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皇太子から誘われた夕食をすっぽかされてから数か月、夕食のお誘いどころかあれほど几帳面にこなしていた閨への訪れも無い。
体調でも悪いのかと心配になり、手紙を送るが『心配ない』という短い返事のみだ。
会議や夜会では会うものの、込み入った話をする時間も無く、お互いにぐったりと疲れてそれぞれの自室に戻るだけ。
顔を合わせているのに会話がないという夫婦もおかしなものだと思うが、最近は特に近寄りがたいオーラを発している気がする。
シェリーはただ淡々と王太子妃の仕事をこなしていた。
そんなある日のこと。
「姉さん、久しぶりだね」
弟のブルーノが執務室にやってきた。
「まあ! ブルーノ。本当に久しぶりね。元気そうで安心したわ」
「時間はとれる?」
「そこで少し待ってちょうだい。この書類だけサインさせて」
「うん、ゆっくりでいいよ」
シェリーはメイドにお茶の準備を頼み、自分は書類に目を戻す。
ソファーに座り、何気なく部屋を見ていたブルーノがシェリーに声を掛けた。
「書架を見ても良いかい?」
「もちろんよ。右側は私物だけど、左側は図書室から借りているものだから扱いには気を付けて」
シェリーは目を上げずに声だけで返事をした。
立ち上がり執務室の壁いっぱいに並んでいる本の背表紙を、順番に見ていたブルーノが、明るい声を出した。
「姉さん! まだ持ってたの? 懐かしいなぁ」
ちょうどサインを終えて侍従に持たせていたシェリーも立ち上がった。
「ああ、それね。時々疲れたときに手に取ることがあるわ。あなたがお茶を溢したシミもそのままよ」
「ははは! あの時は姉さん泣いちゃって。お父様に怒られたっけ」
「そうね、あれから本を読むときはお茶もお菓子も禁止になったのよね。懐かしいわ」
そう言いながらソファーに座ったシェリーの前に、メイドがお茶を差し出した。
当然向かい側に座るだろうと思っていたブルーノが、シェリーの横に腰を下ろす。
何かを察したシェリーが、メイドにペンと紙を用意するように言った。
「久しぶりの弟との時間だから、少し外してくれる? 護衛もドアの外で待機させて」
「畏まりました」
懐かしい本をテーブルに置き、優雅な所作でカップを持ち上げたブルーノが言った。
「さすがに王太子妃の子供の頃のお転婆話は聞かせられないか」
「そうでもないけど、恥ずかしいじゃない」
「これ使っていいの?」
シェリーは頷き、ブルーノの前にペンと紙を置いた。
「庭をね、少しいじったんだ。前はここに小さな花壇があったでしょ?」
屋敷を示す大きな四角を描き、その周りに小さな四角を規則正しく書き加えながら、ブルーノが声を出した。
「この花壇には珍しい花を植えたんだよ。異国の商人が置いて行ったんだけど、読めても発音がわからないんだ」
「なにそれ? あなたが理解できない外国語があるの?」
「確かに外国語は得意だけれど、花の名前までは網羅してないさ」
「そりゃそうね。どんな名前なの?」
ブルーノが左の端に描いた四角の上に、遠い異国で使う文字で文章を書き添えた。
『この部屋は影がついているよね?』
それを読んだシェリーがブルーノの顔を見て頷く。
「ね? 良く分からないだろう?」
「そうね、何か意味があるのかしら」
「意味不明だよね。そしてここの花はね……」
ブルーノが先ほどの文字をガリガリとインクで消しながら、その横に同じ文字で単語をいくつか書いた。
『皇太子』
『浮気』
『知ってた?』
シェリーは一瞬目を閉じて息を吐いた。
「知らないわ……本当にそれであってるの?」
「うん、間違いないよ。何度も調べたからね」
「そう、それはどんな花?」
「バラの一種だろうね。何でも我が国の固有種だったらしいのだけれど、外国に渡って交配されたものだ。一時は王宮に献上されるって話も出ていたそうだよ? でも実現はしなかったんだってさ。育てにくいらしい」
「それがまた戻ってきたってこと?」
「手間がかかった割に、派手さばかりであまり上品な花では無いんだ。僕はあまり好きじゃない。だから刈り取ってしまおうかと思ってる」
「まさか! 希少種なのでしょう? もう少し待ってよ。私も調べてみたいから」
「そう? 姉さんがそう言うなら待つけど」
シェリーは震える手をカップに伸ばした。
ブルーノはずっと姉の顔を見ていたが、再びペン先をインクに浸し、書いた文字を塗りつぶした。
ふと話を変える。
「この本はずっとここに置いていたの?」
「ええ、近くにあると安心するの」
