一言主神の愛し子

志波 連

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29 真っ白な衣裳

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 滝に浸かり身を清めたおじいちゃんに向かってハナが聞いた。

「ねえ、さっき言っていた社を捨てた神ってここに来るのでしょう? そうなるとその地は誰が守るの?」

 おじいちゃんが最上のおばちゃんから徳利を奪い取りながら返事をした。

「誰もいないさ。良く言う『神も仏もない』状態だ。そうなると天災が襲う。でもこれは悪しき神が起こすものではないぞ? 天災はあくまでも天の差配じゃ。まあ人間たちがきちんとその地に棲まう氏神を祀っておれば回避できるじゃから、ある意味人災じゃな。まあそればかりではなく、いくら氏神でも抑えきれん天災もある。こればかりはどうしようもない」

「そうなんだ」

「それはそうとすが坊や。わが愛し子は祝詞を書けたか?」

 嬉しそうな顔ですが坊が空中から塗箱を取り出した。

「こちらに。立派な祝詞でございます」

「そうか、見せてみよ」

 すが坊から塗箱を受け取ったおじいちゃんが、ハナの書いた初祝詞を見詰める。

「いいな。これなら万全じゃ。ハナよ、よく頑張ったな。ここまでできればお前は家に戻っても良いぞ? 俺としてはここで一緒に暮らしたいが、お前にも都合があるからな」

 ハナはブンブンと首を振った。

「都合なんてないよ。お父様もお義母様も義妹もシマさんとヤスさんがいれば大丈夫でしょう? 私はおじいちゃんと一緒にここにいたい。でも行き来ができるようになったのなら、時々はシマさんと買い物にいけるね。おじいちゃんが喜ぶものを買ってくるよ」

 おじいちゃんの顔が盛大ににやけた。

「そうかそうか、ハナはおじいちゃんが好きか。さもあろう、さもあろう。なあ熊ジイと最上! 聞いたか?」

 二人が同時に片眉だけを上げてフンとハナを鳴らした。

「ああ、聞いておった。羨ましいことじゃ」

 熊ジイが苦笑いをしながら言った。
 最上のおばちゃんは黙ったまま、おじいちゃんから徳利を奪い返している。
 にやけ切ったおじいちゃんはすが坊の肩をバシバシ叩いている。
 ウメとハクは笑いを嚙み殺していた。

「なあ、ハナや。この祝詞はすぐに役立つ。言霊の乗せ方は覚えておるか?」

「うん、夢枕に立つときと同じだよね?」

「そうじゃ、明日から早速始めるぞ。あまり時間が無い。滝で身を清め、朝日が昇ると同時に呟きなさい」

「はい」

 ハナは真剣な顔で返事をした。

「では我は式神どもを迎えに行ってやろう。ハナ坊、飯を頼む」

「うん、任せておいて! ハクさん、よろしくね」

 ハクは大きく頷いて、新しい米俵の藁蓋を取った。
 中から和紙で作った米袋をどんどん作業台に並べていく。
 それを見ながら最上のおばちゃんが言った。

「今日から新米か? ここらの秋祭りではさほども集まるまい?」

 ハナが返事をした。

「うん、今日から新米よ。このお米は買ってくるの。うちは社があっても参拝は受けていないから上納米は入らないのよ」

 最上のおばちゃんが驚いた顔をする。

「なんと! それは大変な出費じゃなぁ。いくら葛城家が商売がうまかろうとなかなか大変なことじゃ」

 おじいちゃんが横から口を出す。

「葛城の家は廃れんよ。俺がいい塩梅に呟いているからな。この家の家計は安泰じゃ」

「そうは言うても戦となればままなるまい。吾が送らせようぞ。なに、毎年困るほど集まるから問題はない。それに今からはお前様とハナちゃんの分だけというわけにはいかんぞ? おそらく毎日一俵ずつ消えるであろう?」

