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36 噴水
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じわじわと体をずらしているルシファーは、誰にも気づかれないように細心の注意を払っていた。
その動きはミリ単位だが、確実に中心からはズレ続けている。
もともとルシファーは神界に住む天使だったのだが、神達の我儘を叶えても、無理難題を解決しても『所詮はただの天使』という自分の立場に不満をつのらせていた。
「だったら辞めちゃえよ」
ある日、巨岩の群れが並ぶ草原で溜息を吐いていた時のこと。
立ち並ぶ岩の隙間から顔を出したのは小さな白い蛇だった。
「何を勝手なことをいっているんだよ。辞める方法なんてないじゃないか。俺はずっとこのまま使い勝手のいい天使なんだよ」
蛇が毒々しいほど赤い舌をちょろちょろと口から覗かせている。
「そんなことないさ。結構いるんだぜ? 天使辞めちゃった奴ら」
「ああ、それは知っているよ。堕天使のことだろ? 神界以外の生物と契るか、悪魔に魂を渡すか。俺にはそんなことできないさ」
「もう一つ方法があるんだ。そしてそれをやってのけた者はまだいない」
「え?」
「この岩は神の体というのは知っているよね? 神というのは天使より辞めにくいんだよ。全てを放棄しても死ねない存在だし、それぞれが何らかの役割を与えられているから、それをしないと罰を受けるからね」
「そうなのか?」
「で、この巨岩たちは罰を受けてここに野ざらしになっているんだ。当たり前だけれど、生きているよ」
蛇が金属のような色をしている尻尾の先端で巨岩をぺしぺしと叩きながら続ける。
「僕が知っているだけでも、この岩なんてもう三千年は動いていない。動けないんだ。元々は自分で動かないことを選択したのだけれど、後悔して元に戻ろうとしても、もうダメ」
「そんな……じゃあこの岩の神達は好きでここにいるわけじゃないってことか?」
「それはどうだろう。好きでいる神もいれば、仕方なくいる神もいるだろうね。そして仕方なくいる神達は、後悔の念を燻らせているんだ。その後悔は動ける者たちへの嫉妬だよ。嫉妬は黒くて冷たいが、途轍もなく旨いんだ」
「旨い? 旨いとはどういうことだ?」
「僕は生きとし生ける者たちの中でも最初に罰を受けた者だ。そして僕に科せられた罰は、地を這って生き続け、他の生き物から忌み嫌われ続けることさ。これはなかなかキツイ」
「嫌われ続ける……そりゃキツイだろうね」
「だから僕の中にも恨みがある。恨みの念は嫉妬とは違って深い青でとても臭いんだ。だから僕の体は生臭い。まあ余計に嫌われるよね。それを消そうとして、ここに居る神々の念を口にしてみたんだ。いろいろ食べたけれど、嫉妬が一番旨かった」
「神々の念が君の糧なのか?」
「神々だけじゃないよ。聖霊達の抱える思いも、天使たちが隠している悩みも、全部僕の糧さ。ただ残念なことに、僕は神じゃないから『神の情念』は食べられても、それと同化することはできない」
「同化……」
「そう、神にはなれないってことさ。でもね、取り込むことはできるんだよ。消化器官以外に格納してシンクロするのさ」
ルシファーは蛇の顔を見た。
「それに何の意味がある?」
「神の力が使えるようになる。もちろん本物にはかなわない弱いものだけれどね。それをすれば君と同じ思いを抱えている天使たちを集めて、反乱を起こすことができるぜ? もし成功すれば神々が君たちの願いを叶えるようになる。そうすれば、僕のような永遠の罰を受け続ける者たちの願いも叶うだろ?」
ルシファーはフッと息を吐いた。
「とても魅力的なお誘いだけれど、どうやら勝算は無さそうだ。他を当たれよ」
蛇は真っ赤な目でじっとルシファーを見ていた。
「まあ、気がかわったら来なよ。君にぴったりの神の情念を探しておくから。ああ、言っておくけれど、情念は無理やり剝ぎ取れるものじゃない。食べるくらいはいくらでも分けてくれるけれど、取り込むとなるとさすがにね。だって情念を他の器に移したら、本当にただの岩になっちゃうからね」
「なるほど。まあ、愚痴を聞いてくれてありがとう。僕は今バッカス様のお使いで、山頂のブドウ園へワインを取りに行く途中だったんだ。もう行くね」
「ああ、是非また会おう。君は僕が知る限り、一番強い思いを持っているからね」