「懐かしいねぇ、そうそう。このシーン覚えてる?」
ブルーノが持ってきた本をぺらぺらと捲り、目当てのページをみつけてシェリーの前に置いた。
体調でも悪いのかと心配になり、手紙を送るが『心配ない』という短い返事のみだ。
会議や夜会では会うものの、込み入った話をする時間も無く、お互いにぐったりと疲れてそれぞれの自室に戻るだけ。
顔を合わせているのに会話がないという夫婦もおかしなものだと思うが、最近は特に近寄りがたいオーラを発している気がする。
シェリーはただ淡々と王太子妃の仕事をこなしていた。
そんなある日のこと。
「姉さん、久しぶりだね」
弟のブルーノが執務室にやってきた。
「まあ! ブルーノ。本当に久しぶりね。元気そうで安心したわ」
「時間はとれる?」
「そこで少し待ってちょうだい。この書類だけサインさせて」
「うん、ゆっくりでいいよ」
シェリーはメイドにお茶の準備を頼み、自分は書類に目を戻す。
ソファーに座り、何気なく部屋を見ていたブルーノがシェリーに声を掛けた。
「書架を見ても良いかい?」
「もちろんよ。右側は私物だけど、左側は図書室から借りているものだから扱いには気を付けて」
シェリーは目を上げずに声だけで返事をした。
立ち上がり執務室の壁いっぱいに並んでいる本の背表紙を、順番に見ていたブルーノが、明るい声を出した。
「姉さん! まだ持ってたの? 懐かしいなぁ」
ちょうどサインを終えて侍従に持たせていたシェリーも立ち上がった。
「ああ、それね。時々疲れたときに手に取ることがあるわ。あなたがお茶を溢したシミもそのままよ」
「ははは! あの時は姉さん泣いちゃって。お父様に怒られたっけ」
「そうね、あれから本を読むときはお茶もお菓子も禁止になったのよね。懐かしいわ」
そう言いながらソファーに座ったシェリーの前に、メイドがお茶を差し出した。
当然向かい側に座るだろうと思っていたブルーノが、シェリーの横に腰を下ろす。
何かを察したシェリーが、メイドにペンと紙を用意するように言った。
「久しぶりの弟との時間だから、少し外してくれる? 護衛もドアの外で待機させて」
「畏まりました」
懐かしい本をテーブルに置き、優雅な所作でカップを持ち上げたブルーノが言った。
「さすがに王太子妃の子供の頃のお転婆話は聞かせられないか」
「そうでもないけど、恥ずかしいじゃない」
「これ使っていいの?」
シェリーは頷き、ブルーノの前にペンと紙を置いた。
「庭をね、少しいじったんだ。前はここに小さな花壇があったでしょ?」
屋敷を示す大きな四角を描き、その周りに小さな四角を規則正しく書き加えながら、ブルーノが声を出した。
「この花壇には珍しい花を植えたんだよ。異国の商人が置いて行ったんだけど、読めても発音がわからないんだ」
「なにそれ? あなたが理解できない外国語があるの?」
「確かに外国語は得意だけれど、花の名前までは網羅してないさ」
「そりゃそうね。どんな名前なの?」
ブルーノが左の端に描いた四角の上に、遠い異国で使う文字で文章を書き添えた。
『この部屋は影がついているよね?』
それを読んだシェリーがブルーノの顔を見て頷く。
「ね? 良く分からないだろう?」
「そうね、何か意味があるのかしら」
「意味不明だよね。そしてここの花はね……」
ブルーノが先ほどの文字をガリガリとインクで消しながら、その横に同じ文字で単語をいくつか書いた。
『皇太子』
『浮気』
『知ってた?』
シェリーは一瞬目を閉じて息を吐いた。
「知らないわ……本当にそれであってるの?」
「うん、間違いないよ。何度も調べたからね」
「そう、それはどんな花?」
「バラの一種だろうね。何でも我が国の固有種だったらしいのだけれど、外国に渡って交配されたものだ。一時は王宮に献上されるって話も出ていたそうだよ? でも実現はしなかったんだってさ。育てにくいらしい」
「それがまた戻ってきたってこと?」
「手間がかかった割に、派手さばかりであまり上品な花では無いんだ。僕はあまり好きじゃない。だから刈り取ってしまおうかと思ってる」
「まさか! 希少種なのでしょう? もう少し待ってよ。私も調べてみたいから」
「そう? 姉さんがそう言うなら待つけど」
シェリーは震える手をカップに伸ばした。
ブルーノはずっと姉の顔を見ていたが、再びペン先をインクに浸し、書いた文字を塗りつぶした。
ふと話を変える。
「この本はずっとここに置いていたの?」
「ええ、近くにあると安心するの」
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