 おじいちゃんは顎に手を当てて難しい顔をした。

「式神は良く喰らうでなぁ……神たちも飢えておろうし。一人一日五合として……一俵で何人分んじゃ?」

 すが坊が瞬時に答える。

「1日一俵で80人分ですね」

 おじいちゃんが絶望的な顔をした。

「1日一俵でも足らぬわ」

 最上のおばちゃんが縁側で大笑いしている。

「なあハナちゃん、そこの納戸を開けてごらん。米俵が積んであるじゃろう?」

 ハナは頷いて作業台の横の納戸を開けた。

「すごい数ね」

「そこを吾が束ねる北の米蔵と繋げておいた。無尽蔵とは言わんが困ることはあるまいよ。遠慮なく使いなさい」

「すまんな最上」

 おじいちゃんが殊勝な言葉を口にした。

「なんじゃ! 気持ち悪い声を出すな! これもヒノモトのためぞ。縁りゃはいらぬ」

 良く分からないうちに食糧問題は解決したようだ。
 それにしてもいったいどのくらいの神々が集うのだろうか。

「ねえおじいちゃん、お部屋はどうするの?」

 おじいちゃんが振り返った。

「ヤスに言うて引き出しが百ほどある棚を作らせよう。それが二つもあれば問題ない」

「小引き出し?」

 それ以上説明もせず。おじいちゃんは最上のおばちゃんと酒盛りを始めてしまった。
 ハナは肩を竦めながら、ハクが次々に研いでいく米を大釜に移す作業に没頭した。
 あくる朝、夜が明けきる前に起きだしたハナは滝に浸かって身を清めた。
 さすがに晩秋ともなると水が冷たい。
 白装束で滝に入って行くハナを見ながら、おじいちゃんと最上のおばちゃんは何やらブツブツと呟いている。

「もう良かろう。こちらに来なさい」

 ハナが水から上がると同時に衣が乾き、体温が元に戻っていく。
 神の力とはなんとも便利だと思いながら、ハナは座敷に上がった。
 カサカサと音がして、白装束から衣装が変わっていく。
 前回は巫女装束だったが、今回は神職装束を纏っていた。
 初めて着る真っ白な袿袴(けいこ)に、ハナの心臓は鼓動を速めた。

「もうハナは正式な神の遣いとなったのじゃ。良く似合うぞ」

 おじいちゃんが嬉しそうに言った。
 ハナが大きく息を吐く。
 ウメもハクも社から出て裏庭に出て、膝をついて頭を下げた。
 すが坊と最上のおばちゃんも土間におりて同じ姿勢をとる。
 滝を背に正座をするおじいちゃんの前に立ち、ハナは言霊を操る祝詞を口にした。
 
 辺りの空気がピンと張り詰める。
 どこからか清々しい風がそよいできて、ハナの髪を擽るように揺らした。
 言い終わったハナがおじいちゃんを見ると、満足そうに頷いている。
 安心したハナは続けて昨日書いた祝詞を唇にのせた。

 言い終わるとザッと一陣の風が巻き起こり、ハナの周りを何度か巡り障子の外に出る。
 その風が止むと、おじいちゃんがパチパチと拍手をした。

「立派じゃったぞ、ハナ。自慢の愛し子じゃ」

 土間に降りていた最上のおばちゃんとすが坊も座敷に戻ってきた。
 二人とも何度も何度もハナを褒め、ハナは感激で涙ぐんでしまった。

「そろそろ来る頃じゃ。ハナよ、頼むぞ」

 あっという間に普段の着物に変わったハナが頷いて厨房に向かう。
 ハクが入ってきて竈の火の様子を伺い、ウメは裏庭で七輪に入れた炭を熾し始めた。
 一瞬だけの非日常とすぐに戻ってきた日常の狭間で、ハナはの心はホワホワとしている。
 次々に炊きあがる飯を、大きな盥に移し替える。
 大鍋には味噌汁が湯気を立て、焼いた干物の良い匂いが厨房の中にも漂っていた。

「帰ったぞ! 今回は50じゃ」

 裏庭から熊ジイの声が響いた。
 その後ろからわらわらと小さな子供たちが顔を覗かせ、クンクンと炊き立ての飯の匂いを楽しんでいる。
 ハナとハクとウメは戦場のような慌ただしさに身を投じた。
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