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20 独り立ち

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 それから二か月、日々の客数も概ね読めるようになり、おじさんことクレマンがオース家に戻ることになった。

「本当にありがとうございました」

 ティアナが涙を浮かべながらクレマンの手を握る・

「私も楽しかったですよ。ずっと独り身でしたし、死ぬまでそうだと思っていたのに、こんなに可愛い姪が出来て幸せでした。私はオース商会の支店長としてこの国に残ることになりましたので、いつでも遊びに来てくださいね。困ったことがあれば、絶対一番に私を思い出してください」

 天涯孤独なティアナにとって、クレマンは家族のような存在だった。
 かなり厳しいことも言われたが、それは全て愛情だと理解しているティアナ。
 二人の間には固い絆が生まれていた。

「うん、おじさん。これからもよろしくね」

「ああ、ティアナちゃん。いつでも頼ってくれ」

 最後の挨拶は普段通りの砕けた口調で終えた。
 何度も振り返りながら手を振るクレマンを、笑顔で見送るティアナ。
 明日からは本当に独りでやるしかない。

「おう、ティアナちゃん。おじさん帰っちゃうんだって?」

 仕事帰りのトマスが顔を覗かせた。

「トマスさん。今から帰るの? だったらシェリーさんにこれ持って行ってよ」

 ティアナは今日のメニューだった鶏のハーブ焼きを皿にのせた。

「いつも悪いね。おいしくいただくよ」

「こちらこそだよ。いつもおいしいパンをありがとう。今日の総菜パンもめちゃおいしかったよ。仕入れよりオマケの方が高いんじゃない?」

「そんなことないさ。あいつも楽しんでる。おふくろもお前の料理は喜んで食べるんだ。ありがたいと思っているよ」

 ティアナの初恋だったのかどうなのか。
 今のトマスは『シェリーさんの彼氏』というポジションに落ち着いている。
 トマスへの思いより、シェリーとの友情の方が心地よいと感じたティアナの決断だ。
 ティアナはトマスに抱いた感情は『気の迷い』として片づけていた。
 手を振って家路を急ぐトマスの後姿を見送るティアナ。
 隠しきれない残り火に気付かない振りをして、明日に供えて早寝を決め込んだ。

「おはよう、パンを届けに来たよ」

「おはよう、ティアナちゃん。今日の花は君の好きな水色だよ」

「おはよう、今日の豚肉は最高だぜ」

「おはよう、ジャガイモと人参と玉葱はオマケだ。頼まれた野菜は裏に運んでおいた」

 毎日の挨拶を交わし、下ごしらえにかかる。
 今日のメニューは野菜たっぷりのキッシュと、豚肉のソテーだ。
 濃い目の味付けだと伝えていたので、今日のパンは固めに焼いた全粒粉パンだった。

「さすがシェリーさん。わかっていらっしゃる」

 今日の王都は格別明るい日差しに溢れていた。
 クレマンの助言で定休日を持つことにし、来客数が一番少ない月曜を選んだ。
 明後日は開店初の定休日だ。
 窓に差し込む朝日に目を細めながら、豚肉をビネガーで揉みながら、付け合わせの温野菜を茹でる。
 
「いらっしゃいませ。どうぞ窓際のお席へ」

 ティアナ食堂は今日も順調に滑りだす。
 常に満席状態が続いたランチタイムも終了を迎え、洗い物は後回しにしてドアに閉店の札をかけた。

「はぁぁぁぁ疲れた~」

 やはり一人で回すのはきつい。
 もう少し慣れれば効率的な動線も身に着くだろう。
 洗い場に積み上がった皿を眺めながら、ティアナは大きな息をついた。

「お疲れさん、ティアナちゃん」

 ウィスが顔を出す。

「あら、ウィス。もうそんな時間?」

「うん、忙しいと時間が経つのも早いよね。でももうお腹ペコペコだ」

 ウィスは閉店時間になると、毎日ランチにやって来る。
 忙しい時間を避ける辺りはさすが商売人というところか。
 ティアナは手早く二人分のランチを用意した。

「今日は豚肉のソテーだよ」

「やった~」

 ランチの代金は貰わない代わりに、日々届けてもらう花代はタダだ。
 お互い様だとウィスは言うが、申し訳ないといつもティアナは思っていた。

「夕食も来るでしょ?」

「いや、今日はちょっと野暮用があるんだ」

「うん、わかった」

 お互いに無理はしない。
 ティアナもサミュエルやサマンサに呼び出されたときは出掛けるし、ウィスも用があれば来ない。
 それがとても心地よかった。
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