思い出を売った女

志波 連

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思い出を売った女

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「ごめんなさい……なんか要領を得ない話よね」

「そんなこと無いよ。私は君のことならなんでも知りたいって心から思っているから、話してくれてとても嬉しいよ。それにしても本当に一人でよく頑張ったね」

「ありがとう。で、どこまで話したっけ……」

「ニンニが自分みたいだってところ」

「ああ、そうなの。私……ずっと消えたかったのよ。子供の頃からずっと……。空気のような存在になれば、誰にも迷惑をかけないし、誰にも媚びる必要は無いでしょう? もともと自己主張は苦手だったし……孝志が玲子さんと浮気をしている時も、このまま気付かない振りをしていればこの暮らしを続けられるのだと思って我慢してた。でも、玲子さんが産婦人科医の前でVサインをして笑っている写真を見て、心から……なんていうのかな……絶望? 悲しみ? なんかそんな感情が湧き上がってきて、もう無理だって思ったの。でもその感情は玲子さんにではなく、孝志に対してだった」

「なるほど」

「私がここまで尽くしているのに、私がここまで我慢しているのに……私が何をしたというの……私が……私が……」

 徒然が裕子の背中に手を回し、ゆっくりと擦る。

「結局同じことなのよ。全部自分のためにやっていたことだったのよ。私はここまでやってるのよ? だから捨てないよね? とか……そんな感じ。もちろん結婚までしたのだもの、嫌いだったわけじゃない。でも孝志だからっていうのじゃないかもしれない。もし孝志より先に他の誰かが同じようにしてくれていたら、きっとその人と結婚していたと思う。要するに私はパラサイトなのよ。桜の木に寄生する宿木と同じ……いつかは切り落とされるのよ」

「そんなに自分を責めるもんじゃないよ」

「私、あの時初めて自分のやってきたことに気付いたのだと思う。ニンニが怒りで顔を現したのと同じ。自分の生きざまが本当に恥ずかしかった。恥ずかし過ぎて消えてなくなりたかったの。海の底の砂になりたいって……そう思った」

「あの日の言葉はそういう意味だったのか……」

「あの日、澄子と一緒に初めて徒然さんとあった日。徒然さんとても不機嫌そうな顔だったのに、途中からすごく優しい目をしてくれて、真剣に話を聞いてくれたでしょ? あんなに自分の過去を呪ったくせに、私……また同じことを考えてしまったの」

「何を考えたの?」

「この人に頼っても良いのかなって……最低よね……」

「私はそうは思わないけれど?」

 美咲が徒然の顔を見上げた。

「私は君に頼ってほしかったし、信じて欲しかった。不機嫌そうに見えたとしたら悪かったけれど、正直に言うと会うまでは少し面倒だなとは思っていたんだ。私も積極的に人にかかわる性格じゃないからね。でも君と話をしているうちに、どうしても君を助けたいと思ったんだ。自分の何を犠牲にしてもこの人だけはって。まあ……要するに一目惚れ」

「一目惚れ?」

「そう。私は君に一目惚れしたんだ。いやぁ……イタリアでのプロポーズも恥ずかしかったけれど、本人に一目惚れしましたって告白するのって、めちゃくちゃ恥ずかしい」

 徒然の顔が真っ赤になっていた。
 美咲がそんな徒然の頬に手を伸ばす。

「私は徒然さんと志乃さんの優しさに触れて、消していた体を現すことができたわ。志乃さんは私にとってのムーミンママね」

「じゃあ私は?」

「あなたはスナフキンよ。彼は私の初恋の人なの」

「ははは……そりゃ光栄だな。ギターの練習でも始めようかな」

 二人の距離がゆっくりと近づく。
 徒然が裕子の頬に当てた指先で、流れる涙を拭った。

「徒然さんにお願いがあるの」

「何かな?」

「私の思い出を……裕子としての全てを買ってください。そして私を美咲と呼んでください」

「美咲」

「もっとよ。もっと呼んで?」

「美咲……美咲、美咲、美咲。愛してる。君が裕子だろうと美咲だろうと関係なく、君という女性を心から愛している。君が美咲という名を望むなら、ずっと死ぬまでそう呼ぼう。どうやら私は君に依存しているみたいだ。君がいない世界が想像できないんだ。こんな気持ちになったのは初めてだよ」

「本当に?」

「ああ、私は父の影響で結婚願望が全くなかったんだ。だからここまで人を好きになる能力が自分にあったことに感動してる。ありがとう、美咲。それを私に教えてくれたのは君だ」

「徒然さん……」

「美咲。美咲美咲美咲美咲……抱きたい」

「うれしい……抱いてほしい。心から愛しているわ、徒然さん」

 貪るような徒然のキスに、先ほどまでとは違う涙が美咲の頬を濡らした。
 徒然は美咲を抱き上げ、書斎を出て美咲の寝室へ向かう。
 レースのカーテンだけが引かれた窓から差し込む月明かりが、重なりあう2人の体をほんのりと照らし、桜木の枝先が恥ずかしがるようにザワっと揺れた。
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