思い出を売った女

志波 連

文字の大きさ
上 下
49 / 58

徒然という男

しおりを挟む
「おはよう」

「あら、早いですねぇ」

 座敷で床の間の掃除をしていた志乃が明るい声を出した。
 美咲が磨き上げた廊下が、朝日を浴びて光っている。

「うん……志乃さん。昨日美咲から聞いたよ。いろいろとありがとう」

「そう。役に立てたのなら良かったわ。彼女は大丈夫?」

「大丈夫だよ。美咲は自分の意思で、裕子という女の思い出を私に売ると言った。その代価は私の人生のすべてで払う。美咲も了承してくれたよ」

「おめでとう、徒然さん」

「ありがとう……お母さん」

 志乃が驚いた顔で徒然を見たあと、その場で三つ指をついた。

「徒然さん。不束な娘ではございますが、とても性根の優しい娘でございます。臆病で引っ込み思案なところもございますが、どうぞ末長く可愛がってやってくださいませ」

 徒然が志乃の正面に正座する。

「こちらこそ、気の利かない若輩者ではございますが、あなたの愛した本田松延の名を汚すことの無いよう、これからも精進してまいりますので、妻共々お導き下さいますよう、心よりお願い申し上げます」

 二人は真面目な顔で頭を下げあった後、声を出して笑った。

「お母さんがそんなに笑うのって初めて見たよ」

「だって、徒然さんが……おかしいんだもの! 笑い過ぎてお腹が捩れちゃう」

「ははははは! そんなに笑うなんて酷いなぁ。頑張ったのに」

「そうね、頑張ったね。大変良くできました」

 台所から美咲が出てきた。

「何笑ってるの? ごはんできたよ?」

「ああ、今行く。ちょっと日本古来の儀式を2人でやってみたんだ」

 美咲が不思議そうな顔で小首を傾げた。

「さあ、いきましょうか。愛娘の旦那様」

「はい、参りましょう。愛する妻のお母様」

 また2人は笑い合った。
 台所に入ると、美咲が紅茶を淹れていた。

「徒然さん、ミルクティーにする?」

「今日はストレートにしよう。ハニートーストに合いそうだ。それより美咲、大丈夫?」

「何が?」

「体だよ。無理させちゃったから」

 志乃が紅茶を吹き出した。
 美咲が慌ててタオルを差し出したが、その顔は真っ赤に染まっている。

「徒然さんのバカ!」

「あ……ごめん」

 バタバタと音を立てて美咲が廊下に出た。
 慌てて追おうとする徒然を志乃が止める。

「私が行くわ。あなたは先に食べていてね。今日は出版社に行くのでしょう?」

「あ……ああ、そうだね。うん、よろしくお願いします」

 志乃がぽこんと徒然の頭に拳骨をひとつ落として出て行った。
 一人残った徒然は、バツが悪そうに黙々とトーストに嚙り付いている。

「美咲? 開けるわよ」

「お母さん……私……」

 志乃がソファーのクッションで顔を隠している美咲の肩を抱いた。

「おめでとう、美咲。徒然さんの妻になったのね」

 美咲が耳まで赤く染めて小さく頷く。

「あなた達って別荘に行っても寝室は別だし、イタリアにまで行ったのにそんな気配も見えないし。やきもきしてたのよ? 徒然さんていい年して意外とヘタレよね。そんなところも松延さんにそっくりだなんて」

 美咲が志乃の顔を見上げた。

「今日は出版社にお出かけでしょ? お見送りをしなくちゃね」

「はい」

「美咲。徒然さんを……あの子をどうぞよろしくお願いします」

 美咲は泣きそうになるのを必死でこらえながら、志乃に抱きついた。
しおりを挟む
感想 37

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

処理中です...