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「ああ……何てこと……」
久しぶりに見た夫の顔から目を逸らすことができないまま、シェリーは呻くような声を出した。
「ちょっとしくじっちゃってね。そんなに酷い?」
「火傷ですか?」
「いや、毒物だよ。これでも生死の境を迷ったんだよ? でも君に会いたい一心で乗り切ったんだ」
茶化すように言うアルバートの声にシェリーは怒りを覚えた。
「そんな冗談言ってる場合じゃないでしょう!」
「ごめん……シェリー。怒らないでくれ。恥ずかしいから軽く言ったけど、本当なんだ」
「もうそれは良いです。理由をお聞かせください」
左目の周りが爛れたように赤黒く変色した顔を晒したアルバートがソファーに座りなおしてゆっくりと口を開いた。
「おかしいと思い始めたのは、僕の婚約者が突然グリーナ王国に嫁ぎ、まるでそれが既定路線だったかのように、君との婚姻が決定したことだ。でもその時点ではまだそこまで疑ってはいなかったんだよ。そしてあれほど強硬に推し進めたバローナ王国の王女と兄上の婚約解消、その上ご丁寧に君の元婚約者の出兵と続くだろ?」
そこまで一息で話したアルバートがスッとワインを口に含んだ。
「君との婚約期間、僕は君をじっくりと観察させてもらったよ。君があちら側なのかこちら側なのか見極める必要があったからね。でもその答えはすぐに出た。君は常に誠実に取り組んでくれた。愛した男と引き裂かれた傷も生々しいまま、それでも僕と向き合おうとしてくれたよね。だから僕は君のことを完全に信用したんだ」
サミュエルが言葉を挟んだ。
「確かにシェリー嬢は誠実だったな。もちろん今もだが」
アルバートが頷いた。
「同じように叔父上のことも兄上のことも観察させてもらったんだ。ブルーノのことは最初疑っていたんだけど、あることがきっかけで信頼するに値すると判断した」
シェリーが聞く。
「あることって?」
「うん……イーサンのことだ。まあ、それは後で話すよ」
シェリーの心に少しだけ棘が刺さったが、今は口を噤むことにした。
「では殿下は今回のことが全て仕組まれたことだと?」
「その通りだね。今回の企みに加担しているのはミスティ侯爵とブラッド侯爵。そして全ての黒幕は……国王陛下だ」
シェリーは息を吞んだ。
今まで信じていたことが覆されていくことへの不安が心を支配していく。
体の震えが止まらない。
「ああ、シェリー。そんな顔をさせてしまってごめん。本当は白い結婚のまま、君をイーサンの元へ帰すつもりだったんだ。でもそのイーサンが……」
シェリーは顔を上げた。
「イーサンが?」
三人の男たちは顔を見合わせた。
サミュエルが肩を竦めて見せる。
「その続きは私からしよう。今は時間が無い」
アルバートが立ち上がった。
「叔父上の言う通りですね。要点だけ話します。それ以外はおそらく叔父上が掴んでいることと同じですから」
シェリーはゴクッと喉が鳴った。
「我がゴールディ王国は帝国化を目論んでいる。最初に取り込もうとしたのはグリーナ王国だ。戦争はせずに取り込むためにとった手段がオピュウムという依存性の高い薬物なんだ。これはブラッド侯爵領で栽培されている花から作られるんだよ」
「薬物……」
「ああ、薬物だ。それをグリーナ国に流していたのがミスティ侯爵だ。しかし流通量はかなり厳正に管理されていて、こちらの言うとおりに動く程度に押さえるという役目も担っていたんだけど、それを壊したのがミスティ家の養子であるロナードさ」
アルバートは一度言葉を切り、ワインで喉を潤した。
「ロナードはオピュウムをバローナ王家に献上して近づいた。理由はわからないけれど、あの国でそれ相応の地位を約束されていたのかもしれない。そして中毒になったバローナ皇太子は妹を送り込んで流通量の増加を目論んだ」
シェリーは息を吞んだ。
サミュエルも悲痛な顔をしている。
「婚約に反対していた側妃は、ロナードによって薬物中毒にされた。そのことを知った国王はバローナから王女を迎え入れることを決定した。側妃は表舞台から姿を消し、寝室に籠って薬物を抜く治療を施された。そうこうしているうちに輿入れする予定だった王女がオピュウムの中毒になって、呆気なく死んでしまった。まあこの事実は秘匿されているけどね」
死んだというその王女は確か当時まだ八歳だったと思い当ったシェリーの顔が歪む。
「事の成り行きを憂慮したブラッド侯爵が、花の出荷を差し止めたんだ。当然新しい薬は作られないよね? でもこのオピュウムの依存性は我慢できるようなレベルじゃないんだ。どうしても薬を手に入れたいバローナの皇太子が我が国に攻め入った。薬が来ないならその原材料ごと押さえようという胆略的な考えさ」
「そんなバカな! そんなことで民が命を失うなど……酷すぎるわ」
「うん、そうだよね。そしてその頃、ミスティ侯爵夫人が病を発症したんだ。これが珍しい風土病でね。バローナにしか治療薬が無いんだよ。夫人の治療薬が欲しい侯爵は、ロナードの言いなりになるしかなかったんだ。戦争は終結しても、各地で小競合いが続いていただろう? そんな状況の中でオピュウムを届けて夫人の治療薬を受け取ってくるという仕事は危険極まりない」
「それが……イーサン……なのね」
「残念だがご名答だ」
