23 / 97
23
しおりを挟む ムハマド・ラディフ王の顔はただひたすらに歪んでいた。
目の前には隻眼の金髪の男がその様子をうかがっている。それが先程まで相手をしていた地球のニュースキャスターならいい。とりあえず強気の発言を繰り返せばそれなりの歓心を引くことができる。だがその相手がゲルパルト大統領カール・シュトルベルクが相手となると話は違った。
「この条件が最低のラインじゃ……これ以上は譲れん」
目の前に出されたのは遼州同盟としての西モスレムの遼北国境ラインまでに厚さ10キロの緩衝地帯をもうけるという案だった。間の兼州河(けんしゅうこう)の中州を巡る今回の軍事衝突。緩衝地帯をもうけるという案は理解できないわけではない。だが彼が煽った世論はそのような妥協を許す状況には無かった。
緩衝地帯ではなく、武装制限地域として駐留軍を駐在し続けること。せめてその程度の妥協をしてもらわなければ王の位すら危うい。ラディフの意識にはその一点ばかりがちらついていた。
「武装制限……ずいぶんと中途半端な」
薄ら笑いを浮かべてるシュトルベルクを見て彼の妹かあの憎らしいムジャンタ・ラスコーこと憎き司法局実働部隊の隊長、嵯峨惟基の妻だったことを思い出す。
『類は友を呼ぶとはこのことじゃわい』
そんな思いがさらに王の顔をゆがめた。シュトルベルグの隣に座ったアラブ連盟から派遣された宗教指導者は、ただシュトルベルグの説明にうなづくばかりでラディフの苦悩など理解しているようには見えない。
「武装を制限することで衝突の被害を最小にとどめるというのも悪くないが……後ろに核の脅しがあれば意味はないですなあ……」
シュトルベルグの隣に座った少し小柄のイスラム法学者はあごひげをなでながらつぶやく。まるで異教徒の肩を持つような言葉遣いにさらにラディフの心は荒れた。
「譲れぬものと譲れないものがある……国家というものにはそう言うものがあるのは貴殿もご存じと思うが?」
絞り出したラディフの言葉にシュトルベルグが浮かべたのは冷笑だった。その様は明らかにあのラスコーとうり二つだった。
「実を取るのが国家運営の基礎。私はそう思っていますが……名に寄りすぎた国は長持ちしない。ゲルパルトの先の独裁政権。胡州の貴族制度。どちらもその運命は敵として軍を率いて戦ったあなたならご存じのはずだ」
皮肉だ。ラディフはシュトルベルグの意図がすぐに読めた。嵯峨は胡州軍の憲兵上がり、シュトルベルグもゲルパルト国防軍の遼南派遣軍の指揮官だったはずだ。二人ともラディフの軍と戦い、そして敗れ去った敗軍の将。そして今はこうしてラディフを苦しめて悦に入っている。
『意趣返し』
そんな言葉が頭をよぎった。
それが思い過ごしかも知れなくても、王として常に強権を握ってきたラディフには我慢ならない状況だった。
「それはキリスト教国の話で……」
「なるほど……それではイスラム教国では通用しない話だと?」
シュトルベルグはそのまま隣に座ったイスラム法学者を眺める。注目され、そして笑みでラディフを包む。
「これは妥協ではなく災厄を避ける義務と考えますが……核の業火に人々が焼かれること。それこそが避けられなければならない最大の問題だと」
その小柄なイスラム法学者の言葉はラディフの予想と寸分違わぬものだった。所詮目の前の老人も他国の人なのだ。そう思いついたときにはラディフの隣の弟アイディードや叔父フセインの表情もシュトルベルグの意図を汲んで自分に妥協を迫るような視線を向けていることに気づいた。
「首長会に……かけてみる必要がありそうだな」
まさに苦渋の一言だった。
首長会を開けば事態を悪化させた彼への突き上げが反主流派の首長から出るのは間違いなかった。この場にいる彼の親類縁者もまたその派閥に押されてラディフ非難を始めることだろう。だが時間が無かった。ほかの選択は無い。
「ところで……遼北の説得はどうなのかね」
気分を換えようとラディフは目の前で笑みを浮かべる大統領に声をかけてみた。
「あちらは素直に非武装の線で呑んだそうですよ……市民の自暴自棄な暴言がネットの切断で止まっている今なら大胆な妥協が出来る……そう踏んだんだと思いますが」
シュトルベルグの言葉をラディフはとても鵜呑みには出来なかった。あちらに向かった使者はラスコーの義理の兄である西園寺義基だ。こいつも喰えない奴なのは十分知っていた。
「一党独裁体制はうらやましいものだな……我々は簡単には妥協できない」
「絶対王政の方が自由がきくように見えますがいかがでしょうか?」
ああ言えばこう言う。またもラディフは出鼻をくじかれた。どうにも腹の中が煮えくりかえる感情が顔に出ているのが分かってくると気分が悪くなる。隣のアイディードは腹違いでどうにも気に入らない弟だがそれでもこれほどまでにラディフを腹立たせたことなど無い。
「ワシの王政はそれほど絶対的なものでは無いと思うのじゃが……のう」
左右を見て同意を求めてみる。そこにはあからさまに浮ついた笑みが並んでいる。
『どいつも……馬鹿にしおって』
叫びたい衝動に駆られるのを必死で耐えるラディフ。
「破滅は避けられそうなんですから……そんなに顔をこわばらせる必要は無いんじゃないですか?」
