一言主神の愛し子

志波 連

文字の大きさ
上 下
13 / 43

13 おいなりさん

しおりを挟む
 あくる日の朝、丁度ご飯が炊きあがった頃に熊ジイと最上のおばちゃんがやってきた。
 熊ジイの手にはたわわに実をつけた桜桃が、最上のおばちゃんの手にはまだビチビチと跳ねている若鮎が熊笹の上に置かれていた。

「おはようございます。ようこそお出で下さいました」

 ハナが厨房の板の間に三つ指をついた。

「おお! ハナ坊。昨日はご苦労じゃったなぁ」

 熊ジイがにこやかに手を振る。
 
「お前も行ったと聞いたが、体に支障は無いか?」

 鮎の乗った籠を差し出しながら最上のおばちゃんが心配そうな声を出した。

「はい、お勉強させていただきました。体は大丈夫ですよ? すぐ朝ごはんにしますね」

 昨夜念じておいた獣肉は鹿肉だった。
 脂肪部分が少なく、真っ赤な花が咲いたように美しい。
 しかし、朝からこれは少々きついと思ったハナは、昨日残しておいた塩サバを、下ろした大根と一緒に甘辛く煮つけ、たっぷりのねぎを飾った小鉢と、味噌汁を用意した。
 ジュッという音と共に、重たい木蓋が持ちあがり、ご飯が炊きあがったことを知らせる。

「おじいちゃん、おむすびにする?」

「いや、そのままでよい」

 祖父と孫の平和な会話を聞きながら、美少年の美少女のコンビはニマニマと笑っている。
 一人ずつの箱善を四つ設えたハナは、誰の前から置くのが正しいのか迷ってしまった。

「よい、こちらで運ぼう。ハナちゃんもこちらに来なさい」

 神々の朝餉に同席すると思うと、とんでもない緊張感が襲う。

「ハナ、早く来い。冷めては勿体ないぞ」

 おじいちゃんの声に顔をあげると、箱善はすでに各々の前に置かれていた。
 急に清々しいほどの空気が流れ、三人の神々がブツブツと口の中で何かつぶやいていた。

「では、始めよう」

 おじいちゃんの声で一斉に箸をとる。
 全員がほぼ同時に白米から手を付けたのを見て、ハナは嬉しくなってしまった。

「ハナちゃん、おいしいのう。これはどこの米じゃ?」

 最上のおばさんが驚いた顔で見る。

「葛城の家は、代々庄内米を使っております」

「庄内? フフフ……そういうことか」

 熊ジイと最上のおばちゃんがニヤッと笑う。

「違うわい!」

 そう言うとおじいちゃんはプイっと横を向いて、白米を搔き込んだ。
 ハナは触れてはいけないような気がして、慌てて話題を変える。

「下ろし煮は塩サバなので、塩味が強いですが、ご飯が進むと思います。お香のものは白菜です」

 三人は嬉しそうな顔で頷きながらどんどん食べていく。
 いつもの三倍の米を炊いた自分を、ハナは心の中で褒めた。
 箸をとる暇も無いほど、お代わりをつぐ手が忙しい。
 熊ジイは下ろし煮の残り汁を大盛の白飯にかけて食べている。
 最上のおばちゃんは味噌汁をかけた猫まんまだ。
 あっという間に全ての食べ物が無くなった。

「馳走になった。久々に良きものを食した。礼を言う」

 熊ジイと最上のおばちゃんが同時に笑顔で言った。

「お粗末様でした」

「粗末なことなどあるものか。ハナが作るめしは旨い。これは間違いない」

 おじいちゃんが自慢げな顔をしながら褒めてくれた。
 二人も大きく頷いている。
 ハナはなぜか今まで生きて来た全てを肯定されたような気分になった。
 昨夜からの経過を話し合う三人にお茶を出して厨房に立ったハナは、ふと過去の自分を思い出した。

 葛城と安倍の血を引くハナは、家の中でも特殊な存在だった。
 父はいつも冷たい目でハナを見ていたし、生みの母は出産後からずっと床を離れることができないほど弱っていた。
 そんな母の横で、ハナはシマさんを相手に言葉を覚えていく。
 同居していた祖母は、自室から出ることは滅多になかったが、毎日数時間ハナのために部屋の障子を開け放ってくれた。