久しぶりに見た夫の顔から目を逸らすことができないまま、シェリーは呻くような声を出した。
「ちょっとしくじっちゃってね。そんなに酷い?」
「火傷ですか?」
「いや、毒物だよ。これでも生死の境を迷ったんだよ? でも君に会いたい一心で乗り切ったんだ」
茶化すように言うアルバートの声にシェリーは怒りを覚えた。
「そんな冗談言ってる場合じゃないでしょう!」
「ごめん……シェリー。怒らないでくれ。恥ずかしいから軽く言ったけど、本当なんだ」
「もうそれは良いです。理由をお聞かせください」
左目の周りが爛れたように赤黒く変色した顔を晒したアルバートがソファーに座りなおしてゆっくりと口を開いた。
「おかしいと思い始めたのは、僕の婚約者が突然グリーナ王国に嫁ぎ、まるでそれが既定路線だったかのように、君との婚姻が決定したことだ。でもその時点ではまだそこまで疑ってはいなかったんだよ。そしてあれほど強硬に推し進めたバローナ王国の王女と兄上の婚約解消、その上ご丁寧に君の元婚約者の出兵と続くだろ?」
そこまで一息で話したアルバートがスッとワインを口に含んだ。
「君との婚約期間、僕は君をじっくりと観察させてもらったよ。君があちら側なのかこちら側なのか見極める必要があったからね。でもその答えはすぐに出た。君は常に誠実に取り組んでくれた。愛した男と引き裂かれた傷も生々しいまま、それでも僕と向き合おうとしてくれたよね。だから僕は君のことを完全に信用したんだ」
サミュエルが言葉を挟んだ。
「確かにシェリー嬢は誠実だったな。もちろん今もだが」
アルバートが頷いた。
「同じように叔父上のことも兄上のことも観察させてもらったんだ。ブルーノのことは最初疑っていたんだけど、あることがきっかけで信頼するに値すると判断した」
シェリーが聞く。
「あることって?」
「うん……イーサンのことだ。まあ、それは後で話すよ」
シェリーの心に少しだけ棘が刺さったが、今は口を噤むことにした。
「では殿下は今回のことが全て仕組まれたことだと?」
「その通りだね。今回の企みに加担しているのはミスティ侯爵とブラッド侯爵。そして全ての黒幕は……国王陛下だ」
シェリーは息を吞んだ。
今まで信じていたことが覆されていくことへの不安が心を支配していく。
体の震えが止まらない。
「ああ、シェリー。そんな顔をさせてしまってごめん。本当は白い結婚のまま、君をイーサンの元へ帰すつもりだったんだ。でもそのイーサンが……」
シェリーは顔を上げた。
「イーサンが?」
三人の男たちは顔を見合わせた。
サミュエルが肩を竦めて見せる。
「その続きは私からしよう。今は時間が無い」
アルバートが立ち上がった。
「叔父上の言う通りですね。要点だけ話します。それ以外はおそらく叔父上が掴んでいることと同じですから」
シェリーはゴクッと喉が鳴った。
「我がゴールディ王国は帝国化を目論んでいる。最初に取り込もうとしたのはグリーナ王国だ。戦争はせずに取り込むためにとった手段がオピュウムという依存性の高い薬物なんだ。これはブラッド侯爵領で栽培されている花から作られるんだよ」
「薬物……」
「ああ、薬物だ。それをグリーナ国に流していたのがミスティ侯爵だ。しかし流通量はかなり厳正に管理されていて、こちらの言うとおりに動く程度に押さえるという役目も担っていたんだけど、それを壊したのがミスティ家の養子であるロナードさ」
アルバートは一度言葉を切り、ワインで喉を潤した。
「ロナードはオピュウムをバローナ王家に献上して近づいた。理由はわからないけれど、あの国でそれ相応の地位を約束されていたのかもしれない。そして中毒になったバローナ皇太子は妹を送り込んで流通量の増加を目論んだ」
シェリーは息を吞んだ。
サミュエルも悲痛な顔をしている。
「婚約に反対していた側妃は、ロナードによって薬物中毒にされた。そのことを知った国王はバローナから王女を迎え入れることを決定した。側妃は表舞台から姿を消し、寝室に籠って薬物を抜く治療を施された。そうこうしているうちに輿入れする予定だった王女がオピュウムの中毒になって、呆気なく死んでしまった。まあこの事実は秘匿されているけどね」
死んだというその王女は確か当時まだ八歳だったと思い当ったシェリーの顔が歪む。
「事の成り行きを憂慮したブラッド侯爵が、花の出荷を差し止めたんだ。当然新しい薬は作られないよね? でもこのオピュウムの依存性は我慢できるようなレベルじゃないんだ。どうしても薬を手に入れたいバローナの皇太子が我が国に攻め入った。薬が来ないならその原材料ごと押さえようという胆略的な考えさ」
「そんなバカな! そんなことで民が命を失うなど……酷すぎるわ」
「うん、そうだよね。そしてその頃、ミスティ侯爵夫人が病を発症したんだ。これが珍しい風土病でね。バローナにしか治療薬が無いんだよ。夫人の治療薬が欲しい侯爵は、ロナードの言いなりになるしかなかったんだ。戦争は終結しても、各地で小競合いが続いていただろう? そんな状況の中でオピュウムを届けて夫人の治療薬を受け取ってくるという仕事は危険極まりない」
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「残念だがご名答だ」
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