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20 終わりの始まり
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マリアの部屋に駆け込んできたアレンは、状況を全く掴めないままルーナを抱きかかえて寝室に連れて行った。
メイドを呼びつけルーナの側にいろと命じて、マリアの部屋に駆け戻る。
メイド長は壊れたような笑いを漏らしながら、床に座り込んでいた。
乾いた茶色の紙を骨に直接貼り付けたようなマリアと、それを遠巻きにする使用人たち。
動かない使用人を突き飛ばすようにして、マリアのベッドに駆け寄った。
掌を口元に近づけたが呼吸が確認できない。
しかし胸は僅かに上下しているので、まだ死んではいないはずだと判断したアレンは、立ち竦む執事に叫んだ。
「すぐに医者を呼んで来い! 第二王子殿下にお伝えせよ! 大至急だ!」
本来なら自分で動くべきだとは思ったが、今この場を離れては拙いと頭の中で警鐘が鳴り響いていた。
「これを持っていけ! これを見せればすぐに繋いでくれるはずだ」
アレンは上着の内ポケットにチェーンでぶら下げていた家紋入りのメダルを引き千切って持たせた。
執事は慌てて駆け出した。
「こいつを拘束しろ」
その声に正気に戻った使用人が、メイド長を拘束した。
「ルーナを……監視しろ。逃がさないように気を付けるんだ」
動き出した使用人を数秒見つけた後、アレンはマリアの側に跪いた。
枯れ木のような腕を擦り、手を握る。
「なぜだ……」
マリアの指先がぴくっと動いたような気がして、アレンは軽く揺さぶってみた。
もうすぐ冬だというのに薄いブランケット一枚とはどういうことだ?
カーテンは? 家具が無いのはなぜだ?
マリアの手を握りながらアレンは部屋を見回した。
「意味がわからない」
ふとマリアが掛けていたブランケットがずれ落ち、腫れあがって腐りかけている足首が見えた。
「これは……」
結婚式の日に負った怪我だと知らないアレンは、驚愕しながら悪臭を放つ足首を指先で触った。
「腐っている……」
アレンはその時、唐突な既視感を覚えた。
あれはまだ十代だった時に出た戦場で見た光景。
被弾したまま放置され、息はあるのに死を待つだけの兵士。
傷はすでに腐り始め、蛆が湧いていた。
無事な者を優先して食料を配るため、死にゆくものに与えられるものは何もなかった。
そう、水さえも与えられず死にゆく兵士たち。
「水……そうだ、水! 水を持ってこい!」
一人が駆け出した。
持ち込まれた水を飲ませようにも、マリアは動くことさえできずにいた。
持っていたハンカチに水を含ませ、唇を拭いてやると、割れた唇から血がにじんだ。
執事と一緒に駆け込んできた王宮医が一瞬立ち竦んだが、すぐに我に返りマリアの横に蹲るアレンを突き飛ばしてマリアの顔に自分の頬を近づけた。
「まだ息がある」
のろのろと立ち上がり、再びマリアの手を握るアレン。
医者は容赦なく草木染のワンピースを切り裂いて、マリアの胸をあらわにした。
肋骨はもとより、胸骨までもが浮き上がるその体に張り付いている皮膚は黒い。
剣状突起が異様なほど目立ち、これが人の胸部だということを主張していた。
「なぜ?」
「静かにしろ。それはこちらが聞きたいことだ」
その時、アレンの頬を温かいものが掠め、部屋の中が少し明るくなったような気がした。
「おい! しっかりしろ! 逝くな! 戻れ!」
医者の叫び声の中、アレンの手の中でマリアの指先がぴくっと動いた。
医者が閉じたマリアの目を開いて瞳孔を確認し、アレンの方に向き直った。
「王宮に連れて行って詳しく調べる。ことと次第によっては覚悟した方がいい。これは間違いなく殺人だ」
アレンは医者の言葉に何の反応も示さなかった。
呆然とするアレンの横で、医師が指示を出してブロウ侯爵邸の使用人全員が拘束された。
ルーナも例外ではなく、次々に馬車に乗せられ連れて行かれる。
行先は王宮。
駆け込んだブロウ家執事が持参した家紋メダルを見た宰相の指示だった。
「一人に一人ずつ警備をつけて私語を禁じろ。口裏を合わせられないようにするんだ。自死にも気をつけろ。それとエヴァンスを呼んで来い」
遅れて駆けつけたロナルド公爵はアレンの肩を掴んだ。
「マリア嬢は医師に委ねる。死因を特定しなくてはならんからな。お前は私と来い」
アレンは力なく立ち上がった。
いったいどこから間違っていたんだ?
第二王子の女だぞ?
男の僕が近寄らない方が良いと思ったのだが間違っていたのか?
ルーナに任せたのが悪かったのか?
そうだ……ルーナはあの女のせいで、僕の正妻になれなかったんだ。
怨んで当然だろう。
では彼女がメイド長を操ったのか?
いや、それは無い。
ルーナはそんな女じゃない。
信じろ!
命を懸けて愛すると誓ったじゃないか!
