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41 ウメという女
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ハナの横をすり抜けて、ウメが土間に跪く。
「私が贄となりましょう」
三人の神が一斉にウメを見た。
「我が命はもう数年です。これまで式神としてお仕えして望外な幸福を授かって参りましたので、思い残すことはございません。このままこの地に留まっても、山で地に返るしかないない我が体がお役に立てるなら、これほどの喜びはございません」
三神は顔を見合わせた。
最初に口を開いたのは熊ジイだ。
「その心意気ぞ天晴である。菅原を呼び戻す」
菅原とはすが坊の正式な名だ。
これは本気だとハナは焦った。
ウメの後ろでハクが静かに涙を流している。
ハナが声を出そうとしたとき、座敷にすが坊が降り立った。
「ウメや、話は聞いた。今宵一夜、我が妻となれ」
そう言うとすが坊が熊ジイを振り返った。
熊ジイが頷き、天狗の団扇でウメを仰ぐ。
その風に吹かれたウメが、狐の姿から美しい女性へと変わった。
「ウメ、こちらに来なさい。我が情を授けようぞ」
すが坊の声に引き寄せられるように歩き出すウメ。
おじいちゃんがシマに言った。
「葛城屋敷の上客間に床をとれ」
シマが小さく頷き出て行く。
すが坊はウメの手を取り、優しく撫でた。
「我はお前を忘れはせぬ。お前も我を覚えておれよ?」
「勿論でございます。ああ、やっと……やっと願いが叶います。その御胸に抱かれることを夢見て、ウメはずっと待ち続けておりました」
「わかっておった。わかっておったが、お前を手放すのが嫌で手を出さなんだ。許せ」
「もったいないお言葉でございます。ウメは式神一の幸せ者でございます」
「さあ、ウメ。我らが褥に参ろうぞ」
「はいご主人様」
「今宵は真名を呼べ」
「はい、さん様」
「お前の魂はわが身に取り込み、あの梅の里に戻してやるからな」
「有難いことでございます。でもウメはいつでもさん様のお側に居とう存じます」
「どこへなりとも来ると申すか?」
「はい、一夜で必ず飛んでまいります」
「可愛い奴じゃ。ウメ……我が愛しき妻よ」
寄り添い合って消えていく二人の背中を見送りながら、ハナは涙が止まらなかった。
愛しい人のためにわが身を差し出そうとするウメの純愛。
自分もそれほどの恋をすることができるのだろうか。
そう思った瞬間に安倍一真の姿を思い浮かべ、慌てて消した。
家主が不在だった葛城邸にほんのりと明かりが灯る。
ウメの最後の夜がこの上なく幸せであることを心から祈るハナだった。
翌朝、ハナが禊を終えて祝詞を捧げてすぐに書き始めた護符が出来上がった頃、若草色に白い梅の花が刺しゅうされた打掛と真っ白な袴に身を包んだウメが、すが坊に抱かれて社に戻ってきた。
ウメはうっとりとすが坊の顔を見つめ、すが坊はきりっとした面立ちで軽々とウメを抱えている。
「では参るか」
ウメは静かにうなずき、ハクに頷いて見せた。
そしてゆっくりと口を開く。
「ハク、式神としての分別を忘れず、心からお仕えせよ」
「はい、お姉さま」
そしてシマに向き直る。
「姉上様、本当にいろいろとお世話になり感謝しかございません。ハクをよろしくお願い申し上げます」
「心得ました。任せておきなさい」
そしてハナの顔を見た。
「ハナさん、どうかお元気で。ハナさんのことはずっと見守っていますからね」
「うん、ありがとうウメさん。どうか……どうか……」
その先が言えずハナは涙声になった。
おじいちゃんが口を開く。
「泣くな、ハナ。式神として最上級の終焉を祝福してやれ。ウメよ、頼んだぞ」
「畏まりました。必ずやお役に立って見せます」
すが坊がギュッとウメを抱きしめ、熊ジイと香取神と一緒に消えた。
