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消し去った女
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そして1年。
美咲は女の子を出産した。
「この子の名前は『幸』だ。幸子さんの『幸』だよ」
そしてまた1年、今度は男の子を授かった。
「この子は『裕』と名付けよう。裕子さんの『裕』だ」
過去を消した女達の名前が、新しい命と共に甦る。
しかし、それを知っているのは3人だけ。
志乃も美咲もそれで十分だと思った。
穏やかに月日が流れ、下の子が3歳になった夏、徒然たち一家は久々に伊豆の別荘を訪れた。
志乃に子供たちを任せて、夫婦は揃って夕食の買い出しに出掛けている。
「ここだよ。一人で伊豆に来ると、ここのお惣菜ばかり食べる羽目になる」
美咲が肩を竦める。
「もう子供達も落ち着いたし、今度からは私達も一緒に来るわね」
「ああ、そうしてくれるとありがたいよ。ほんの数日でも美咲と離れるのは辛いんだ」
テラスでのバーベキューをリクエストした子供たちのために、肉を選んでいた2人の後ろで、徒然を呼ぶ声がした。
「本田先生? ああやっぱりそうだ。お久しぶりです」
その声に聞き覚えがある美咲だったが、自分でも驚くほど心は穏やかなままだ。
「やあ、久しぶりだね山﨑さん。今日は一人? 編集長はいないの?」
「編集長は娘さんとデートだそうですよ。なんでも彼氏を紹介するとかで、昼間から機嫌が悪くて大変でした」
「ははは! 娘を持つ父親としては身につまされるね」
「先生にもお嬢さんが?」
「ああ、子供は2人だよ。上が女の子で下が男の子だ」
「そうですか。それは存じませんでお祝いもせず、大変失礼いたしました」
「いやいや、お気遣いなく」
「えっと……奥様ですか?」
「ああ、妻の美咲だ。美咲、伊豆タウンマガジンという地元誌で営業を担当している山﨑さんだ。一度寄稿したことがあってね」
美咲は笑顔を浮かべて挨拶をした。
「初めまして。妻の美咲です。いつも本田がお世話になっております」
「あ……あの……こちらこそお世話になっております。いや……何年か前にお見掛けしたときも思いましたが、おきれいですね。本当に先生が羨ましいですよ……少し迷いましたが、あの時の先生のお言葉に甘えて、お声をかけさせていただきました」
美咲が不思議そうな顔をしたが、徒然は肩を竦めて見せただけだった。
「そんなこともあったね。うん、美咲は自慢の妻だよ。ところで君は仕事で来てるの?」
「いえ、久々の連休ですよ。弟夫婦が海に誘ってくれましてね。息子は先に来ているのですが、私は仕事の都合で遅れて参加です。今日と明日、編集長が実家を貸してくれたので、兄弟そろって家族サービスですよ」
「そうなの。では明日も会うかもしれないね。まあお互い楽しもう」
「ええ、息子も中学生になりましたので、そろそろ一緒に遊んでくれなくなりそうですから、今年が最後かもと思っています」
「そうか、子供の成長は早いよね。うちもついこの前生まれたような気がするのに、上の子なんて一丁前に私を言い負かすんだから」
「ははは! それは頼もしい。しかし本当にそうですよね。子育てに追われていた頃は、この苦労が一生続くのかと思ったりもしましたが、最近は親が子に関われるのってほんの短い時間だなって感じます。寂しいですよ」
「だったらそろそろ再婚でも考えたら? もうサルは脱却したんでしょ?」
「ははは! できたかどうかはわかりませんが、日々子供に導かれてるって感じですかね」
「そう? 前に会った時より随分いい顔になってるよ?」
タイミングを見計らった美咲が徒然のシャツを引いた。
「徒然さん、そろそろ」
「ああ、そうだね。子供たちが待っているんだった。では失礼するよ、山﨑さん。編集長にもよろしく伝えてください」
「ありがとうございます……奥様、伊豆の夏を満喫してくださいね」
会釈をして去って行く背中に、孝志が手を伸ばしかけてやめる。
「裕子……」
その声は孝志の心の中だけに響き、誰の耳にも届くことは無かった。
あと1話ですので、本日21時に投稿いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