 ハナは祖母が大好きだった。
 母も優しかったが、少し話をしただけで苦しそうに咳き込む姿は、ハナの心を痛めた。
 そんな母が天に召されたのはハナが七五三の祝いを終えた冬だった。
 夫と娘と姑に見送られ、冷たくなった母の体は安倍の家に戻された。
 なぜ葛城の墓所に入れないのかと聞いたハナに、シマさんがこっそり教えてくれた。

「奥様はお役目を終えたら、生まれ育った家に戻りたいと遺言なさったのですよ。正式なご葬儀はあちらでなさるのです」

 納得はいかなかったが、祖母が容認しているのだからそれが正しいのだろうと思ったことを今でも覚えている。
 それから2年、大好きな祖母も逝ってしまった。
 ヤスさんが掘った墓穴にすっぽりと収まった祖母の棺桶。
 その白木の美しさがハナの心に残った。
 祖母が最後に残した言葉は『よく生きなさい』だった。
 その意味をきちんと理解するには、ハナはまだ幼すぎたが、その言葉はハナの座右の銘となった。

 それから2年の月日が流れ、父が後妻と娘を伴って帰ってきたのだった。
 父はハナが見たことも無いような笑顔を浮かべ、ハナより二つ下の妹を可愛がった。
 ハナは幼いころから厳しく躾けられ、箸の持ち方から食器の扱い方まで事細かに指導を受けた。
 妹にはそのような教育も無く、かなり大きくなるまで父の膝で匙を使って食べていた。
 義母はそれを微笑ましそうに見ている。
 そんな団らんの光景に思うところもあったが、自分でどうにかできる事ではないと何も考えないようにしていた。

 父と義母と妹はよく三人で出掛けていた。
 休みの度に大きな荷物を抱えて帰ってくる姿。
 楽しそうに笑い合う三人。
 そこに入る隙間は無かった。

 参観日や卒業式には、必ずシマが来てくれた。
 その姿は威厳に満ちており、保護者たちはもちろんのこと、先生方まで思わず頭をさげていたものだ。
 
「シマさんかっこよかったのよね。ふふふ」

 ハナはそう呟いて笑顔を浮かべた。
 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 話が済んだ三人は、滝を眺めながら酒宴を始めた。
 ハナは鹿肉を串刺しにして、パタパタと団扇を忙しなく動かす。
 釜を降ろした竈に炭を注ぎ足し、お土産の鮎を塩焼きにした。
 焼き上がった鹿肉を一口大に切り分け、酒粕と砂糖と味噌を混ぜたものをたっぷりとかけ、小口切りにしたネギを乗せる。
 一味を振り、皿に盛るとおいしそうな香りが立ち上った。

「お待たせしました」

 どんどん焼いていかないと間に合わない。
 若鮎は尻尾も残らず神々の胃袋に収まっていった。

「ハナ、シマに言って稲荷寿司を届けさせよ。稲荷寿司だけは奴の作ったものが旨い」

「はぁ~い」

 すでに声がかかることを予期していたのか、念じてほどなく作業台に山もりの稲荷寿司が現れた。

「懐かしい……」

 ハナはそう言いながら桶に盛られたそれを縁側に運んだ。

「お前も食していたか?」

 おじいちゃんの声にハナは笑顔で応えた。

「うん、遠足の時には必ずこれだった。稲荷寿司だけはシマさんが一人で作ってたよ。作り方は教えてくれたけど、どうしても同じ味にはならなくてね」

「当たり前じゃ。狐神が作るより旨い稲荷寿司などあるものか。あの旨味は霊力じゃかならなぁ。そうか、お前も食していたのか。よいよい。それならば良いのじゃ」

 なぜかご満悦でにこやかに笑うおじいちゃん。
 その横で、熊ジイが言う。

「これを喰らうと力が湧き出る。さすが一言主の式神よのう。仕事が丁寧じゃ」

「ほんに、ほんに」

 どこに消えていくのか、瞬殺されていく稲荷寿司。
 ハナは急いでひとつを手に取った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

神様の学校 八百万ご指南いたします

浅井 ことは
キャラ文芸
☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.: 八百万《かみさま》の学校。 ひょんなことから神様の依頼を受けてしまった翔平《しょうへい》。 1代おきに神様の御用を聞いている家系と知らされるも、子どもの姿の神様にこき使われ、学校の先生になれと言われしまう。 来る生徒はどんな生徒か知らされていない翔平の授業が始まる。 ☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.: ※表紙の無断使用は固くお断りしていただいております。

処理中です...