一言主神の愛し子

志波 連

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16 為すべきこと

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「もう出ますね」 

 湯殿を出ると、洗いたての手拭いと洗いざらしの浴衣が用意されていた。
 湯冷めしないように手早く身支度をする。
 座敷に戻る途中の風が、火照った肌に心地よい。
 厨房に入ると冷えたスイカが切り分けられていた。

「まあ! 初物です!」

 すでに食べ始めているおじいちゃんが言った。

「当たり前じゃ、初物は神に捧ぐのが決まり事。まったく最近の人間は自分の力で生きていると思うておるな。生かされておるという事を忘れて、得手勝手な願い事ばかり口の乗せおる」

 おじいちゃんの愚痴を聞き流しつつ、口の中に貯めた種をぷっと皿に吐き出した。

「ねえおじいちゃん、もし私が修行は嫌だ、上の学校に行きたい! とか、儀式なんかやらない! って言ってたらどうなってたの?」

「そうじゃなぁ……別に何も変わらんよ? ハナが嫌なら葛城が滅びるだけのこと。わしはまた漂うだけじゃ。どうした? ハナは嫌々やっておるのか?」

「ううん、違うよ。嫌も何も考えたことが無かっただけ。そうかぁ、これが私の定めかぁ~みたいな感じ。でも今はとても楽しいよ。葛城ハナに生まれて良かったって思ってる」

「そうか、それは重畳。為すべきを為す。それが人の道じゃ」

「うん、わかった」

 ハナの中で何かがストンと腑に落ちた。

「よしよし、腹を決めたハナに少し手伝って貰おうかの。どうであろう、此度のことはハナに任せようと思うが」

 熊ジイが頷いた。

「それも良かろう。夢枕に立つならジジイより天女の方が効き目があるわい」

 翌朝から、古代語の猛特訓が始まった。
 今どきの若者に伝えるなら現代語の方が良いのではというハナの意見は却下され、折衷案として重要なところは現代語にするという案が採用された。
要するに、獏が何度も夢の中でお告げを試みたが、そもそも信仰心が薄まっているためか大きな変化が見られないというのだ。

「普段ならそれも人間が選んだ道だとして放置するのじゃが、此度ばかりは水分の神の存続がかかっておるからなぁ、水分がかの地を離れると最上のババアが割を食うし、最上まで離れたとなると、ヒノモトの民の口に米が入らんという事態になる。そうなると国外にその糧を求めることとなるのじゃ」

 ハナは息を吞んだ。

「戦争……」

「そうじゃ。たかだたあんな小山の水源と思うてはならんほどの大事じゃぞ」

 あまりの話の広がりに、ハナは身の引き締まる思いがした。

「うん、私は私にできることをするよ」

 そう言ってまた机に向かうハナ。
 以前よりスルスルと頭に入って行くような気がする。
 きっとウメの教え方がうまいのだろう。
 いやいや、おじいちゃんが下手というわけでは無く……

「未然形と連用形は完璧に理解なさいましたわ。あとは係り結びが理解できれば楽になります。そこまでくればナ行とラ行もお茶の子ですわ」

 ウメがコロコロと鈴を転がすように笑った。
 苦笑いをするハナを見ながら、おじいちゃんがウメに言う。

「少し疲れておるの、霊力が縮んでおるようじゃ。ウメ、悪いが甘味を用意してくれ」

「畏まりました」

 ウメが数秒目を瞑り、小さくお辞儀をして出て行った。

「ハナや。この祝詞が読めるか?」

 最上のおばちゃんが奉書紙を差し出す。
 じっと見ていたハナが大きく頷いた。

「うん、読めるよ。すごい! 読めるよ、私!」

 おじいちゃんも熊ジイも嬉しそうに笑っている。
 最上のおばちゃんが言った。

「まだ下書きじゃが、ハナは口にしてはならぬよ。黙読だけじゃ。ここで音にするのは熊ジイか我だけ。よいな?」

 それから四人は頭を寄せ合って、どの部分を現代語訳するか話し合った。
 熊ジイが言う。

「要するにやらねばならぬところはわかる言葉にせねばならんということじゃな。この場合は供物を供えるということじゃな」

 最上のおばちゃんが口を出した。

「崇め称えることも必要じゃぞ?」

 ハナが頷いた。

「その二つが大切なんだね。この部分は?」

 ハナが指差しした箇所を見る神々。

「そうじゃな……そこじゃな」

 北の二神が頭を悩ませていると、一言主神であるおおじいちゃんが言った。

「そこは教えてやる必要はあるが、それを重要部分にすると定言命題の基本が崩れるぞ」

「ああ……その通りじゃな」

 定言命題とは無条件に命じることだ。
 神ならではの接待命令ともいえる。

「でも『やらないとこうなっちゃうよ』っていうのは教えておかないと、またきっと蔑ろにしちゃうんじゃない?」

「確かにな。しかしそれも人間という動物が選んだ道と受け入れねばなるまい」

「難しいねぇ……今まではどうしていたのかしら」

 熊ジイが答えた。
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