8 / 20
7
しおりを挟む
それからの小春は見た目は変わっていないのに、どこか違う人のような印象になりました。
学校でもきちんと(むしろ以前よりテキパキと)行動し、授業もまじめに(むしろ以前より積極的に)受けています。
天涯孤独の身となった中学生を放っておくほど、まわりの大人たちも薄情ではありませんが、今の小春はしっかりしていて規則正しい生活をしています。
しかし法律というものが中学生の一人暮らしを許してはくれません。
「小春ちゃん、中学生に一人暮らしは無理だよ。施設を紹介するからそちらに移りなさい」
「卒業まであと半年なんです。お母さんとの思い出の詰まったこの部屋を出たくない……大家さん、お金ならお母さんが残してくれたものがありますから、どうかこのままお願いします」
大家さんは困ってしまい、町内会長や小春が通う中学の校長先生に相談しました。
小春に好意的な大人が集まって相談した結果、部屋はそのまま貸す代わりに、卒業までは町内会長の家で暮らすことになったのです。
あと半年ほどですが、顔しか知らない他人の家に住むことを小春は躊躇していました。
七緒の『申し出を受けよ』という言葉が聞こえ、小春は礼を言いながら頷きます。
「よろしくお願いします」
着替えや身の回りの物だけを持ち、町内会長の家にやってきた小春にあてがわれたのは、会長のお母さんが使っていた離れでした。
亡くなって以降はずっとそのまま空いていたそうで、同じ敷地内ではありますが、離れということに小春はほっと胸を撫でおろしました。
池のある庭に面した八畳間と、六畳のつづき間の横に、小さな流し台とトイレとお風呂がついています。
「おじいちゃんとおばあちゃんの家にいると思って、甘えてちょうだいね」
会長さんの奥さんが優しくそう言ってくれました。
「お世話になります。どうぞよろしくお願いします」
必ずこの恩は返すという七緒を無視して、小春は離れの掃除を始めました。
まだ何もない伽藍とした部屋に、セミの鳴き声が響きます。
夏休みまであと一週間、演劇部の稽古はますます熱を帯びていましたが、小春が参加することはありませんでした。
食事は自分で作れるからと言った小春を心配してくれたのでしょう、奥さんが度々離れを覗きに来ます。
その手には決まってなにかしらのお惣菜があり、小春は申し訳ない気持ちでいっぱいになるのでした。
『この地の民は親切であるな』
七緒が小春に話しかけます。
『でも迷惑をかけてしまって心苦しいよ』
口に出さずとも頭の中で会話ができる二人は、良く話をするようになっていました。
『なに、遠慮などせずともよかろう。人様の親切はありがたく受け取るが礼儀というもの。返せるようになれば、倍にして返すが人の道じゃ』
『何て言うか、達観してるって言うか……そういえば七緒は私と同じ年で結婚させられそうだったんでしょ?』
『吾の生きておった時代ではそれが当たり前じゃった。何といっても齢五十も数えれば長寿と言われておったのじゃからな。生き急ぐのも致し方あるまい』
『五十歳が平均寿命なの?』
『小春、お前は敦盛を知らぬのか? 吾は幼い頃より暗唱させられ、謡いながら舞っておったぞ?』
『なにそれ。あつもり? なんかテレビのニュース番組で聞いたことがあるかも……』
『幸若舞も知らぬとは……人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて御出陣なさる~』
小春は庭に面した八畳間で『敦盛』を謡ながら舞いました。
とはいえ、実際に舞っているのは七緒で、小春は自分の意志ではどうしようもないまま動かされているだけです。
姿勢を正し、頭の位置を変えないまま動くという所作は、慣れない小春にはかなりきつい動きです。
そのうえで、腹から声を出しているのですから、息も上がって当然でしょう。
舞い終わり、七緒の支配から解放された小春はドサッとその場に体を投げ出しました。
「き……きつい……すごい運動量だね」
『小春は呼吸法ができていないからのう。呼吸はとても大事なのじゃ。常日頃から意識せぬと身にはつかん。精進せよ』
はぁはぁと肩で息をしていた時、庭先でパチパチという音がしました。
ごろっと頭を動かすと、小鍋を持った会長さんの奥様が立っています。
「あ……おばあちゃん。ハァハァ……気が付かなくて」
「良いのよ。そんなことより、小春ちゃんって凄いわ。あれほど見事な敦盛を見たのは初めてよ……感動したわ。お師匠様や謡の仲間にも見せたいくらい」
頭の中で七緒の声が響く。
『こやつ、なかなか見る目があるようじゃ』
当の小春は褒められても困惑するばかりで、なんと言ってよいのか分からないまま困った顔で縮こまるしかありませんでした。
学校でもきちんと(むしろ以前よりテキパキと)行動し、授業もまじめに(むしろ以前より積極的に)受けています。
天涯孤独の身となった中学生を放っておくほど、まわりの大人たちも薄情ではありませんが、今の小春はしっかりしていて規則正しい生活をしています。
しかし法律というものが中学生の一人暮らしを許してはくれません。
「小春ちゃん、中学生に一人暮らしは無理だよ。施設を紹介するからそちらに移りなさい」
「卒業まであと半年なんです。お母さんとの思い出の詰まったこの部屋を出たくない……大家さん、お金ならお母さんが残してくれたものがありますから、どうかこのままお願いします」
大家さんは困ってしまい、町内会長や小春が通う中学の校長先生に相談しました。
小春に好意的な大人が集まって相談した結果、部屋はそのまま貸す代わりに、卒業までは町内会長の家で暮らすことになったのです。
あと半年ほどですが、顔しか知らない他人の家に住むことを小春は躊躇していました。
七緒の『申し出を受けよ』という言葉が聞こえ、小春は礼を言いながら頷きます。
「よろしくお願いします」