気付くと書台に置いていた護符も消えている。
すが坊が持って行ってくれたのだろう。
神々はどこまでも優しいとハナは思った。
「これで終わるはずじゃ。後は悪鬼じゃが、これは吉備津が何とかするじゃろう」
「それで終わる?」
「物の怪の類は消えてなくなることはない。安倍一真は良く働いておる。安心いたせ」
「うん。信じて待つしかないよね。じゃあ私はご飯を炊いて薬湯を煎じるよ」
「ああ、ハナにしかできないことじゃ。頑張ってくれ」
ハナは巨釜に研いだ米を移しながら、ウメの最後の笑顔を思い浮かべた。
もともと妖艶な美人だったが、今朝のウメは輝くような美しさだった。
「ウメさん、願いが叶ったんだね。おめでとう」
この社で呟くのは厳禁だとわかってはいたが、ハナは口に出さずにはいられなかった。
何回目かの飯が炊きあがった頃、戦士たちが続々と帰還してきた。
おむすびにするには間に合わず、シマの機転で味噌汁のぶっかけ飯を用意した。
せめてもとみそ汁の具を増やし、野菜や肉をたっぷり入れる。
神々は喜び、代わるがわるお代わりを要求した。
忙しく働きながらもハナの心は乱れている。
一真の姿が見えないのだ。
すが坊も戻ってきていない。
ハナは不安に包まれた。
「おじいちゃん、かず君とすが坊は?」
「ああ、二人は最後の勤めを果たしておる」
「最後の務め?」
「ああ、膨れすぎた怨念を身の内に取り込んだウメの体を、迷うことなく天に送り届ける役目じゃ。あれほどの悪意を取り込んだ体は、悪霊に狙われやすいからな。安倍の霊力と菅原の神力で、天に上るまで包み込んでおるのじゃよ」
「そう……ウメさん、逝っちゃったんだ」
「ああ、立派に成し遂げた」
「ウメさんは幸せだった?」
「そりゃ幸せだろうよ。このままただの狐として生を全うするより、最後に式神に戻り命を賭けて好いた男に抱かれたのじゃ」
「そうよね……幸せだよね。ウメさん……ありがとうね」
ハナの言葉に神々も箸を止めて目を閉じた。
「私が贄となりましょう」
三人の神が一斉にウメを見た。
「我が命はもう数年です。これまで式神としてお仕えして望外な幸福を授かって参りましたので、思い残すことはございません。このままこの地に留まっても、山で地に返るしかないない我が体がお役に立てるなら、これほどの喜びはございません」
三神は顔を見合わせた。
最初に口を開いたのは熊ジイだ。
「その心意気ぞ天晴である。菅原を呼び戻す」
菅原とはすが坊の正式な名だ。
これは本気だとハナは焦った。
ウメの後ろでハクが静かに涙を流している。
ハナが声を出そうとしたとき、座敷にすが坊が降り立った。
「ウメや、話は聞いた。今宵一夜、我が妻となれ」
そう言うとすが坊が熊ジイを振り返った。
熊ジイが頷き、天狗の団扇でウメを仰ぐ。
その風に吹かれたウメが、狐の姿から美しい女性へと変わった。
「ウメ、こちらに来なさい。我が情を授けようぞ」
すが坊の声に引き寄せられるように歩き出すウメ。
おじいちゃんがシマに言った。
「葛城屋敷の上客間に床をとれ」
シマが小さく頷き出て行く。
すが坊はウメの手を取り、優しく撫でた。
「我はお前を忘れはせぬ。お前も我を覚えておれよ?」
「勿論でございます。ああ、やっと……やっと願いが叶います。その御胸に抱かれることを夢見て、ウメはずっと待ち続けておりました」
「わかっておった。わかっておったが、お前を手放すのが嫌で手を出さなんだ。許せ」
「もったいないお言葉でございます。ウメは式神一の幸せ者でございます」
「さあ、ウメ。我らが褥に参ろうぞ」
「はいご主人様」
「今宵は真名を呼べ」
「はい、さん様」
「お前の魂はわが身に取り込み、あの梅の里に戻してやるからな」
「有難いことでございます。でもウメはいつでもさん様のお側に居とう存じます」
