そして愛は突然に

志波 連

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 その頃、王宮医務室の前のベンチによろよろと近づく影が白い壁に映った。

「シェリー妃殿下!」

 医務室の前で護衛をしていた騎士が駆け寄る。
 助け起こそうとするその手を制し、シェリーがにっこりと微笑んだ。

「ご苦労様です。中の様子はどうですか?」

「先ほどイーサン・シルバー伯爵令息の治療が終わり部屋を移されました。まだ麻酔が聞いている状態ですので、意識は無いと思われますがお部屋にご案内しましょうか?」

「いいえ、彼の家族は来ているのでしょう? 私はアルバートの側に居たいです」

「……畏まりました。侍女を呼んでまいります。お体を冷やされませんように」

「ありがとう」

 騎士が同僚に話し、その場を去って行った。
 話を聞いた騎士が自分のマントを脱いで、シェリーの膝に掛けようとする。

「良いのよ。私は大丈夫です」

「いえ、お顔の色がすぐれません。私のマントで申し訳ございませんがどうぞお使いください」

「ありがとう。では遠慮なく使わせていただきましょう」

 シェリーは素直に好意を受け取り、小さく頭を下げた。
 騎士は恐縮したように跪いてから持ち場に戻った。
 廊下に慌ただしい靴音が響き、レモンが駆けてくる。

「シェリー妃殿下! お部屋におられないので慌てました。まだ眠っておられるとばかり思っていましたので、お側を離れてしまいました。申し訳ございません」

「レモン、あなたは私の頼みを叶えてくれたのでしょう? 寝ぼけたような言葉だったのに忠実に実行してくれてありがとう。夜食にしては重たすぎたわよね? 笑われなかった?」

「とても感謝しておられましたよ。さすが姉上だと仰っていました」


「あら! ブルーノもいたの? そうなのよ。あの子は学生の頃から夜食にはローストビーフサンドを欲しがったの。だから男性ってみんなそうなのかと思ったのだけれど、もしかしたら間違えちゃったかなって思って……」

「いいえ、大正解でしたよ。でも宰相閣下の奥様も差し入れをなさっていて、宰相閣下はそちらを召し上がっておられました」

「まあ! 余計なことをしてしまったわ。きっとシュライン義兄様はお喜びだったでしょうね」

 その時のシュラインの顔を思い浮かべながらレモンがクツクツと笑った。

「内緒ですが、甘いホットチョコレートとベリーサンドの皿を引き寄せながら、ブラッド侯爵令息の前の皿を羨ましそうに睨んでおられました」

「あらあら……普通のご家庭ではそのように甘いものをお夜食になさるのね」

「どうでしょうか。きっと宰相夫人は三姉妹だからかもしれません」

「なるほど、そうかも? レモンのところはどうだった?」

「私のところは兄二人でしたから、やはり肉系の夜食でしたね」

 二人は顔を見合わせて笑った。
 
「お部屋の戻られませんか?」

 レモンの言葉にシェリーが首を横に振る。

「ここにいたいの。お願いよ」

「……畏まりました。それでは暖かいお飲み物と上掛けをご用意して参ります」

 シェリーは頷いた。
 小走りで準備に向かうレモンの背を見るともなく見ていたシェリー。
 義兄から睡眠薬だと渡された紅茶は拒否したが、宰相としてではなく夫の兄という立場で言っているのだという言葉に、シェリーは仕方なくその紅茶を口にした。
 相当疲れていたのだろう、あっという間に意識を手放し、気付いたときは自身のベッドの中だった。
 眠りが深かったのか、起き上がってここまで歩いてきたが、まだ少し意識が朦朧としているような感覚だ。

「アルバート……どうか……どうか」

 シェリーはじっと目を瞑って祈り続けた。

「シェリー妃殿下」

 レモンの声に顔を上げると、暖かいホットレモンの香りがした。

「女性の夜食の典型的なものをお持ちしました」

 レモンがにこやかに差し出した皿には、小さなクッキーとラズベリーと生クリームのサンドイッチが載っていた。

「まあ、可愛らしいわね。あなたも一緒に座って?」

「私は先ほど宰相閣下に勧めていただきましたので」

「そう?」

 シェリーはあまり食欲を感じなかったが、レモンの心遣いを無下にはできず、皿に置かれたサンドイッチに手を伸ばした。

「まあ! おいしいわ。甘酸っぱいのね」

「ええ、さっぱりした甘さですよね」

「これは?」

「宰相閣下が妃殿下に是非召し上がっていただくようにと」

「おすそ分け? ありがたいわ」

「いかがです? 女性の夜食は」

「私は……肉派かも。ふふふ、内緒よ?」

「畏まりました」

 レモンが暗い雰囲気にならないように会話していることに気付いているシェリーは、その心遣いをありがたく受け止めた。
 表情には出さないが、本当は医務室の扉に縋りついてアルバートの手術が無事に終わることを祈りたい。
 しかし、騎士や使用人たちがいる前で、そんなことはできるはずもないのだ。
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