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「我が領はゴールディ王国の中でも最北端。ここで暑いと仰るなら王都は過ごし難かったことでしょうな」
「いいえ? あそこは都会の割に空気が澄んでいたし、風もよくとおって気持ちが良かったわ。ここは、なんと言うか息苦しい? そんな感じね。気分が冴えないわ」
「それは申し訳ございません。隣国と接しているせいですかな。常に緊張感が漂っているのはご理解ください」
「そうね」
「ところで妃殿下。そろそろお座りになられては如何でしょう?」
シェリーはゆっくりと歩を進め、ソファーに腰を下ろす。
「まずは私の護衛を殴った者に謝罪を要求します」
「殴った? そちらのか弱い女性に手をあげた野蛮な者がおりましたか?」
「戯言は聞き飽きた。早く連れてきなさい」
辺境伯が覆面男に顔を向けた。
「その痴れ者は誰だ?」
「イーサンです」
シェリーの肩が揺れた。
辺境伯が口角を上げてシェリーを見る。
「どうやら妃殿下のよくご存じの男のようですな。申し訳ないがあの者は不在ですのでここに連れてくることはできません」
「そうか。それなら仕方がない。戻ったら謝罪を」
「畏まりました」
シェリーは出されたお茶に伸ばした手を止めた。
「毒見は?」
「済ませてございます」
お茶を運んできた使用人が口を開く。
「そうか。ではヌベール辺境伯、先に飲んで見せなさい」
笑いながら辺境伯が笑いながら使用人に命じた。
「妃殿下はどうやら危機管理がしっかりできたお方のようだ。今私の目の前に置かれている茶を飲んで見せても納得はされないだろう。入れ替えなさい。同じポットから注いだものを先に飲めば安心できましょう?」
辺境伯がシェリーの顔を見てそう言った。
「好きになさい」
シェリーはあくまでも皇太子妃としての態度を崩さなかった。
使用人は茶を入れ替え、カップも新しいものにして再度配る。
宣言通り辺境伯が先にお茶を口に含んで見せた。
「信用いただけましたかな?」
シェリーは黙ってカップに手を伸ばした。
「それで? 私を攫った理由を聞かせてもらおうかしら?」
「攫ったなどと、随分な仰りようだ。我らはあの毒王から妃殿下を救い出したのですよ?」
「意味が分からない。毒王とは?」
「ご存じのとおりですよ」
「心当たりがない」
辺境伯がグッと手を握った。
「我が長女に懸想したあげく傷ものにして隣国に売り渡し、次女を側妃に迎え子を産ませた。そして三女を自分の腹心に無理やり嫁がせ、長男までも私の手から奪ったあの毒王のことですよ」
シェリーは唇をかんだ。
自分が知らないのは隣国に嫁いで亡くなった長女だけだ。
それ以外の者たちとは全員面識がある。
「しかも年の離れた私の末の妹を後妻として奪った……思い出しただけでも腹立たしい」
ヌベール辺境伯の長女と次女が王家にまつわることで亡くなり、三女も病床にある。
そう考えるとなんとも言えない気分になった。
なぜ国王はヌベール家だけそのような目に合わせたのか?
シェリーは直接口に出して聞いた。
「前国王の影響かもしれません。彼と私は学園で同級でした」
辺境伯は遠い目をして話を続ける。
「当時互いに婚約者がいました。私たちはそれなりに仲も良かったですから、互いの婚約者を紹介し合うようなこともしましたね。そして彼は恋に落ちたのです。私の婚約者に」
ここでも色恋なのかとシェリーは思った。
国を揺るがすような事件の根幹が、実に幼稚な理由だと知ったシェリーは失望した。
「それで?」
「妻は彼の求婚を断った。当然ですよね? 私たちは慌てて入籍しましたよ。そして卒業と同時に国王の側近となる話を断り、自領に戻りました。彼も諦めて婚約者と婚姻し、即位しました。それだけなら良くある話でしょう?」
「よくあるのかどうかは知らないわ」
「学園というのはよくも悪くも社会の縮図のような場所です。子供なだけに純粋で粗野だ。未熟な恋は人生を変えてしまうのかもしれません。彼は妃を愛することができず、産ませた子供にも感情を向けることができなかった。その子供が現在の国王ですよ」
シェリーは吐きたくなる溜息を飲み込んだ。
「一年遅くに生まれた長女との婚約を申し込まれて、私たちはそれを受けました。辺境の地では王宮に行くことも稀でしたし、彼らの歪んだ家庭事情など知る由もなかったのです。知っていれば絶対に断っていたのに……」
辺境伯は、当時を思い出したのか悔しそうに唇を嚙んだ。
「三人女ばかり産んだ妻は、体調を崩し亡くなりました。私は再婚することも無くそのまま養子でもとって隠居しようと考えていたのです。しかし、ある日バローナ王国から使者が来て末の王女との婚姻を打診されたのです」
シェリーは指先を動かしてお茶のお代わりを指示した。
どうも長い話になりそうだ。
「どこか小動物を思わせるようなその王女は、バローナ王宮で虐げられていたようです。不憫に思った前王が国外に嫁がせることで逃そうとしたのでしょう。私はどうでもよかったので、受けました。愛するつもりもなかった……でも所詮私も男ということですな、彼女との間に生まれたのが、ミスティ侯爵家に養子として入っているロナードです」
「なぜ養子に? せっかく生まれた嫡男でしょうに」
「ええ、もちろん出すつもりなどなかったですよ。しかし三女が懇願してきたのです。受けてもらえなければ自分が殺されるとね」
「王命だったの?」
「ええ王命でした」
「酷い話ね」
フッと自嘲の笑みを浮かべた辺境伯が言葉を続けた。