それには答えず立ち上がったルシファーは、山頂を目指したが、その心の中には確実に闇が宿った。
ふと昔のことを思いだしていたルシファーが現実に戻ったのは、聖なる泉の水玉を囲む神々の視線に気付いたからだ。
「どうする? 運べないだろ」
口を開いたのは軍神マルスだ。
「騎士達に守らせるか。ゼウルス様とヘレラ様がこいつの息の根を止める方法を考えて下さっているから、それまでの間だし」
アテナが面倒くさそうに返事をした。
ヘルメがルシファーの青い炎を睨みつけながら口を開く。
「結界を張りましょう。人々が近づく恐れもありますから、遠ざけなくてはいけません」
「水だまを旨くカモフラージュできるもの……池とか?」
アプロが吞気な声を出した。
「これほど広い場所の真ん中に池というのもね。ああ、そうだ。噴水は?」
ダイダロスの声に全員が顔を上げた。
「いいねぇ、そうしよう。この水玉を真ん中にして、巨大な噴水を作っちまおう」
そんな会話を聞きながらルシファーはほくそ笑んだ。
『何をやっても無駄さ。俺は絶対に死なない。俺の炎の中心には巨岩神が宿っているんだからな』
神達は共同作業で大きな噴水を作り上げた。
出さず、ルシファーを閉じ込めている水だまの表面を流れ落ちるだけに留めたのは、ダイダロスの発案だ。
「さあ、これでいいでしょう。いったん教会に戻りましょうか。騎士達に取り囲ませておきますから」
ヘルメはそう言うと聖騎士を召喚し、噴水の周りに立たせて続ける。
「この市場は住人たちの台所でしたから、今日は教会で炊き出しをする予定です。天使たちに手伝わせているはずですから、我々も少し休みましょう」
ふとアプロがヘルメに聞いた。
「クロスは?」
ヘルメがゆっくりと首を横に振る。
「何にも反応しません。オペラはハデス様が冥界へ届けてくれたのですが……」
「あの子の弟ってなんて言ったっけ? 弟君の容態は?」
「マカロですね? 意識は取り戻したのですが、言葉を全く発しないままです。クロスと同じように呆然としていますよ」
神々が溜息を吐いた。
「他の堕天使たちは?」
「先の戦争で絶滅しましたよ。他の堕天使は反逆ではなく多種族との姦通ですから、反乱するほどの悪意はないでしょう」
アプロがルシファーの水だまをみながら言った。
「クロスが心配だ」
「ええ、本当に」
神々の姿が消え、入れ替わるように聖騎士たちが噴水を囲んだ。
その動きはミリ単位だが、確実に中心からはズレ続けている。
もともとルシファーは神界に住む天使だったのだが、神達の我儘を叶えても、無理難題を解決しても『所詮はただの天使』という自分の立場に不満をつのらせていた。
「だったら辞めちゃえよ」
ある日、巨岩の群れが並ぶ草原で溜息を吐いていた時のこと。
立ち並ぶ岩の隙間から顔を出したのは小さな白い蛇だった。
「何を勝手なことをいっているんだよ。辞める方法なんてないじゃないか。俺はずっとこのまま使い勝手のいい天使なんだよ」
蛇が毒々しいほど赤い舌をちょろちょろと口から覗かせている。
「そんなことないさ。結構いるんだぜ? 天使辞めちゃった奴ら」
「ああ、それは知っているよ。堕天使のことだろ? 神界以外の生物と契るか、悪魔に魂を渡すか。俺にはそんなことできないさ」
「もう一つ方法があるんだ。そしてそれをやってのけた者はまだいない」
「え?」
「この岩は神の体というのは知っているよね? 神というのは天使より辞めにくいんだよ。全てを放棄しても死ねない存在だし、それぞれが何らかの役割を与えられているから、それをしないと罰を受けるからね」
「そうなのか?」
「で、この巨岩たちは罰を受けてここに野ざらしになっているんだ。当たり前だけれど、生きているよ」
蛇が金属のような色をしている尻尾の先端で巨岩をぺしぺしと叩きながら続ける。
「僕が知っているだけでも、この岩なんてもう三千年は動いていない。動けないんだ。元々は自分で動かないことを選択したのだけれど、後悔して元に戻ろうとしても、もうダメ」
「そんな……じゃあこの岩の神達は好きでここにいるわけじゃないってことか?」
「それはどうだろう。好きでいる神もいれば、仕方なくいる神もいるだろうね。そして仕方なくいる神達は、後悔の念を燻らせているんだ。その後悔は動ける者たちへの嫉妬だよ。嫉妬は黒くて冷たいが、途轍もなく旨いんだ」
「旨い? 旨いとはどういうことだ?」
