思い出を売った女

志波 連

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寄り添う女

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 それからまた2日が経ち、美咲は志乃と共に日常に戻っていた。
 まだどうするかの決心はつかないままだったが、志乃が言った『心が穏やかなのはどちらか』という問いへの答えは出ている。

 「こんにちは。三谷です、近くに来たので寄ってみました」

 インターフォンから友の声が響き、美咲は玄関へと駆け出した。

「澄子! いらっしゃい」

「こんにちは、美咲ちゃん。お菓子買って来たよ」

 ここまで自分を心配してくれている澄子にさえ、本当のことを言えないでいるということが、美咲の心に影を落とした。

「まあまあ、三谷先生。ようこそ」

 志乃が出てきてにこやかに迎え入れた。

「本田先生はご在宅ですか?」

「徒然さんはお仕事よ。今週はずっといないの」

「そうなの? だったら遠慮なくおしゃべりできるね」

 澄子の声に、美咲が笑い声を出した。
 
「三谷先生がいてくれるなら安心だわ。この間に私はお買い物に行ってこようかしら」

 志乃の言葉に2人が同時に頷き、美咲の部屋へと向かった。

「相変わらずきれいにしてるわね」

「なるべく物を置かないようにしてるの。ごちゃごちゃすると掃除がし難いでしょ?」

「私が引っ越した時にそれを言って欲しかったわ」

 笑いながら取り留めのない話をしていると、学生時代に戻ったような気持ちになる。

「そう言えばヤスミンって今はどこに住んでるの?」

 何気なく言った美咲の言葉に澄子が反応した。

「あんた……」

「あっ……」

 澄子が美咲の肩を掴んだ。

「大丈夫なの? 辛くない? 痛いところは?」

 ガクガクと揺すられながら美咲が口を開いた。

「ないよ。ないからもう揺すらないで」

「あ……ごめん。焦っちゃった。でもどうして? あんなに上手くいってたのに。本田先生なんて人生かけちゃってるような感じだったよ?」

「実はね……」

 美咲は記憶が戻ってしまった経緯をぽつりぽつりと話した。
 言葉を口から吐くたびに、心に沈んでいた罪悪感が少しずつ減っていくのがわかる。

「そうかぁ。はぁぁぁぁぁ……いつまで邪魔しやがるんだ! あのシモユル男とアバズレ女は!」

「ごめんね、思い出しちゃって」

「それは無いよ。それより今はどんな感じなの? また辛すぎてご飯が食べられないとか?」

「それがねえ、申し訳ないくらいなんでもないの。そんなこともあったわねって感じ? 悲しかったという記憶はあるのだけれど、どれくらい辛かったっていうのは思い出せないっていうか……途轍もなく辛かったというのは分かるのよ? でも、もうどうでも良いって言うか……そんな感じ」

「そうなんだ。だったら良かったよ。人ってさぁ、物理的に会わないということはできるけれど、記憶から消すには物凄い時間が必要なんだよね。時間が解決してくれるのを待つしか無いってことなんだけど、ものすごく辛いし痛いし悲しい時間を過ごさなくてはいけないんだ。あれからもう……7年だね。この7年間ってあなたにとってはどんな時間だった?」

「7年……そんなに経つのね。この7年はっていうより、美咲になってからはずっと幸せだったよ。辛いとかそんなのぜんぜん感じたことないもん」

「そうなんだね。だったら成功だって言えるんじゃない? 一番辛い時を幸せな記憶に変えて貰えてたんだもん」

「そうね……そうよね。うん、ホントにそうだわ」

「裕子に戻る? それとも美咲のままでいる?」

「志乃さんにも聞かれたんだけど、正直に言うと迷ってる」

「じゃあ質問を変えるね。裕子でいたい? 美咲でいたい?」

「……美咲でいたい」

「決まりじゃん! それで正解だよ。あなたは安倍美咲で、もうすぐ本田美咲だよ。しかも私より3歳も年下になったんだもん。これって大きいよ? 私は今32歳だけど、美咲は29歳だもんね。世論調査の円グラフなら、私とあなたは分類色が違うんだよ?」

「良いのかしら……徒然さんを騙してるみたいで申し訳ないわ」

「だったら言っちゃえばいいじゃん。戻っちゃいましたってさ。でも美咲としてあなたと一緒に生きていきたいですって」

「澄子……」

「美咲ちゃん、もっと愛した男を信じてやんなよ。まあ……あんな目にあったから疑っちゃう気持ちもわかるけどさあ。それとも、もう怖い?」

 美咲がブンブンと首を振った。
 それを見た澄子がニコッと笑う。

「ねえ、美咲。志乃さん帰ってきたらさ、三人でお蕎麦食べにいかない? たぬき蕎麦」

「え?」

「あなたが裕子として食べた最後の食事だったでしょ? 本当の意味で裕子を捨てる日の記念にぴったりだと思わない?」

「本当の意味で裕子を捨てる?」

「そうよ、無理やり消すのではなくて、自分の意志で捨てるのよ」

 玄関で志乃のただいまという声がした。
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