「どこへなりとも来ると申すか?」
「はい、一夜で必ず飛んでまいります」
「可愛い奴じゃ。ウメ……我が愛しき妻よ」
寄り添い合って消えていく二人の背中を見送りながら、ハナは涙が止まらなかった。
愛しい人のためにわが身を差し出そうとするウメの純愛。
自分もそれほどの恋をすることができるのだろうか。
そう思った瞬間に安倍一真の姿を思い浮かべ、慌てて消した。
家主が不在だった葛城邸にほんのりと明かりが灯る。
ウメの最後の夜がこの上なく幸せであることを心から祈るハナだった。
翌朝、ハナが禊を終えて祝詞を捧げてすぐに書き始めた護符が出来上がった頃、若草色に白い梅の花が刺しゅうされた打掛と真っ白な袴に身を包んだウメが、すが坊に抱かれて社に戻ってきた。
ウメはうっとりとすが坊の顔を見つめ、すが坊はきりっとした面立ちで軽々とウメを抱えている。
「では参るか」
ウメは静かにうなずき、ハクに頷いて見せた。
そしてゆっくりと口を開く。
「ハク、式神としての分別を忘れず、心からお仕えせよ」
「はい、お姉さま」
そしてシマに向き直る。
「姉上様、本当にいろいろとお世話になり感謝しかございません。ハクをよろしくお願い申し上げます」
「心得ました。任せておきなさい」
そしてハナの顔を見た。
「ハナさん、どうかお元気で。ハナさんのことはずっと見守っていますからね」
「うん、ありがとうウメさん。どうか……どうか……」
その先が言えずハナは涙声になった。
おじいちゃんが口を開く。
「泣くな、ハナ。式神として最上級の終焉を祝福してやれ。ウメよ、頼んだぞ」
「畏まりました。必ずやお役に立って見せます」
すが坊がギュッとウメを抱きしめ、熊ジイと香取神と一緒に消えた。
気付くと書台に置いていた護符も消えている。
すが坊が持って行ってくれたのだろう。
神々はどこまでも優しいとハナは思った。
「これで終わるはずじゃ。後は悪鬼じゃが、これは吉備津が何とかするじゃろう」
「それで終わる?」
「物の怪の類は消えてなくなることはない。安倍一真は良く働いておる。安心いたせ」
「うん。信じて待つしかないよね。じゃあ私はご飯を炊いて薬湯を煎じるよ」
「ああ、ハナにしかできないことじゃ。頑張ってくれ」
ハナは巨釜に研いだ米を移しながら、ウメの最後の笑顔を思い浮かべた。
もともと妖艶な美人だったが、今朝のウメは輝くような美しさだった。
「ウメさん、願いが叶ったんだね。おめでとう」
この社で呟くのは厳禁だとわかってはいたが、ハナは口に出さずにはいられなかった。
何回目かの飯が炊きあがった頃、戦士たちが続々と帰還してきた。
おむすびにするには間に合わず、シマの機転で味噌汁のぶっかけ飯を用意した。
せめてもとみそ汁の具を増やし、野菜や肉をたっぷり入れる。
神々は喜び、代わるがわるお代わりを要求した。
忙しく働きながらもハナの心は乱れている。
一真の姿が見えないのだ。
すが坊も戻ってきていない。
ハナは不安に包まれた。
「おじいちゃん、かず君とすが坊は?」
「ああ、二人は最後の勤めを果たしておる」
「最後の務め?」
「ああ、膨れすぎた怨念を身の内に取り込んだウメの体を、迷うことなく天に送り届ける役目じゃ。あれほどの悪意を取り込んだ体は、悪霊に狙われやすいからな。安倍の霊力と菅原の神力で、天に上るまで包み込んでおるのじゃよ」
「そう……ウメさん、逝っちゃったんだ」
「ああ、立派に成し遂げた」
「ウメさんは幸せだった?」
「そりゃ幸せだろうよ。このままただの狐として生を全うするより、最後に式神に戻り命を賭けて好いた男に抱かれたのじゃ」
「そうよね……幸せだよね。ウメさん……ありがとうね」
ハナの言葉に神々も箸を止めて目を閉じた。
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