「いいえ? あそこは都会の割に空気が澄んでいたし、風もよくとおって気持ちが良かったわ。ここは、なんと言うか息苦しい? そんな感じね。気分が冴えないわ」
「それは申し訳ございません。隣国と接しているせいですかな。常に緊張感が漂っているのはご理解ください」
「そうね」
「ところで妃殿下。そろそろお座りになられては如何でしょう?」
シェリーはゆっくりと歩を進め、ソファーに腰を下ろす。
「まずは私の護衛を殴った者に謝罪を要求します」
「殴った? そちらのか弱い女性に手をあげた野蛮な者がおりましたか?」
「戯言は聞き飽きた。早く連れてきなさい」
辺境伯が覆面男に顔を向けた。
「その痴れ者は誰だ?」
「イーサンです」
シェリーの肩が揺れた。
辺境伯が口角を上げてシェリーを見る。
「どうやら妃殿下のよくご存じの男のようですな。申し訳ないがあの者は不在ですのでここに連れてくることはできません」
「そうか。それなら仕方がない。戻ったら謝罪を」
「畏まりました」
シェリーは出されたお茶に伸ばした手を止めた。
「毒見は?」
「済ませてございます」
お茶を運んできた使用人が口を開く。
「そうか。ではヌベール辺境伯、先に飲んで見せなさい」
笑いながら辺境伯が笑いながら使用人に命じた。
「妃殿下はどうやら危機管理がしっかりできたお方のようだ。今私の目の前に置かれている茶を飲んで見せても納得はされないだろう。入れ替えなさい。同じポットから注いだものを先に飲めば安心できましょう?」
辺境伯がシェリーの顔を見てそう言った。
「好きになさい」
シェリーはあくまでも皇太子妃としての態度を崩さなかった。
使用人は茶を入れ替え、カップも新しいものにして再度配る。
宣言通り辺境伯が先にお茶を口に含んで見せた。
「信用いただけましたかな?」
シェリーは黙ってカップに手を伸ばした。
「それで? 私を攫った理由を聞かせてもらおうかしら?」
「攫ったなどと、随分な仰りようだ。我らはあの毒王から妃殿下を救い出したのですよ?」
「意味が分からない。毒王とは?」
「ご存じのとおりですよ」
「心当たりがない」
辺境伯がグッと手を握った。
「我が長女に懸想したあげく傷ものにして隣国に売り渡し、次女を側妃に迎え子を産ませた。そして三女を自分の腹心に無理やり嫁がせ、長男までも私の手から奪ったあの毒王のことですよ」
シェリーは唇をかんだ。
自分が知らないのは隣国に嫁いで亡くなった長女だけだ。
それ以外の者たちとは全員面識がある。
「しかも年の離れた私の末の妹を後妻として奪った……思い出しただけでも腹立たしい」
ヌベール辺境伯の長女と次女が王家にまつわることで亡くなり、三女も病床にある。
そう考えるとなんとも言えない気分になった。
なぜ国王はヌベール家だけそのような目に合わせたのか?
シェリーは直接口に出して聞いた。
「前国王の影響かもしれません。彼と私は学園で同級でした」
辺境伯は遠い目をして話を続ける。
「当時互いに婚約者がいました。私たちはそれなりに仲も良かったですから、互いの婚約者を紹介し合うようなこともしましたね。そして彼は恋に落ちたのです。私の婚約者に」
ここでも色恋なのかとシェリーは思った。
国を揺るがすような事件の根幹が、実に幼稚な理由だと知ったシェリーは失望した。
「それで?」
「妻は彼の求婚を断った。当然ですよね? 私たちは慌てて入籍しましたよ。そして卒業と同時に国王の側近となる話を断り、自領に戻りました。彼も諦めて婚約者と婚姻し、即位しました。それだけなら良くある話でしょう?」
「よくあるのかどうかは知らないわ」
「学園というのはよくも悪くも社会の縮図のような場所です。子供なだけに純粋で粗野だ。未熟な恋は人生を変えてしまうのかもしれません。彼は妃を愛することができず、産ませた子供にも感情を向けることができなかった。その子供が現在の国王ですよ」
シェリーは吐きたくなる溜息を飲み込んだ。
「一年遅くに生まれた長女との婚約を申し込まれて、私たちはそれを受けました。辺境の地では王宮に行くことも稀でしたし、彼らの歪んだ家庭事情など知る由もなかったのです。知っていれば絶対に断っていたのに……」
辺境伯は、当時を思い出したのか悔しそうに唇を嚙んだ。
「三人女ばかり産んだ妻は、体調を崩し亡くなりました。私は再婚することも無くそのまま養子でもとって隠居しようと考えていたのです。しかし、ある日バローナ王国から使者が来て末の王女との婚姻を打診されたのです」
シェリーは指先を動かしてお茶のお代わりを指示した。
どうも長い話になりそうだ。
「どこか小動物を思わせるようなその王女は、バローナ王宮で虐げられていたようです。不憫に思った前王が国外に嫁がせることで逃そうとしたのでしょう。私はどうでもよかったので、受けました。愛するつもりもなかった……でも所詮私も男ということですな、彼女との間に生まれたのが、ミスティ侯爵家に養子として入っているロナードです」
「なぜ養子に? せっかく生まれた嫡男でしょうに」
「ええ、もちろん出すつもりなどなかったですよ。しかし三女が懇願してきたのです。受けてもらえなければ自分が殺されるとね」
「王命だったの?」
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「酷い話ね」
フッと自嘲の笑みを浮かべた辺境伯が言葉を続けた。
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