シュトルベルグのとどめの一言だった。ラディフは怒りに駆られて立ち上がっていた。
不敵に激情に駆られた王をあざ笑うシュトルベルグ。驚いたようにあんぐりと口を開け、ターバンに手を当てるイスラム法学者。
「少しばかり外の空気を吸ってきたいと思うのじゃが……」
「どうぞ。ただ急いでいただきたいものですな……状況は一刻を争う」
皮肉を言い始めたらおそらくとどまることを知らないだろうシュトルベルグの口から放たれた言葉に思わずラディフは怒りの表情をあらわにしながらそのままテーブルに背を向けて会議場を後にするしかなかった。
目の前には隻眼の金髪の男がその様子をうかがっている。それが先程まで相手をしていた地球のニュースキャスターならいい。とりあえず強気の発言を繰り返せばそれなりの歓心を引くことができる。だがその相手がゲルパルト大統領カール・シュトルベルクが相手となると話は違った。
「この条件が最低のラインじゃ……これ以上は譲れん」
目の前に出されたのは遼州同盟としての西モスレムの遼北国境ラインまでに厚さ10キロの緩衝地帯をもうけるという案だった。間の兼州河(けんしゅうこう)の中州を巡る今回の軍事衝突。緩衝地帯をもうけるという案は理解できないわけではない。だが彼が煽った世論はそのような妥協を許す状況には無かった。
緩衝地帯ではなく、武装制限地域として駐留軍を駐在し続けること。せめてその程度の妥協をしてもらわなければ王の位すら危うい。ラディフの意識にはその一点ばかりがちらついていた。
「武装制限……ずいぶんと中途半端な」
薄ら笑いを浮かべてるシュトルベルクを見て彼の妹かあの憎らしいムジャンタ・ラスコーこと憎き司法局実働部隊の隊長、嵯峨惟基の妻だったことを思い出す。
『類は友を呼ぶとはこのことじゃわい』
そんな思いがさらに王の顔をゆがめた。シュトルベルグの隣に座ったアラブ連盟から派遣された宗教指導者は、ただシュトルベルグの説明にうなづくばかりでラディフの苦悩など理解しているようには見えない。
「武装を制限することで衝突の被害を最小にとどめるというのも悪くないが……後ろに核の脅しがあれば意味はないですなあ……」
シュトルベルグの隣に座った少し小柄のイスラム法学者はあごひげをなでながらつぶやく。まるで異教徒の肩を持つような言葉遣いにさらにラディフの心は荒れた。
「譲れぬものと譲れないものがある……国家というものにはそう言うものがあるのは貴殿もご存じと思うが?」
絞り出したラディフの言葉にシュトルベルグが浮かべたのは冷笑だった。その様は明らかにあのラスコーとうり二つだった。
「実を取るのが国家運営の基礎。私はそう思っていますが……名に寄りすぎた国は長持ちしない。ゲルパルトの先の独裁政権。胡州の貴族制度。どちらもその運命は敵として軍を率いて戦ったあなたならご存じのはずだ」
皮肉だ。ラディフはシュトルベルグの意図がすぐに読めた。嵯峨は胡州軍の憲兵上がり、シュトルベルグもゲルパルト国防軍の遼南派遣軍の指揮官だったはずだ。二人ともラディフの軍と戦い、そして敗れ去った敗軍の将。そして今はこうしてラディフを苦しめて悦に入っている。
『意趣返し』
そんな言葉が頭をよぎった。
それが思い過ごしかも知れなくても、王として常に強権を握ってきたラディフには我慢ならない状況だった。
「それはキリスト教国の話で……」
「なるほど……それではイスラム教国では通用しない話だと?」
シュトルベルグはそのまま隣に座ったイスラム法学者を眺める。注目され、そして笑みでラディフを包む。
「これは妥協ではなく災厄を避ける義務と考えますが……核の業火に人々が焼かれること。それこそが避けられなければならない最大の問題だと」
その小柄なイスラム法学者の言葉はラディフの予想と寸分違わぬものだった。所詮目の前の老人も他国の人なのだ。そう思いついたときにはラディフの隣の弟アイディードや叔父フセインの表情もシュトルベルグの意図を汲んで自分に妥協を迫るような視線を向けていることに気づいた。
「首長会に……かけてみる必要がありそうだな」
まさに苦渋の一言だった。
首長会を開けば事態を悪化させた彼への突き上げが反主流派の首長から出るのは間違いなかった。この場にいる彼の親類縁者もまたその派閥に押されてラディフ非難を始めることだろう。だが時間が無かった。ほかの選択は無い。
「ところで……遼北の説得はどうなのかね」
気分を換えようとラディフは目の前で笑みを浮かべる大統領に声をかけてみた。
「あちらは素直に非武装の線で呑んだそうですよ……市民の自暴自棄な暴言がネットの切断で止まっている今なら大胆な妥協が出来る……そう踏んだんだと思いますが」
シュトルベルグの言葉をラディフはとても鵜呑みには出来なかった。あちらに向かった使者はラスコーの義理の兄である西園寺義基だ。こいつも喰えない奴なのは十分知っていた。
「一党独裁体制はうらやましいものだな……我々は簡単には妥協できない」
「絶対王政の方が自由がきくように見えますがいかがでしょうか?」
