一言主神の愛し子

志波 連

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13 おいなりさん

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 あくる日の朝、丁度ご飯が炊きあがった頃に熊ジイと最上のおばちゃんがやってきた。
 熊ジイの手にはたわわに実をつけた桜桃が、最上のおばちゃんの手にはまだビチビチと跳ねている若鮎が熊笹の上に置かれていた。

「おはようございます。ようこそお出で下さいました」

 ハナが厨房の板の間に三つ指をついた。

「おお! ハナ坊。昨日はご苦労じゃったなぁ」

 熊ジイがにこやかに手を振る。
 
「お前も行ったと聞いたが、体に支障は無いか?」

 鮎の乗った籠を差し出しながら最上のおばちゃんが心配そうな声を出した。

「はい、お勉強させていただきました。体は大丈夫ですよ? すぐ朝ごはんにしますね」

 昨夜念じておいた獣肉は鹿肉だった。
 脂肪部分が少なく、真っ赤な花が咲いたように美しい。
 しかし、朝からこれは少々きついと思ったハナは、昨日残しておいた塩サバを、下ろした大根と一緒に甘辛く煮つけ、たっぷりのねぎを飾った小鉢と、味噌汁を用意した。
 ジュッという音と共に、重たい木蓋が持ちあがり、ご飯が炊きあがったことを知らせる。

「おじいちゃん、おむすびにする?」

「いや、そのままでよい」

 祖父と孫の平和な会話を聞きながら、美少年の美少女のコンビはニマニマと笑っている。
 一人ずつの箱善を四つ設えたハナは、誰の前から置くのが正しいのか迷ってしまった。

「よい、こちらで運ぼう。ハナちゃんもこちらに来なさい」

 神々の朝餉に同席すると思うと、とんでもない緊張感が襲う。

「ハナ、早く来い。冷めては勿体ないぞ」

 おじいちゃんの声に顔をあげると、箱善はすでに各々の前に置かれていた。
 急に清々しいほどの空気が流れ、三人の神々がブツブツと口の中で何かつぶやいていた。

「では、始めよう」

 おじいちゃんの声で一斉に箸をとる。
 全員がほぼ同時に白米から手を付けたのを見て、ハナは嬉しくなってしまった。

「ハナちゃん、おいしいのう。これはどこの米じゃ?」

 最上のおばさんが驚いた顔で見る。

「葛城の家は、代々庄内米を使っております」

「庄内? フフフ……そういうことか」

 熊ジイと最上のおばちゃんがニヤッと笑う。

「違うわい!」

 そう言うとおじいちゃんはプイっと横を向いて、白米を搔き込んだ。
 ハナは触れてはいけないような気がして、慌てて話題を変える。

「下ろし煮は塩サバなので、塩味が強いですが、ご飯が進むと思います。お香のものは白菜です」

 三人は嬉しそうな顔で頷きながらどんどん食べていく。
 いつもの三倍の米を炊いた自分を、ハナは心の中で褒めた。
 箸をとる暇も無いほど、お代わりをつぐ手が忙しい。
 熊ジイは下ろし煮の残り汁を大盛の白飯にかけて食べている。
 最上のおばちゃんは味噌汁をかけた猫まんまだ。
 あっという間に全ての食べ物が無くなった。

「馳走になった。久々に良きものを食した。礼を言う」

 熊ジイと最上のおばちゃんが同時に笑顔で言った。

「お粗末様でした」

「粗末なことなどあるものか。ハナが作るめしは旨い。これは間違いない」

 おじいちゃんが自慢げな顔をしながら褒めてくれた。
 二人も大きく頷いている。
 ハナはなぜか今まで生きて来た全てを肯定されたような気分になった。
 昨夜からの経過を話し合う三人にお茶を出して厨房に立ったハナは、ふと過去の自分を思い出した。

 葛城と安倍の血を引くハナは、家の中でも特殊な存在だった。
 父はいつも冷たい目でハナを見ていたし、生みの母は出産後からずっと床を離れることができないほど弱っていた。
 そんな母の横で、ハナはシマさんを相手に言葉を覚えていく。
 同居していた祖母は、自室から出ることは滅多になかったが、毎日数時間ハナのために部屋の障子を開け放ってくれた。

