続いている。
「さあパンをどうぞ。腹が減っては戦はできないよ。パンしかないが、パンならあるんだ。まずは腹ごしらえといこうじゃないか」
小麦本来の甘みをいかしたロールパンが山のように運ばれてきた。
焼いているのは市場でパン屋を営んでいた職人と、カブとサンズだ。
石窯の前に立っているのは竈神ヘスティア。
どうやら神の前では我儘なこの石窯も従順なのだろう。
孤児院の子供たちが率先して人々にパンを配り歩いている。
「野菜サラダはどうかね? 塩とレモンだけだが新鮮な野菜だ。神様の恵みを食べてくれ」
戸板に直接盛られた野菜は、トムじいさんの畑から運ばれたものだ。
ざくざくと切っただけだが、朝日を浴びて輝く野菜たちは、それだけで力がわき出るような気持ちになる。
「搾りたてのミルクだよ!」
牛舎がミルクを運んできた。
子供たちが大喜びで牛車を取り囲んでいる。
その様子を見ていたゼウルスが横に立つアプロに言った。
「見てみろ。なんと人間たちの逞しいことか」
「ええ、そうですね。しかもできることがある者がそのことで他者の役に立とうとしているんですから。なんというか清々しい光景です」
「ああ。ところでクロスはどうしている?」
「クロスなら聖堂で怪我人の手当をしていますよ。どうやら全身の筋肉が強張っているから、なるべく動かないといけないとアスクレに言われたようです」
「筋肉痛か? 様子はどうだ?」
「無理に明るく振る舞っているのが手に取るようにわかりますが、掛ける言葉が見当たりません」
フッとゼウルスが息を吐いた。
「ルシファーは?」
「報告がないということは問題無いでしょう。それに昨夜父上が降らせた慈雨が邪悪な気配を洗い流しましたから、何かあればすぐにわかるでしょう?」
「ハデスと話したのだが、どうやらルシファーは神になりたかったらしい」
「堕天使が神に? そりゃ無理だ」
「しかし奴の魂の中には岩になった神々の欠片がある」
「ええ、どの神が明け渡したのか……」
パンを頬張りながらハデスがやってきた。
「人間の食いものというのは実にシンプルだな。なかなか旨いものだ。で? 兄上、お決めになりましたか?」
「ルシファーの処分か? ああ、決めた」
ハデスとアポロがゼウルスの顔を見た。
「奴はこの地で封印する。あの広場の中央にオベリスクを建て、その地下深くに石牢ごと埋めよう」
ハデスが頷く。
「なるほど、聖水で満たした石棺ですか」
三人は市場だった広い場所に視線を投げた。
そんな三人の横を子供たちとアンナマリーが通って行く。
「何処に行く?」
アプロが問うと、アンナマリーが美しい笑顔で答えた。
「焼け残った家にいる子供たちにパンを配りに参ります」
「多く残っているのかい?」
「わからないのですが、もしここに来れない子がいるとすれば可哀そうですから」
「我々も行こう」
アプロがそう言うと、散らばっていた神々が一斉に姿を現した。
「ルシファーを永久に葬る」
全員が頷き歩き出した。
「僕も行くよ」
クロスがマカロを抱いて走ってきた。
「ねえ父さん。念のためにここにも結界を張ってくれないかな」
ゼウルスが頷いて指先を動かした。
見た目には何も変わらないが、聖なる光が教会全体を包み込んでいる。
「さあ、行こうか」
クロスは昨日のことなど噓のような笑顔を浮かべてアンナマリーに並んだ。
大きな瓦礫は無くなったものの、広場は塵や木くずで惨憺たるありさまだった。
クロスとアンナマリーは噴水から少し離れた場所で手押し車を止め、子供たちにパン籠を渡す。
籠を渡された子供たちは、まるで大事な使命を帯びたかのように、真剣な眼差しで駆けて行った。
「さあ始めようか」
ゼウルスの声に噴水を取り囲んでいた聖騎士が道を開けた。
ダイダロスが噴水に触れて中からルシファーを閉じ込めた水だまを取り出す。
宙に浮いているその中には、青い炎が揺らめいていた。
「石棺を用意せよ」
ゼウルスの声に進み出たのはトモロスという名の山の神だ。
「オリンポスの山頂から切り出した岩です」
水だまの前に真四角の岩が現れた。
「中を空洞にせよ」
頷いたトモロスが岩に触れると、岩の中でゴトッという音がした。
戻ってきた子供が興味深げに岩に近づこうとしている。
「ダメだ! こっちに来い!」
クロスの声に、意識を岩に集中していた神々の息が乱れた。
肩をビクッと震わせた子供が慌ててクロスを見る。
アンナマリーが子供を助けようと駆けだした時、ジュボッと言う音がして水だまが割れた。
「あっ!」
水だまから跳ねだしたルシファーがアンナマリーと子供たちに向かって飛んだ。
どうやってこれから生きていけばいいのか……全員の顔にそう書いてあった。
聖堂の中では怪我人の手当が続いている。