美咲は女の子を出産した。
「この子の名前は『幸』だ。幸子さんの『幸』だよ」
そしてまた1年、今度は男の子を授かった。
「この子は『裕』と名付けよう。裕子さんの『裕』だ」
過去を消した女達の名前が、新しい命と共に甦る。
しかし、それを知っているのは3人だけ。
志乃も美咲もそれで十分だと思った。
穏やかに月日が流れ、下の子が3歳になった夏、徒然たち一家は久々に伊豆の別荘を訪れた。
志乃に子供たちを任せて、夫婦は揃って夕食の買い出しに出掛けている。
「ここだよ。一人で伊豆に来ると、ここのお惣菜ばかり食べる羽目になる」
美咲が肩を竦める。
「もう子供達も落ち着いたし、今度からは私達も一緒に来るわね」
「ああ、そうしてくれるとありがたいよ。ほんの数日でも美咲と離れるのは辛いんだ」
テラスでのバーベキューをリクエストした子供たちのために、肉を選んでいた2人の後ろで、徒然を呼ぶ声がした。
「本田先生? ああやっぱりそうだ。お久しぶりです」
その声に聞き覚えがある美咲だったが、自分でも驚くほど心は穏やかなままだ。
「やあ、久しぶりだね山﨑さん。今日は一人? 編集長はいないの?」
「編集長は娘さんとデートだそうですよ。なんでも彼氏を紹介するとかで、昼間から機嫌が悪くて大変でした」
「ははは! 娘を持つ父親としては身につまされるね」
「先生にもお嬢さんが?」
「ああ、子供は2人だよ。上が女の子で下が男の子だ」
「そうですか。それは存じませんでお祝いもせず、大変失礼いたしました」
「いやいや、お気遣いなく」
「えっと……奥様ですか?」
「ああ、妻の美咲だ。美咲、伊豆タウンマガジンという地元誌で営業を担当している山﨑さんだ。一度寄稿したことがあってね」
美咲は笑顔を浮かべて挨拶をした。
「初めまして。妻の美咲です。いつも本田がお世話になっております」
「あ……あの……こちらこそお世話になっております。いや……何年か前にお見掛けしたときも思いましたが、おきれいですね。本当に先生が羨ましいですよ……少し迷いましたが、あの時の先生のお言葉に甘えて、お声をかけさせていただきました」
美咲が不思議そうな顔をしたが、徒然は肩を竦めて見せただけだった。
「そんなこともあったね。うん、美咲は自慢の妻だよ。ところで君は仕事で来てるの?」
「いえ、久々の連休ですよ。弟夫婦が海に誘ってくれましてね。息子は先に来ているのですが、私は仕事の都合で遅れて参加です。今日と明日、編集長が実家を貸してくれたので、兄弟そろって家族サービスですよ」
「そうなの。では明日も会うかもしれないね。まあお互い楽しもう」
「ええ、息子も中学生になりましたので、そろそろ一緒に遊んでくれなくなりそうですから、今年が最後かもと思っています」
「そうか、子供の成長は早いよね。うちもついこの前生まれたような気がするのに、上の子なんて一丁前に私を言い負かすんだから」
「ははは! それは頼もしい。しかし本当にそうですよね。子育てに追われていた頃は、この苦労が一生続くのかと思ったりもしましたが、最近は親が子に関われるのってほんの短い時間だなって感じます。寂しいですよ」
「だったらそろそろ再婚でも考えたら? もうサルは脱却したんでしょ?」
「ははは! できたかどうかはわかりませんが、日々子供に導かれてるって感じですかね」
「そう? 前に会った時より随分いい顔になってるよ?」
タイミングを見計らった美咲が徒然のシャツを引いた。
「徒然さん、そろそろ」
「ああ、そうだね。子供たちが待っているんだった。では失礼するよ、山﨑さん。編集長にもよろしく伝えてください」
「ありがとうございます……奥様、伊豆の夏を満喫してくださいね」
会釈をして去って行く背中に、孝志が手を伸ばしかけてやめる。
「裕子……」
その声は孝志の心の中だけに響き、誰の耳にも届くことは無かった。
あと1話ですので、本日21時に投稿いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
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