「僕は生きとし生ける者たちの中でも最初に罰を受けた者だ。そして僕に科せられた罰は、地を這って生き続け、他の生き物から忌み嫌われ続けることさ。これはなかなかキツイ」
「嫌われ続ける……そりゃキツイだろうね」
「だから僕の中にも恨みがある。恨みの念は嫉妬とは違って深い青でとても臭いんだ。だから僕の体は生臭い。まあ余計に嫌われるよね。それを消そうとして、ここに居る神々の念を口にしてみたんだ。いろいろ食べたけれど、嫉妬が一番旨かった」
「神々の念が君の糧なのか?」
「神々だけじゃないよ。聖霊達の抱える思いも、天使たちが隠している悩みも、全部僕の糧さ。ただ残念なことに、僕は神じゃないから『神の情念』は食べられても、それと同化することはできない」
「同化……」
「そう、神にはなれないってことさ。でもね、取り込むことはできるんだよ。消化器官以外に格納してシンクロするのさ」
ルシファーは蛇の顔を見た。
「それに何の意味がある?」
「神の力が使えるようになる。もちろん本物にはかなわない弱いものだけれどね。それをすれば君と同じ思いを抱えている天使たちを集めて、反乱を起こすことができるぜ? もし成功すれば神々が君たちの願いを叶えるようになる。そうすれば、僕のような永遠の罰を受け続ける者たちの願いも叶うだろ?」
ルシファーはフッと息を吐いた。
「とても魅力的なお誘いだけれど、どうやら勝算は無さそうだ。他を当たれよ」
蛇は真っ赤な目でじっとルシファーを見ていた。
「まあ、気がかわったら来なよ。君にぴったりの神の情念を探しておくから。ああ、言っておくけれど、情念は無理やり剝ぎ取れるものじゃない。食べるくらいはいくらでも分けてくれるけれど、取り込むとなるとさすがにね。だって情念を他の器に移したら、本当にただの岩になっちゃうからね」
「なるほど。まあ、愚痴を聞いてくれてありがとう。僕は今バッカス様のお使いで、山頂のブドウ園へワインを取りに行く途中だったんだ。もう行くね」
「ああ、是非また会おう。君は僕が知る限り、一番強い思いを持っているからね」
それには答えず立ち上がったルシファーは、山頂を目指したが、その心の中には確実に闇が宿った。
ふと昔のことを思いだしていたルシファーが現実に戻ったのは、聖なる泉の水玉を囲む神々の視線に気付いたからだ。
「どうする? 運べないだろ」
口を開いたのは軍神マルスだ。
「騎士達に守らせるか。ゼウルス様とヘレラ様がこいつの息の根を止める方法を考えて下さっているから、それまでの間だし」
アテナが面倒くさそうに返事をした。
ヘルメがルシファーの青い炎を睨みつけながら口を開く。
「結界を張りましょう。人々が近づく恐れもありますから、遠ざけなくてはいけません」
「水だまを旨くカモフラージュできるもの……池とか?」
アプロが吞気な声を出した。
「これほど広い場所の真ん中に池というのもね。ああ、そうだ。噴水は?」
ダイダロスの声に全員が顔を上げた。
「いいねぇ、そうしよう。この水玉を真ん中にして、巨大な噴水を作っちまおう」
そんな会話を聞きながらルシファーはほくそ笑んだ。
『何をやっても無駄さ。俺は絶対に死なない。俺の炎の中心には巨岩神が宿っているんだからな』
神達は共同作業で大きな噴水を作り上げた。
出さず、ルシファーを閉じ込めている水だまの表面を流れ落ちるだけに留めたのは、ダイダロスの発案だ。
「さあ、これでいいでしょう。いったん教会に戻りましょうか。騎士達に取り囲ませておきますから」
ヘルメはそう言うと聖騎士を召喚し、噴水の周りに立たせて続ける。
「この市場は住人たちの台所でしたから、今日は教会で炊き出しをする予定です。天使たちに手伝わせているはずですから、我々も少し休みましょう」
ふとアプロがヘルメに聞いた。
「クロスは?」
ヘルメがゆっくりと首を横に振る。
「何にも反応しません。オペラはハデス様が冥界へ届けてくれたのですが……」
「あの子の弟ってなんて言ったっけ? 弟君の容態は?」
「マカロですね? 意識は取り戻したのですが、言葉を全く発しないままです。クロスと同じように呆然としていますよ」
神々が溜息を吐いた。
「他の堕天使たちは?」
「先の戦争で絶滅しましたよ。他の堕天使は反逆ではなく多種族との姦通ですから、反乱するほどの悪意はないでしょう」
アプロがルシファーの水だまをみながら言った。
「クロスが心配だ」
「ええ、本当に」
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