 ハナは祖母が大好きだった。
 母も優しかったが、少し話をしただけで苦しそうに咳き込む姿は、ハナの心を痛めた。
 そんな母が天に召されたのはハナが七五三の祝いを終えた冬だった。
 夫と娘と姑に見送られ、冷たくなった母の体は安倍の家に戻された。
 なぜ葛城の墓所に入れないのかと聞いたハナに、シマさんがこっそり教えてくれた。

「奥様はお役目を終えたら、生まれ育った家に戻りたいと遺言なさったのですよ。正式なご葬儀はあちらでなさるのです」

 納得はいかなかったが、祖母が容認しているのだからそれが正しいのだろうと思ったことを今でも覚えている。
 それから2年、大好きな祖母も逝ってしまった。
 ヤスさんが掘った墓穴にすっぽりと収まった祖母の棺桶。
 その白木の美しさがハナの心に残った。
 祖母が最後に残した言葉は『よく生きなさい』だった。
 その意味をきちんと理解するには、ハナはまだ幼すぎたが、その言葉はハナの座右の銘となった。

 それから2年の月日が流れ、父が後妻と娘を伴って帰ってきたのだった。
 父はハナが見たことも無いような笑顔を浮かべ、ハナより二つ下の妹を可愛がった。
 ハナは幼いころから厳しく躾けられ、箸の持ち方から食器の扱い方まで事細かに指導を受けた。
 妹にはそのような教育も無く、かなり大きくなるまで父の膝で匙を使って食べていた。
 義母はそれを微笑ましそうに見ている。
 そんな団らんの光景に思うところもあったが、自分でどうにかできる事ではないと何も考えないようにしていた。

 父と義母と妹はよく三人で出掛けていた。
 休みの度に大きな荷物を抱えて帰ってくる姿。
 楽しそうに笑い合う三人。
 そこに入る隙間は無かった。

 参観日や卒業式には、必ずシマが来てくれた。
 その姿は威厳に満ちており、保護者たちはもちろんのこと、先生方まで思わず頭をさげていたものだ。
 
「シマさんかっこよかったのよね。ふふふ」

 ハナはそう呟いて笑顔を浮かべた。
 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 話が済んだ三人は、滝を眺めながら酒宴を始めた。
 ハナは鹿肉を串刺しにして、パタパタと団扇を忙しなく動かす。
 釜を降ろした竈に炭を注ぎ足し、お土産の鮎を塩焼きにした。
 焼き上がった鹿肉を一口大に切り分け、酒粕と砂糖と味噌を混ぜたものをたっぷりとかけ、小口切りにしたネギを乗せる。
 一味を振り、皿に盛るとおいしそうな香りが立ち上った。

「お待たせしました」

 どんどん焼いていかないと間に合わない。
 若鮎は尻尾も残らず神々の胃袋に収まっていった。

「ハナ、シマに言って稲荷寿司を届けさせよ。稲荷寿司だけは奴の作ったものが旨い」

「はぁ~い」

 すでに声がかかることを予期していたのか、念じてほどなく作業台に山もりの稲荷寿司が現れた。

「懐かしい……」

 ハナはそう言いながら桶に盛られたそれを縁側に運んだ。

「お前も食していたか?」

 おじいちゃんの声にハナは笑顔で応えた。

「うん、遠足の時には必ずこれだった。稲荷寿司だけはシマさんが一人で作ってたよ。作り方は教えてくれたけど、どうしても同じ味にはならなくてね」

「当たり前じゃ。狐神が作るより旨い稲荷寿司などあるものか。あの旨味は霊力じゃかならなぁ。そうか、お前も食していたのか。よいよい。それならば良いのじゃ」

 なぜかご満悦でにこやかに笑うおじいちゃん。
 その横で、熊ジイが言う。

「これを喰らうと力が湧き出る。さすが一言主の式神よのう。仕事が丁寧じゃ」

「ほんに、ほんに」

 どこに消えていくのか、瞬殺されていく稲荷寿司。
 ハナは急いでひとつを手に取った。
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