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16 ハイド子爵夫妻

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 翌朝三人で向かった食堂には、重苦しい空気が流れていました。
 食後の話し合いのことを考えると仕方がないのかもしれませんが、せっかく王都ではなかなか口に入らない新鮮な野菜サラダの味がわかりませんでした。

 一人でにこやかにモリモリと食事を進めるエヴァン様は、やはり強者というほかありません。
 ララも嬉しそうにパンをたくさん食べています。

「おいしいわ、このパンは少し色も味も濃いのね」

「おいしいでしょう?全粒粉パンっていうの。この辺りではポピュラーなのです」

 ハイド子爵夫人であるルーナ様がそう言いました。
 
「軽くトーストしてバターをたっぷり付けるのがミソですね」

 ハイド子爵も同調します。

「バターも新鮮でおいしいですね」
 
 エヴァン様、それ何個目のパンですか?

「あれ?ロゼは進んでないね。昨日は眠れなかったの?疲れが出ちゃったかな?それともまだ胃が痛い?」

「いいえ、良く眠れましたし、胃はもう大丈夫です」

 本当はほとんど眠っていません。
 だってあのエヴァン様に婚約を申し込まれたんですよ?
 普通の女の子は眠れませんって!

 そんな感じで終えた朝食の後、ハイド子爵が意を決したように私たちを見ました。

「では応接室に行きましょうか」

 私たちは立ち上がりました。
 エヴァン様はララに部屋で待つよう言われましたが、ララは首を横に振りました。

「ロゼといます」

 私はララの気遣いが嬉しく、彼女の手を握ってエヴァン様にお願いしました。

「エヴァン様、私もララがいてくれると心強いです」

「そう?じゃあララも同席しようか」

 応接間では、エヴァン様とハイド子爵が向かい合って座り、私とララは二人掛けのソファーに座りました。
 私たちの正面はルーナ夫人です。

「ではどこから始めましょうか?子爵は今回の経緯はご存じなのでしょうか?」

 エヴァン様が口を開きました。

「愚息から聞いた範囲でしか分かっていません。片側からだけの話で決める程軽い内容ではありませんから、できればローゼリアからも聞かせてほしいと思っています」

 私は落ち着いて話し始めました。
 学園で見かけたアランのことや、あの日聞いた王女とアランの会話など、できるだけ私情を挟まない様にしたつもりですが、やはりまだ傷は癒えていないのでしょう。
 途中から涙が流れてしまいました。

 ララがそんな私の手をギュッと握ってくれます。
 一緒にいてくれて良かったです。

「そうか、アランから聞いた話と概ね同じだが、あいつは詳細までは話さなかった。辛い思いをさせたね。本当に申し訳なかった」

 ハイド子爵が立ち上がって頭を下げられました。
 リーナ夫人も立ち上がり、私に向かって言いました。

「許してほしいとは言いません。言えるはずもありません。今私たちが謝っているのは自分たちの心を少しでも軽くしたいからだと考えて下さって構いません。でも本当に…申し訳ございませんでした」

「アランは廃嫡しました。すでに戸籍からも抜いています。あいつは平民となって暮らすことになりますが、当然の罰です」

 エヴァン様が言いました。

「一人息子でしょう?良く思い切られましたね」

「こうでもしないとベックに申し訳が立たない…」

 そう言うとハイド子爵は目を潤ませます。
 私はエヴァン様の顔を見てから、口を開きました。

「叔父様、父への恩義を感じて下さっているのは理解しました。でも、そこまでアランに罰を与えなくてはいけないほどのことでは無いと思うのです」

「ローゼリア?」

 ハイド子爵が驚いた顔で私を見ます。

「私たちの学園にはたくさんの婚約者同士がいましたが、婚約破棄ってそれほど珍しい事でもありませんでしたよ?政略結婚より恋愛結婚を選ぶ人が多かったです。しかも今回は婚約を白紙にするだけなので、お互いの経歴に傷がついたわけではありません。父への恩義がアランへの罰の重さになっているとしたら、父も喜ばないと思うのです」

「いや、でもダメだ。ベックの信頼を裏切ったことには違いないんだから」

「叔父様?その重責をアランと私に背負わせるのは間違っていませんか?それに、私にだって夢があるのです。アランと結婚して領地を継ぐだけが人生のように決められると…息苦しかったです」

「えっ?ローゼリアはアランと結婚するのを楽しみにしていたのではなかったかい?」

「ええ、あの頃はそう思っていました。でもそれは、それしか知らなかったからです。今の私はいろいろな道があることを知りました。それはアランも同じだったと思います。恋愛だってそうです。世の中にはとてもいろいろな方が生きていて、いろいろな出会いがあります。アランはそれがたまたま王女様だったというだけです」

 うまく言えない私にエヴァン様が助け舟を出してくれました。

「親は子供の幸せを願って決めたのだということは二人とも理解していましたよ。それに従うのが親孝行だと信じていた。でもそれだけしか選択肢が無いというのは、いささか酷ですよね。アランが王女と恋仲になったのは仕方がないし、そこまで責められることでは無いですよ。ただ彼は手順を間違った。そこが彼の罪です」

「アランは…息子は何を間違えたのでしょう」

 ルーナ夫人が涙声で言いました。

「優先順位ですよ。王女に惚れた時点で、まずはローゼリアと話し合うべきだった。逃げも隠れもせず正直に話すべきです。でも彼は王女に心を奪われながらも、親の言いつけを全うするのが自分の責務だと勘違いしてしまった。その考えがローゼリアを深く傷つけることになったのです」

