そして愛は突然に

志波 連

文字の大きさ
上 下
3 / 97

しおりを挟む
 30分も経っただろうか、サミュエルが再び声を出した。

「ロビーで待っている。くれぐれも逃げようなどとは考えないでくれ。君たちの命を散らしたくないんだ。王宮では必ず守ると誓う。頼む……耐えてくれ……」

 サミュエルは返事を待たずに部屋を出た。
 我慢していたのか、シェリーは声を上げて泣いた。
 イーサンはそんな彼女を抱きしめながら肩を震わせている。
 そんな二人を見る両家当主の目にも涙が浮かんでいた。

 それからひと月、シェリーは王宮に与えられた自室で勉強漬けの日々を過ごしている。
 今でも夢に見るイーサンの笑顔が、シェリーにとって生きる理由の全てだ。
 あの日、心臓を二つに割かれるような思いで乗り込んだ馬車の中で、サミュエルが言った言葉を思い出す。

「良かったよ。聞き分けてくれて。これでイーサンの命も両家も守ることができる」

 ハッと顔を上げたシェリーにサミュエルは悲しそうに言った。

「拒否するなら反逆者として切り捨てよという命が出ていたんだ」

 シェリーはビクッと肩を揺らした。
 一瞬だが、イーサンと一緒に殺された方が良かったという考えがよぎった。
 しかし、すぐにその考えを打ち消す。
 両家の家族の顔が浮かんだからだ。
 あの人たちの人生を自分のために潰すわけにはいかない……シェリーはその時初めて、自分の意志でサミュエルの顔を見た。

「必ず守っていただけるのですね?」

「ああ、必ず守る」

 それきり二人は黙ったまま馬車に揺られた。
 流れる馬車の窓から見たあの日の夕焼けは、今も心に刻んでいる。
 きっと人生最後の息を吐くまで忘れることは無いだろう。
 シェリーは溜息を吐いて、目の前に広がっている今日の課題に取り掛かった。

「邪魔をするよ」

 侍女が慌てて扉を開くと、シェリーの婚約者となった第二王子のアルバートだった。
 シェリーは慌てて立ち上がり、カーテシーで迎える。

「第二王子殿下、ごきげんよう」

「ああ、シェリー嬢。お茶でもどうかと思ったのだが、勉強中だったようだね」

 シェリーが講師の顔を見ると、にっこりと微笑んだ。

「恐れながら。第二王子殿下のご婚約者であらせられるシェリー様は大変優秀でございます。王子妃教育も恙なく、いえ、予定より早く進んでおりますので何も問題はございません」

 アルバートが満足そうに頷いた。

「それは良かった。では婚約者殿を東屋に誘っても?」

「どうぞごゆっくり」

 講師がそう言うと、アルバートはシェリーに歩み寄って腕を差し出した。

「それではシェリー、バラが見ごろだと聞いたんだ。東屋でお茶でもしようか」

「はい、殿下。喜んで」

 シェリーは完璧だと講師からお墨付きをもらった作り笑顔で答え、アルバートの腕に指先を差し入れる。

「すまんな」

 アルバートが漏らしたその声は、シェリーにしか聞こえないほど小さいものだった。
 東屋には既にお茶とお菓子の準備がされていた。
 断られることなど想定もしていなかったのだろうことに、シェリーは己の立場の弱さを見た。

「さあどうぞ、我が婚約者殿」

「恐れ入ります」

 アルバートが引いた椅子に優雅に腰かけると、すぐに二人だけのお茶会が始まった。
 スッと指先を動かして人払いをしたアルバートが、カップを口に運びながら言った。

「勉強は進んでる?」

「はい、予定通りだと伺っております」

「さすがに優秀だね。それで婚儀のことなのだけれど、母上からは何か言ってきたかな?」

 シェリーは少し目を伏せて返事をした。

「全て……お任せいたしておりますので」

 アルバートの生母である王妃に、このひと月で三度呼び出された。
 一度目はアルバートとの婚約に対する祝いの言葉。
 二度目はもともと予定されていた日程で結婚式を執り行うという命令。
 そして三度目の昨日は、ローズが着る予定で制作が進んでいたウェディングドレスを着るようにという通達だ。
 シェリーは王妃の言葉全てに、黙ったまま頷くだけだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

【完結】王女様の暇つぶしに私を巻き込まないでください

むとうみつき
ファンタジー
暇を持て余した王女殿下が、自らの婚約者候補達にゲームの提案。 「勉強しか興味のない、あのガリ勉女を恋に落としなさい!」 それって私のことだよね?! そんな王女様の話しをうっかり聞いてしまっていた、ガリ勉女シェリル。 でもシェリルには必死で勉強する理由があって…。 長編です。 よろしくお願いします。 カクヨムにも投稿しています。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

忘却令嬢〜そう言われましても記憶にございません〜【完】

雪乃
恋愛
ほんの一瞬、躊躇ってしまった手。 誰よりも愛していた彼女なのに傷付けてしまった。 ずっと傷付けていると理解っていたのに、振り払ってしまった。 彼女は深い碧色に絶望を映しながら微笑んだ。 ※読んでくださりありがとうございます。 ゆるふわ設定です。タグをころころ変えてます。何でも許せる方向け。

【完結】あなたを忘れたい

やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。 そんな時、不幸が訪れる。 ■□■ 【毎日更新】毎日8時と18時更新です。 【完結保証】最終話まで書き終えています。 最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)

【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。

るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」  色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。  ……ほんとに屑だわ。 結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。 彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。 彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

王太子妃が我慢しなさい ~姉妹差別を受けていた姉がもっとひどい兄弟差別を受けていた王太子に嫁ぎました~

玄未マオ
ファンタジー
メディア王家に伝わる古い呪いで第一王子は家族からも畏怖されていた。 その王子の元に姉妹差別を受けていたメルが嫁ぐことになるが、その事情とは? ヒロインは姉妹差別され育っていますが、言いたいことはきっちりいう子です。

処理中です...