ああ言えばこう言う。またもラディフは出鼻をくじかれた。どうにも腹の中が煮えくりかえる感情が顔に出ているのが分かってくると気分が悪くなる。隣のアイディードは腹違いでどうにも気に入らない弟だがそれでもこれほどまでにラディフを腹立たせたことなど無い。
「ワシの王政はそれほど絶対的なものでは無いと思うのじゃが……のう」
左右を見て同意を求めてみる。そこにはあからさまに浮ついた笑みが並んでいる。
『どいつも……馬鹿にしおって』
叫びたい衝動に駆られるのを必死で耐えるラディフ。
「破滅は避けられそうなんですから……そんなに顔をこわばらせる必要は無いんじゃないですか?」
シュトルベルグのとどめの一言だった。ラディフは怒りに駆られて立ち上がっていた。
不敵に激情に駆られた王をあざ笑うシュトルベルグ。驚いたようにあんぐりと口を開け、ターバンに手を当てるイスラム法学者。
「少しばかり外の空気を吸ってきたいと思うのじゃが……」
「どうぞ。ただ急いでいただきたいものですな……状況は一刻を争う」
皮肉を言い始めたらおそらくとどまることを知らないだろうシュトルベルグの口から放たれた言葉に思わずラディフは怒りの表情をあらわにしながらそのままテーブルに背を向けて会議場を後にするしかなかった。
35
お気に入りに追加
237
あなたにおすすめの小説
夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】
王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。
しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。
「君は俺と結婚したんだ」
「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」
目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。
どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
今度生まれ変わることがあれば・・・全て忘れて幸せになりたい。・・・なんて思うか!!
れもんぴーる
ファンタジー
冤罪をかけられ、家族にも婚約者にも裏切られたリュカ。
父に送り込まれた刺客に殺されてしまうが、なんと自分を陥れた兄と裏切った婚約者の一人息子として生まれ変わってしまう。5歳になり、前世の記憶を取り戻し自暴自棄になるノエルだったが、一人一人に復讐していくことを決めた。
メイドしてはまだまだなメイドちゃんがそんな悲しみを背負ったノエルの心を支えてくれます。
復讐物を書きたかったのですが、生ぬるかったかもしれません。色々突っ込みどころはありますが、おおらかな気持ちで読んでくださると嬉しいです(*´▽`*)
*なろうにも投稿しています
【完結】緑の手を持つ花屋の私と、茶色の手を持つ騎士団長
五城楼スケ(デコスケ)
ファンタジー
〜花が良く育つので「緑の手」だと思っていたら「癒しの手」だったようです〜
王都の隅っこで両親から受け継いだ花屋「ブルーメ」を経営するアンネリーエ。
彼女のお店で売っている花は、色鮮やかで花持ちが良いと評判だ。
自分で花を育て、売っているアンネリーエの店に、ある日イケメンの騎士が現れる。
アンネリーエの作る花束を気に入ったイケメン騎士は、一週間に一度花束を買いに来るようになって──?
どうやらアンネリーエが育てている花は、普通の花と違うらしい。
イケメン騎士が買っていく花束を切っ掛けに、アンネリーエの隠されていた力が明かされる、異世界お仕事ファンタジーです。
*HOTランキング1位、エールに感想有難うございました!とても励みになっています!
※花の名前にルビで解説入れてみました。読みやすくなっていたら良いのですが。(;´Д`)
話の最後にも花の名前の解説を入れてますが、間違ってる可能性大です。
雰囲気を味わってもらえたら嬉しいです。
※完結しました。全41話。
お読みいただいた皆様に感謝です!(人´∀`).☆.。.:*・゚
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
ひめさまはおうちにかえりたい
あかね
ファンタジー
政略結婚と言えど、これはない。帰ろう。とヴァージニアは決めた。故郷の兄に気に入らなかったら潰して帰ってこいと言われ嫁いだお姫様が、王冠を手にするまでのお話。(おうちにかえりたい編)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完】ええ!?わたし当て馬じゃ無いんですか!?
112
恋愛
ショーデ侯爵家の令嬢ルイーズは、王太子殿下の婚約者候補として、王宮に上がった。
目的は王太子の婚約者となること──でなく、父からの命で、リンドゲール侯爵家のシャルロット嬢を婚約者となるように手助けする。
助けが功を奏してか、最終候補にシャルロットが選ばれるが、特に何もしていないルイーズも何故か選ばれる。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる