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18 初仕事
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その老人はまるで息をしていないかのように眠りこけている。
ときどき指先がぴくっと動くのは、夢の中にいる証拠だろう。
「落ち着いて! やればできる!」
ハナは呟くように自分を励ました。
ブツブツと覚えたての祝詞を唇にのせ、じっと目を閉じて祈る。
急に足元の景色が崩れ落ち、ハナは自分が宙に浮いているような恐怖に襲われた。
聞き知っていたとはいえ、つい先日まで一般人だったハナ。
叫びだしそうな気持ちをグッと堪えて目を開けた。
うつろな目でハナを見ているのは、先ほどの老人だ。
少し若く思えるのは気のせいだろうか。
ハナは少しだけ大き目の息を吸って、口を開いた。
「この地を守る神は嘆いておられる。この地を守護する有難き神を、可惜疎かにする者は天罰が下ろうぞ。水は枯れ田畑はひび割れ、人々は飢えに苦しみ子は育たぬ。良いか? その我は神の使いなり。心穏やかにして我の声を聞く者は、その厄災から民を救う者なり。その者こそ、今我が眼前に跪くお前じゃ。水分の社を清め供物を絶やすな。我は見ておるぞ」
ところどころ嚙んでしまったのはご愛敬だ。
ハナは再び祝詞を唱え、目を閉じた。
元の部屋に戻っている自分の足を見て、大きく息を吐く。
先ほどまで静かに眠っていた老人の瞼がぴくぴくと動いていた。
庭の方から声がする。
「起きる前に戻れ」
最上のおばちゃんお声だ。
ハナはスッと体をずらした。
庭に出ると、相変わらずの美少女ぶりを惜しげもなく歪めた笑顔で、最上のおばちゃんが迎えてくれた。
「ようやった。しかし、今宵だけでもあと5人じゃ。行くぞ、ハナ!」
「はい」
その夜のうちに予定人数を回りきり、全てを終えたのはもう東の空が色を変え始める頃だった。
「ご苦労じゃったな、ハナ坊。褒美にこれをやろう」
ニコニコ顔の熊ジイが取り出したのは、甘辛い味噌がたっぷり乗った田楽だ。
「ありがとう。熊ジイ」
「お……おうよ!」
三人で桜桃の枝に座り、田楽を頬張る。
鼻に抜ける香ばしい匂いに、ハナはふとおじいちゃんを思い出した。
「おじいちゃんにも食べさせてあげたいな……」
ハナの言葉に熊ジイが感激したような顔をする。
「ハナ坊は良い子じゃな。よしよし、これを土産にしてやろう。さあ、戻ろうか」
三人の姿が靄の中へ吸い込まれた。
葛城の社に戻ると、おじいちゃんが縁側で寝そべっている。
「帰ったよ、おじいちゃん」
おじいちゃんの姿は子供に戻っており、眠そうな顔でハナを見た。
「おう、ハナか。良く戻ったな。大事は無かったか?」
「うん、大丈夫だと思う。それよりおじいちゃん? 少し瘦せた?」
「あっ……ああ、だいぶん吸いとられてしもうたからな。今日からまたハナの作る旨いめしで補給せねばな」
吸い取られたとはどういうことかと思ったが、ハナの横で静かに首を振る最上のおばちゃんを見て、触れてはいけないのだと察した。
「じゃあすぐに朝ごはん作るね。そう言えばウメさんは?」
「ああ、あやつはシマのところに行っておる。式神は式神どおしで話もあるのじゃろう。それより熊ジイ、様子を聞かせよ」
ハナは台所に立ち、神々は縁側で話を始めた。
ご飯が炊きあがり、熊ジイが持ってきた味噌田楽を焼きなおす。
味噌汁は作業台に置かれていたキノコと豆腐で作った。
「久しぶりね。このナバも」
ヤスさんこと猪の式神は、夏になると山に入りこのキノコを採ってくる。
そのキノコをヤスさんは『ナバ』と呼び、葛城家の初夏の風物詩のようなものだった。
勝手口の隙間から差し込む朝日の強さに、目を細めつつ竈の前で腰を伸ばすハナ。
巫女の衣装も素敵だが、やはり自分にはこの絣がふさわしいとハナは思った。
「できたよ。まだお話しは終わらない?」
ハナの声に三人が一斉に振り向いた。
「話より飯じゃ」
一番最初に声を出したのは最上のおばちゃんだ。
香のものは筍のぬか漬けを選ぶ。
相変わらずハナは箸をとるより、お代わりをよそうことに忙しい。
自分の作ったものを、これほどおいしそうに食べてくれる三人の幼子に、ハナは自分の中で母性本能が育っているのでは無いかと考えていた。
何杯目かの白飯に、ほうろで炒った茶をかけて流し込む三人。
がつがつと食べているようで、その所作はとても美しい。
食事が終わる頃にウメが戻ってきた。
その手にはビワが枝ごと抱えられている。
「片づけは私がやりましょう。その間にハナさんはお勉強の支度をして下さいね」
ウメがおじいちゃんの方を見たが、プイっと目を逸らされて苦笑いをしている。
「うん、今日もよろしくね」
ウメはニコッと微笑んで、テキパキと片づけを始めた。
ビワを丁寧に枝からもぎ取り、汲み上げた井戸水につける。
そっとひとつ手に取ったが、まだ若そうな手触りだった。
「ねえ、ウメさん。これどうするの?」
「ビワですか? 酢漬けにしてワカメと和えようと思っています。今からが旬ですが、まだ酸っぱいですからね」
「ふぅ~ん。そういうやり方もあるんだ。ウメさんは物知りねぇ」
「そりゃハナさん。だてに千年も生きちゃいませんよ」
「千年?」
「あら、嫌だわ。ハナさんったら。女に齢など聞くものではありませんわ」
「あ……ごめんなさい」
千年を超えて存在していても年齢が気になるものなのか? とハナは思った。
「さあさあ。始めましょうね」
腹がいっぱいになった三人の神は、すでにゴロゴロと寛いでいる。
あれで、昼餉もたらふく食べるのだから物凄い代謝量だ。
ハナはブンブンと顔を振って、勉強に集中した。
ときどき指先がぴくっと動くのは、夢の中にいる証拠だろう。
「落ち着いて! やればできる!」
ハナは呟くように自分を励ました。
ブツブツと覚えたての祝詞を唇にのせ、じっと目を閉じて祈る。
急に足元の景色が崩れ落ち、ハナは自分が宙に浮いているような恐怖に襲われた。
聞き知っていたとはいえ、つい先日まで一般人だったハナ。
叫びだしそうな気持ちをグッと堪えて目を開けた。
うつろな目でハナを見ているのは、先ほどの老人だ。
少し若く思えるのは気のせいだろうか。
ハナは少しだけ大き目の息を吸って、口を開いた。
「この地を守る神は嘆いておられる。この地を守護する有難き神を、可惜疎かにする者は天罰が下ろうぞ。水は枯れ田畑はひび割れ、人々は飢えに苦しみ子は育たぬ。良いか? その我は神の使いなり。心穏やかにして我の声を聞く者は、その厄災から民を救う者なり。その者こそ、今我が眼前に跪くお前じゃ。水分の社を清め供物を絶やすな。我は見ておるぞ」
ところどころ嚙んでしまったのはご愛敬だ。
ハナは再び祝詞を唱え、目を閉じた。
元の部屋に戻っている自分の足を見て、大きく息を吐く。
先ほどまで静かに眠っていた老人の瞼がぴくぴくと動いていた。
庭の方から声がする。
「起きる前に戻れ」
最上のおばちゃんお声だ。
ハナはスッと体をずらした。
庭に出ると、相変わらずの美少女ぶりを惜しげもなく歪めた笑顔で、最上のおばちゃんが迎えてくれた。
「ようやった。しかし、今宵だけでもあと5人じゃ。行くぞ、ハナ!」
「はい」
その夜のうちに予定人数を回りきり、全てを終えたのはもう東の空が色を変え始める頃だった。
「ご苦労じゃったな、ハナ坊。褒美にこれをやろう」
ニコニコ顔の熊ジイが取り出したのは、甘辛い味噌がたっぷり乗った田楽だ。
「ありがとう。熊ジイ」
「お……おうよ!」
三人で桜桃の枝に座り、田楽を頬張る。
鼻に抜ける香ばしい匂いに、ハナはふとおじいちゃんを思い出した。
「おじいちゃんにも食べさせてあげたいな……」
ハナの言葉に熊ジイが感激したような顔をする。
「ハナ坊は良い子じゃな。よしよし、これを土産にしてやろう。さあ、戻ろうか」
三人の姿が靄の中へ吸い込まれた。
葛城の社に戻ると、おじいちゃんが縁側で寝そべっている。
「帰ったよ、おじいちゃん」
おじいちゃんの姿は子供に戻っており、眠そうな顔でハナを見た。
「おう、ハナか。良く戻ったな。大事は無かったか?」
「うん、大丈夫だと思う。それよりおじいちゃん? 少し瘦せた?」
「あっ……ああ、だいぶん吸いとられてしもうたからな。今日からまたハナの作る旨いめしで補給せねばな」
吸い取られたとはどういうことかと思ったが、ハナの横で静かに首を振る最上のおばちゃんを見て、触れてはいけないのだと察した。
「じゃあすぐに朝ごはん作るね。そう言えばウメさんは?」
「ああ、あやつはシマのところに行っておる。式神は式神どおしで話もあるのじゃろう。それより熊ジイ、様子を聞かせよ」
ハナは台所に立ち、神々は縁側で話を始めた。
ご飯が炊きあがり、熊ジイが持ってきた味噌田楽を焼きなおす。
味噌汁は作業台に置かれていたキノコと豆腐で作った。
「久しぶりね。このナバも」
ヤスさんこと猪の式神は、夏になると山に入りこのキノコを採ってくる。
そのキノコをヤスさんは『ナバ』と呼び、葛城家の初夏の風物詩のようなものだった。
勝手口の隙間から差し込む朝日の強さに、目を細めつつ竈の前で腰を伸ばすハナ。
巫女の衣装も素敵だが、やはり自分にはこの絣がふさわしいとハナは思った。
「できたよ。まだお話しは終わらない?」
ハナの声に三人が一斉に振り向いた。
「話より飯じゃ」
一番最初に声を出したのは最上のおばちゃんだ。
香のものは筍のぬか漬けを選ぶ。
相変わらずハナは箸をとるより、お代わりをよそうことに忙しい。
自分の作ったものを、これほどおいしそうに食べてくれる三人の幼子に、ハナは自分の中で母性本能が育っているのでは無いかと考えていた。
何杯目かの白飯に、ほうろで炒った茶をかけて流し込む三人。
がつがつと食べているようで、その所作はとても美しい。
食事が終わる頃にウメが戻ってきた。
その手にはビワが枝ごと抱えられている。
「片づけは私がやりましょう。その間にハナさんはお勉強の支度をして下さいね」
ウメがおじいちゃんの方を見たが、プイっと目を逸らされて苦笑いをしている。
「うん、今日もよろしくね」
ウメはニコッと微笑んで、テキパキと片づけを始めた。
ビワを丁寧に枝からもぎ取り、汲み上げた井戸水につける。
そっとひとつ手に取ったが、まだ若そうな手触りだった。
「ねえ、ウメさん。これどうするの?」
「ビワですか? 酢漬けにしてワカメと和えようと思っています。今からが旬ですが、まだ酸っぱいですからね」
「ふぅ~ん。そういうやり方もあるんだ。ウメさんは物知りねぇ」
「そりゃハナさん。だてに千年も生きちゃいませんよ」
「千年?」
「あら、嫌だわ。ハナさんったら。女に齢など聞くものではありませんわ」
「あ……ごめんなさい」
千年を超えて存在していても年齢が気になるものなのか? とハナは思った。
「さあさあ。始めましょうね」
腹がいっぱいになった三人の神は、すでにゴロゴロと寛いでいる。
あれで、昼餉もたらふく食べるのだから物凄い代謝量だ。
ハナはブンブンと顔を振って、勉強に集中した。
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