「さあパンをどうぞ。腹が減っては戦はできないよ。パンしかないが、パンならあるんだ。まずは腹ごしらえといこうじゃないか」
小麦本来の甘みをいかしたロールパンが山のように運ばれてきた。
焼いているのは市場でパン屋を営んでいた職人と、カブとサンズだ。
石窯の前に立っているのは竈神ヘスティア。
どうやら神の前では我儘なこの石窯も従順なのだろう。
孤児院の子供たちが率先して人々にパンを配り歩いている。
「野菜サラダはどうかね? 塩とレモンだけだが新鮮な野菜だ。神様の恵みを食べてくれ」
戸板に直接盛られた野菜は、トムじいさんの畑から運ばれたものだ。
ざくざくと切っただけだが、朝日を浴びて輝く野菜たちは、それだけで力がわき出るような気持ちになる。
「搾りたてのミルクだよ!」
牛舎がミルクを運んできた。
子供たちが大喜びで牛車を取り囲んでいる。
その様子を見ていたゼウルスが横に立つアプロに言った。
「見てみろ。なんと人間たちの逞しいことか」
「ええ、そうですね。しかもできることがある者がそのことで他者の役に立とうとしているんですから。なんというか清々しい光景です」
「ああ。ところでクロスはどうしている?」
「クロスなら聖堂で怪我人の手当をしていますよ。どうやら全身の筋肉が強張っているから、なるべく動かないといけないとアスクレに言われたようです」
「筋肉痛か? 様子はどうだ?」
「無理に明るく振る舞っているのが手に取るようにわかりますが、掛ける言葉が見当たりません」
フッとゼウルスが息を吐いた。
「ルシファーは?」
「報告がないということは問題無いでしょう。それに昨夜父上が降らせた慈雨が邪悪な気配を洗い流しましたから、何かあればすぐにわかるでしょう?」
「ハデスと話したのだが、どうやらルシファーは神になりたかったらしい」
「堕天使が神に? そりゃ無理だ」
「しかし奴の魂の中には岩になった神々の欠片がある」
「ええ、どの神が明け渡したのか……」
パンを頬張りながらハデスがやってきた。
「人間の食いものというのは実にシンプルだな。なかなか旨いものだ。で? 兄上、お決めになりましたか?」
「ルシファーの処分か? ああ、決めた」
ハデスとアポロがゼウルスの顔を見た。
「奴はこの地で封印する。あの広場の中央にオベリスクを建て、その地下深くに石牢ごと埋めよう」
ハデスが頷く。
「なるほど、聖水で満たした石棺ですか」
三人は市場だった広い場所に視線を投げた。
そんな三人の横を子供たちとアンナマリーが通って行く。
「何処に行く?」
アプロが問うと、アンナマリーが美しい笑顔で答えた。
「焼け残った家にいる子供たちにパンを配りに参ります」
「多く残っているのかい?」
「わからないのですが、もしここに来れない子がいるとすれば可哀そうですから」
「我々も行こう」
アプロがそう言うと、散らばっていた神々が一斉に姿を現した。
「ルシファーを永久に葬る」
全員が頷き歩き出した。
「僕も行くよ」
クロスがマカロを抱いて走ってきた。
「ねえ父さん。念のためにここにも結界を張ってくれないかな」
ゼウルスが頷いて指先を動かした。
見た目には何も変わらないが、聖なる光が教会全体を包み込んでいる。
「さあ、行こうか」
クロスは昨日のことなど噓のような笑顔を浮かべてアンナマリーに並んだ。
大きな瓦礫は無くなったものの、広場は塵や木くずで惨憺たるありさまだった。
クロスとアンナマリーは噴水から少し離れた場所で手押し車を止め、子供たちにパン籠を渡す。
籠を渡された子供たちは、まるで大事な使命を帯びたかのように、真剣な眼差しで駆けて行った。
「さあ始めようか」
ゼウルスの声に噴水を取り囲んでいた聖騎士が道を開けた。
ダイダロスが噴水に触れて中からルシファーを閉じ込めた水だまを取り出す。
宙に浮いているその中には、青い炎が揺らめいていた。
「石棺を用意せよ」
ゼウルスの声に進み出たのはトモロスという名の山の神だ。
「オリンポスの山頂から切り出した岩です」
水だまの前に真四角の岩が現れた。
「中を空洞にせよ」
頷いたトモロスが岩に触れると、岩の中でゴトッという音がした。
戻ってきた子供が興味深げに岩に近づこうとしている。
「ダメだ! こっちに来い!」
クロスの声に、意識を岩に集中していた神々の息が乱れた。
肩をビクッと震わせた子供が慌ててクロスを見る。
アンナマリーが子供を助けようと駆けだした時、ジュボッと言う音がして水だまが割れた。
「あっ!」
水だまから跳ねだしたルシファーがアンナマリーと子供たちに向かって飛んだ。
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