一言主神の愛し子

志波 連

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35 もののけ

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 ハナが恐る恐る聞く。

「どうしたの?」

「ハナちゃん、ヤスさんとウメさんから離れてはダメだ。熊野神に水分神を守るよう伝えてくれ。僕は今からここに結界を張るからちょっと離れていてね」

 そう言うと一真は社から数歩離れた場所で印を結んだ。
 一真の足元から青紫の霧が立ち込め辺りを包む。
 ハナはヤスとウメに守られながら、社を背に立ち竦んだ。

「何事じゃ?」

「熊ジイ、かず君がみいちゃんを守ってくれって。結界張るって言ってた」

「……ただ事ではないようじゃな」

 熊ジイは社から出てこようとする水分神を押しとどめ、岩戸の中に入るように言った。

「ハナ坊、我から離れるな」

 熊ジイの声に緊張が走る。
 その間にも結界の構築は進んでいるのか、散らばっていた落ち葉が舞い上がり渦を巻きながら空へと流されている。
 ハナの耳の奥でキーンという金属音が響き、景色のすべてが静止した。

「結界は張り終わりました。どうやら悪しき神ではない気配がします。神ではなく妖怪の類だと思うのですが、なかなか力があるようだ」

 一真は緊張を解かず、熊ジイに説明をしていた。

「消せるか?」

「お任せください。どうかこの結界からは出られませんように」

 そう言うと一真はハナにニコッと笑いかけ、結界の外へと踏み出した。

「かず君!」

 ハナの声に一真は一度振り返ったが、その歩みは止めなかった。
 結界の境界なのだろう、地面から濃い紫色の光りが漏れている。
 それを踏み越えた一真が途轍もなく大きな声で気合を入れた。

「えいっ!」

 指が複雑な動きをして、印が何度も組みかえられている。
 そのたびに一真が気合を発し、木霊が呼応していた。

「姿を見せよ! この卑怯者が!」

 一真の声に応えるように、大きな木の影からドロドロとした黒い塊が姿を現した。

「どこぞの物の怪か! さあ! 答えよ!」

 ハナの耳には聞こえないが、黒い塊がぼそぼそと何かを言っていることだけはわかる。

「言葉を理解せぬか。すぐに浄化してやろう。お前を迎えてくれる天はある。楽になれ」

 そう言うと一真が今まで以上の気合を込める。

「去れ! えいっ! えいっ! えいっ!」

 黒い塊は一真の前に跪き、己が消されようとしているのに歓喜していた。
 一瞬体に衝撃を感じて目を閉じたハナが、再び目を開けると荒い息をして手を膝について体を支える一真の姿が飛び込んできた。
 黒い塊がいた場所はジメジメと湿っていたが、その姿はどこにもなかった。
 駆け寄ろうとするハナの体を結界の幕が押し返す。
 尻もちをついたハナを抱き起こしながら熊ジイが口を開いた。

「終わったか」

「はい、浄化いたしました」

「ご苦労じゃったな。さすがは安倍と加茂の血を受け継ぐ者じゃ。見事であった」

 熊ジイの言葉に照れたような表情を浮かべた一真が、チラッとハナの方を見た。
 ハナは未だに現実に戻っていないのか、ポケッとした顔をしている。
 熊ジイが水分神に声を掛け、社の中の岩戸を開ける。
 出てきた水分神は、以前とは比べ物にならないほどの美神だった。
 ヤスとウメがひれ伏し、ハナと一真は膝をついて頭を下げた。

「あらぁ~ハナちゃん。久しぶりねぇ~。今日はいっくん一緒じゃないのぉ? 残念ねぇ。でも……うふふ。こちらとっても見目麗しい殿方だわ~。ハナちゃん紹介してよぉぉ~」

 前回は老婆だったので、そのイメージを引きずっていたハナは絶句した。
 
「あっ、えっと、こちらの方は陰陽師の安倍一真さんです。おじいちゃんが一緒に廻るようにって」

「あらそうなの? 私に仕える者ではないの? まぁぁ! それは残念ねぇ。どうかしら? 安倍一真とやら、妾とともにこの地に残らぬか? 良き思いをさせてやろう」

 一真が首を横に振りながら数歩後退り、ハナは微妙に怒った顔をした。

「揶揄うな。悪い癖じゃ。まあそれほどまでに回復したなら問題ないな」

 熊ジイが水分神に小言を言った。

「あらあら、そんな真剣な顔で怒らないでちょうだいな。だってとってもいい男なんだもん、欲しくなって当然でしょう? それとももうハナちゃんが唾つけた?」

「つ……つばって……」

 ハナが真っ赤な顔をする。

「いい加減にせよ! それでかず君や、先ほどのは何者ぞ?」

 熊ジイの声にこくんと頷いた一真が答えた。
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