 お二人は黙って俯きました。

「ローゼリア、辛い思いをさせてしまった。それでも私たちはアランを許すことはできない。エヴァン伯爵令息のいう通りだと思う。あいつはローゼリアからも私たちからも逃げたんだ。そしてそこまで息子を追い詰めたのは、親である私たち…だね」

「叔父様…」

「どうだろう、ローゼリア。私たちには領地を継いでくれる子がいなくなった。もちろんあの時ベックが助けてくれなければ、とうに無かった領地だけどね。そこで、君が継いでくれないか?ワンド州もハイド州も統合継承してほしい。私が後見人として預かっているワンド伯爵位も君の成人と同時に返還できるからね」

「それは…」

「まずは爵位を継承して、ハイド子爵領をワンド伯爵家で買い取るという形が対外的にも望ましいだろう。それにその代価は既に受け取っているんだよ。あの時私たちはワンド家の財産のほとんどをハイド家の立て直しに使った。それは本来なら君が受け継ぐべき財産だったんだ。だから私たちは領地の代金は先払いしてもらっているようなものなんだ」

「でもそれではダメです。ハイド家はアランが継がないと」

「いや、これはあいつの意見でもあるんだ。アランはもうこの地に帰る気は無いと言ったんだよ。それで、ローゼリアにはこちらで領地経営ができる貴族の子息との婚約を進めたいと思っているんだが、どうだろうか」

「ローゼリアちゃん、貴族の令嬢というのはいずれはどこかの貴族令息と結婚しなくてはいけないでしょう?それにあなたは女伯爵になるのだから、婿入りできる人を探さないとね。そこでアランより二つ上なんだけど、私の姉の息子はどうかと思うの」

「「待ってください!」」

 私とエヴァン様が同時に叫びました。
 そしてエヴァン様が私を目で制止して言いました。

「ハイド子爵、また同じ間違いを繰り返しますか?」

「私たちはローゼリアの親代わりとして!」

「親代わりですか。そこにローゼリアの意思はありますか?無いでしょう?それにローゼリアは私がすでに婚約を申し込んでいますから、ご遠慮願いたい」

「「ええっ!」」

「ね、ロゼ?」

 エヴァン様はニコニコして私を見ました。
 今まで黙っていたララが、同じような笑顔で言いました。

「そうです、ロゼは私のお姉さまになるのです。ですから、こちらの領地を引き継いでもドイル伯爵家がワンド女伯爵を全面的にバックアップをいたしますので、御心配には及びませんわ。兄は皇太子殿下の側近をしておりますので、王家からの支援も期待できますもの」

 ハイド子爵夫妻は口を開けたままポカンとしています。
 ルーナ夫人がゆっくりと私の顔を見て言いました。

「本当なの?ローゼーリアちゃん」

「は…はい…本当です」

 少し言い淀んでしまいましたが、私は頷きました。

「そ…そういうことなら…こちらからは何も言うことはありません。ではハイド州はワンド州に吸収合併という手続きを進めます。それでいいね?ローゼリア」

「ダメです。ハイド州はアランの…」

「ローゼリア、ありがたいがアランはもういないんだよ」

 私は俯いてしまいました。
 エヴァン様がララと席を替わりました。
 私の手を握って口を開きます。

「ロゼと私は王都に住む予定です。私の仕事の都合もありますし、ロゼも叶えたい夢を持っていますからね。そこで提案ですが、二つの領地と爵位は成人後にロゼが継承するとして、お二人には代官としてここに留まっていただけませんか?」

「私たちがですか?」

「ええ、ワンド地質研究所は国としても大いに期待している施設です。そちらは全面的に国がバックアップしていきましょう。ハイド州の交易港も同様です。重要な拠点ですからね、滅多な人には任せられない。国からも管理者を送ることにしましょう。そこで重要なのが、この地を把握しているロゼに誠実な代官です。ハイド子爵しかいませんよ?」

「私ですか…」

「叔父様、そうしてくださるならお申し出をお受けします」

「ローゼリアも同じ意見なのかい?」

「ええ、私は教育者になるという夢を追いたいのです。それには王都で暮らす必要があります。エヴァン様と…一緒に…」

「そうか」

 エヴァン様がもう一度私の手を握りなおしました。

「今までと同様にここでお仕事をしていただいて、立場が変わりますから、給与という形で報酬をお支払いします。この屋敷は無償の社宅と思っていただければ良い。もちろん定期的な報告はしていただきますし、こちらからも専門家を派遣して監査を実施します」

「なるほど」

「それと領地は受け継ぎますが、爵位はそのままお持ちください。全て書類上での動きですので、あえて周知をする必要も無いでしょう。領民をいたずらに不安にするだけですからね。如何ですか?」

「わかりました。ローゼリアがそれで良いならそうしましょう。私としてはベックに少しでも恩を返せるなら嬉しいですから」

「では、そういうことで。もちろん我がドイル家がローゼリアの後見人となりますので、ご安心ください。先ほど妹も言いましたが、私は皇太子殿下の側近です。彼が即位した後はそのまま国王の側近としてお仕えすることになっていますから、全面的に信用して下さって大丈夫です。愛するローゼリアを絶対に不幸にはしません」

 私は真っ赤な顔をしながら、コクコクと頷きました。
 早く終わってほしいという一心からですが、それを見たエヴァン様は満足そうに私の頭にキスを落としました。

 ララを見るとニヨニヨと笑っています。
 ハイド子爵もルーナ夫人も微笑んでいます。

「さすがに王太子殿下の側近をされるほどの方ですね。全面的に信頼します。ローゼリアをどうぞよろしくお願いいたします」

 外堀は完全に埋まったようです。
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