着替えや身の回りの物だけを持ち、町内会長の家にやってきた小春にあてがわれたのは、会長のお母さんが使っていた離れでした。
亡くなって以降はずっとそのまま空いていたそうで、同じ敷地内ではありますが、離れということに小春はほっと胸を撫でおろしました。
池のある庭に面した八畳間と、六畳のつづき間の横に、小さな流し台とトイレとお風呂がついています。
「おじいちゃんとおばあちゃんの家にいると思って、甘えてちょうだいね」
会長さんの奥さんが優しくそう言ってくれました。
「お世話になります。どうぞよろしくお願いします」
必ずこの恩は返すという七緒を無視して、小春は離れの掃除を始めました。
まだ何もない伽藍とした部屋に、セミの鳴き声が響きます。
夏休みまであと一週間、演劇部の稽古はますます熱を帯びていましたが、小春が参加することはありませんでした。
食事は自分で作れるからと言った小春を心配してくれたのでしょう、奥さんが度々離れを覗きに来ます。
その手には決まってなにかしらのお惣菜があり、小春は申し訳ない気持ちでいっぱいになるのでした。
『この地の民は親切であるな』
七緒が小春に話しかけます。
『でも迷惑をかけてしまって心苦しいよ』
口に出さずとも頭の中で会話ができる二人は、良く話をするようになっていました。
『なに、遠慮などせずともよかろう。人様の親切はありがたく受け取るが礼儀というもの。返せるようになれば、倍にして返すが人の道じゃ』
『何て言うか、達観してるって言うか……そういえば七緒は私と同じ年で結婚させられそうだったんでしょ?』
『吾の生きておった時代ではそれが当たり前じゃった。何といっても齢五十も数えれば長寿と言われておったのじゃからな。生き急ぐのも致し方あるまい』
『五十歳が平均寿命なの?』
『小春、お前は敦盛を知らぬのか? 吾は幼い頃より暗唱させられ、謡いながら舞っておったぞ?』
『なにそれ。あつもり? なんかテレビのニュース番組で聞いたことがあるかも……』
『幸若舞も知らぬとは……人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて御出陣なさる~』
小春は庭に面した八畳間で『敦盛』を謡ながら舞いました。
とはいえ、実際に舞っているのは七緒で、小春は自分の意志ではどうしようもないまま動かされているだけです。
姿勢を正し、頭の位置を変えないまま動くという所作は、慣れない小春にはかなりきつい動きです。
そのうえで、腹から声を出しているのですから、息も上がって当然でしょう。
舞い終わり、七緒の支配から解放された小春はドサッとその場に体を投げ出しました。
「き……きつい……すごい運動量だね」
『小春は呼吸法ができていないからのう。呼吸はとても大事なのじゃ。常日頃から意識せぬと身にはつかん。精進せよ』
はぁはぁと肩で息をしていた時、庭先でパチパチという音がしました。
ごろっと頭を動かすと、小鍋を持った会長さんの奥様が立っています。
「あ……おばあちゃん。ハァハァ……気が付かなくて」
「良いのよ。そんなことより、小春ちゃんって凄いわ。あれほど見事な敦盛を見たのは初めてよ……感動したわ。お師匠様や謡の仲間にも見せたいくらい」
頭の中で七緒の声が響く。
『こやつ、なかなか見る目があるようじゃ』
当の小春は褒められても困惑するばかりで、なんと言ってよいのか分からないまま困った顔で縮こまるしかありませんでした。
4
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説
ローズお姉さまのドレス
有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。
いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。
話し方もお姉さまそっくり。
わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。
表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

かつて聖女は悪女と呼ばれていた
楪巴 (ゆずりは)
児童書・童話
「別に計算していたわけではないのよ」
この聖女、悪女よりもタチが悪い!?
悪魔の力で聖女に成り代わった悪女は、思い知ることになる。聖女がいかに優秀であったのかを――!!
聖女が華麗にざまぁします♪
※ エブリスタさんの妄コン『変身』にて、大賞をいただきました……!!✨
※ 悪女視点と聖女視点があります。
※ 表紙絵は親友の朝美智晴さまに描いていただきました♪
ママのごはんはたべたくない
もちっぱち
絵本
おとこのこが ママのごはん
たべたくないきもちを
ほんに してみました。
ちょっと、おもしろエピソード
よんでみてください。
これをよんだら おやこで
ハッピーに なれるかも?
約3600文字あります。
ゆっくり読んで大体20分以内で
読み終えると思います。
寝かしつけの読み聞かせにぜひどうぞ。
表紙作画:ぽん太郎 様
2023.3.7更新
運よく生まれ変われたので、今度は思いっきり身体を動かします!
克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞」重度の心臓病のため、生まれてからずっと病院のベッドから動けなかった少年が12歳で亡くなりました。両親と両祖父母は毎日のように妾(氏神)に奇跡を願いましたが、叶えてあげられませんでした。神々の定めで、現世では奇跡を起こせなかったのです。ですが、記憶を残したまま転生させる事はできました。ほんの少しだけですが、運動が苦にならない健康な身体と神与スキルをおまけに付けてあげました。(氏神談)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる