思い出を売った女

志波 連

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佇む女

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 時は少し遡る。

 孝志と暮らした部屋を出て数日、何もする気になれずホテルの窓から外ばかり見ている裕子の携帯電話が鳴った。

「今から部屋に行くね」

 澄子からの電話だ。

「うん、わかった」

 バスルームに干したままになっていた下着類を急いでボストンバッグに入れ、チラッと鏡で顔を確認した。

「相変わらずのやせっぽちねぇ」

 チャイムが鳴り、澄子がにこやかに入ってきた。

「お昼ごはんは?」

 小さく首を振る裕子。

「食べなきゃダメよ? あのね。例の件、連絡がとれたのよ」

「え? 例のって……あの話?」

「うん、今週なら東京にいるから会ってくれるって」

 裕子はどうすべきか迷ったが、ダメ元でも気晴らしにはなるかもしれないと思い直した。

「うん、会ってみたい。私はいつでもいいよ」

「じゃあすぐに行こう。仕事で何度かお伺いしたのだけれど、先生のお宅の近くに美味しいお蕎麦屋さんがあるんだ。冷やしたぬきがお勧めよ」

「そうね……うん、行こう」

 裕子は持ってきた中で一番新しいワンピースを身につけた。
 軽く化粧をし、髪型を整える。

「やっぱり裕子は美人さんだ」

「こんなに瘦せてるのに?」

「今は少し不健康な瘦せ方だけど、ちゃんとご飯を食べればすぐに戻るよ」

 池袋から地下鉄に乗る。
 降車駅から10分も歩いただろうか。

「なんと言うか、ここだけ昭和? いや、もっと古いかな」

「そんな感じだよね。国から保存指定されてそうな感じ」

 石造りの門柱には、大理石で作られた表札が埋め込まれている。

「本田……本田さんっていうのね?」

「そうだよ。ねえ、先にお蕎麦食べようよ。お腹すいちゃった」

 裕子は食欲を覚えてはいなかったが、澄子の言葉につられるように頷いた。
 冷やしたぬき蕎麦と、澄子だけ稲荷寿司を1つ食べた。
 蕎麦を1人前食べただけで褒めてくれる友人の優しさに、裕子の心は少しだけ明るくなった。

「行こうか」

 裕子の緊張をほぐすように澄子が明るく言った。

「どんな方か楽しみだわ。ご年配なのでしょう?」

「名前からするとそんな印象だよね。でもね、かなりお若いのよ。私たちと10歳も違わないんじゃないかしら」

「そうなの?」

「うん、私も初めてお会いした時は驚いたの。珍しいお名前だし、古風な感じだから『お年寄り』っていうイメージを持っちゃうよね。それに家も古そうじゃん?」

 先ほど二人で眺めた門扉に設置されているインターフォンを押す。

「はい」

 女性の声が聞こえ、澄子がマイクに一歩近づいた。

「お忙しいところ恐れ入ります。本日14時よりお伺いするとお約束をいただいております三谷と申します」

「少々お待ちくださいませ」

 大きな門扉の横にあるくぐり戸が開き、年配の女性が出てきた。

「ようこそいらっしゃいました。先生がお待ちです」

 先に立って案内をするその女性は、立ち振る舞いも上品で、この家の格式の高さを知らしめている。
 きょろきょろしながら進む二人が案内された部屋は、予想外にも洋室だった。
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