しかし……
「早くしろ!」
ロナルド公爵の声に、アレンの肩が跳ねた。
聞き覚えのある今のセリフ……。
そうだ、あの言葉は僕が彼女に掛けた唯一の言葉だ。
結婚した教会の前で、僕は確かにそう言った。
婚約者を奪われた令嬢たちが投げつけた卵に戸惑う彼女をゴミのように見たんだ。
真っ赤なブーケを踏みつぶされた時の彼女の顔……。
馬車で身を縮こませ泣くのを我慢していた。
それから全く彼女の姿を見ていないどころか、それ以外の言葉も掛けていない。
全てに蓋をしてルーナとの生活だけを夢見ていたんだ。
「そうか、僕は初手から誤ったんだ」
ロナルド公爵がアレンの肩を掴み、移動を促した。
力なく歩くアレンの後ろで、マリアの遺体が布に包まれ担架に乗せられていた。
メイドを呼びつけルーナの側にいろと命じて、マリアの部屋に駆け戻る。
メイド長は壊れたような笑いを漏らしながら、床に座り込んでいた。
乾いた茶色の紙を骨に直接貼り付けたようなマリアと、それを遠巻きにする使用人たち。
動かない使用人を突き飛ばすようにして、マリアのベッドに駆け寄った。
掌を口元に近づけたが呼吸が確認できない。
しかし胸は僅かに上下しているので、まだ死んではいないはずだと判断したアレンは、立ち竦む執事に叫んだ。
「すぐに医者を呼んで来い! 第二王子殿下にお伝えせよ! 大至急だ!」
本来なら自分で動くべきだとは思ったが、今この場を離れては拙いと頭の中で警鐘が鳴り響いていた。
「これを持っていけ! これを見せればすぐに繋いでくれるはずだ」
アレンは上着の内ポケットにチェーンでぶら下げていた家紋入りのメダルを引き千切って持たせた。
執事は慌てて駆け出した。
「こいつを拘束しろ」
その声に正気に戻った使用人が、メイド長を拘束した。
「ルーナを……監視しろ。逃がさないように気を付けるんだ」
動き出した使用人を数秒見つけた後、アレンはマリアの側に跪いた。
枯れ木のような腕を擦り、手を握る。
「なぜだ……」
マリアの指先がぴくっと動いたような気がして、アレンは軽く揺さぶってみた。
もうすぐ冬だというのに薄いブランケット一枚とはどういうことだ?
カーテンは? 家具が無いのはなぜだ?
マリアの手を握りながらアレンは部屋を見回した。
「意味がわからない」
ふとマリアが掛けていたブランケットがずれ落ち、腫れあがって腐りかけている足首が見えた。
「これは……」
結婚式の日に負った怪我だと知らないアレンは、驚愕しながら悪臭を放つ足首を指先で触った。
「腐っている……」
アレンはその時、唐突な既視感を覚えた。
あれはまだ十代だった時に出た戦場で見た光景。
被弾したまま放置され、息はあるのに死を待つだけの兵士。
傷はすでに腐り始め、蛆が湧いていた。
無事な者を優先して食料を配るため、死にゆくものに与えられるものは何もなかった。
そう、水さえも与えられず死にゆく兵士たち。
「水……そうだ、水! 水を持ってこい!」
一人が駆け出した。
持ち込まれた水を飲ませようにも、マリアは動くことさえできずにいた。
持っていたハンカチに水を含ませ、唇を拭いてやると、割れた唇から血がにじんだ。
執事と一緒に駆け込んできた王宮医が一瞬立ち竦んだが、すぐに我に返りマリアの横に蹲るアレンを突き飛ばしてマリアの顔に自分の頬を近づけた。
「まだ息がある」
のろのろと立ち上がり、再びマリアの手を握るアレン。
医者は容赦なく草木染のワンピースを切り裂いて、マリアの胸をあらわにした。
肋骨はもとより、胸骨までもが浮き上がるその体に張り付いている皮膚は黒い。
剣状突起が異様なほど目立ち、これが人の胸部だということを主張していた。
「なぜ?」
「静かにしろ。それはこちらが聞きたいことだ」
その時、アレンの頬を温かいものが掠め、部屋の中が少し明るくなったような気がした。
「おい! しっかりしろ! 逝くな! 戻れ!」
医者の叫び声の中、アレンの手の中でマリアの指先がぴくっと動いた。
医者が閉じたマリアの目を開いて瞳孔を確認し、アレンの方に向き直った。
「王宮に連れて行って詳しく調べる。ことと次第によっては覚悟した方がいい。これは間違いなく殺人だ」
アレンは医者の言葉に何の反応も示さなかった。
呆然とするアレンの横で、医師が指示を出してブロウ侯爵邸の使用人全員が拘束された。
ルーナも例外ではなく、次々に馬車に乗せられ連れて行かれる。
行先は王宮。
駆け込んだブロウ家執事が持参した家紋メダルを見た宰相の指示だった。
「一人に一人ずつ警備をつけて私語を禁じろ。口裏を合わせられないようにするんだ。自死にも気をつけろ。それとエヴァンスを呼んで来い」
遅れて駆けつけたロナルド公爵はアレンの肩を掴んだ。
「マリア嬢は医師に委ねる。死因を特定しなくてはならんからな。お前は私と来い」
アレンは力なく立ち上がった。
いったいどこから間違っていたんだ?
第二王子の女だぞ?
男の僕が近寄らない方が良いと思ったのだが間違っていたのか?
ルーナに任せたのが悪かったのか?
そうだ……ルーナはあの女のせいで、僕の正妻になれなかったんだ。
怨んで当然だろう。
では彼女がメイド長を操ったのか?
いや、それは無い。
ルーナはそんな女じゃない。
信じろ!
命を懸けて愛すると誓ったじゃないか!
しかし……
「早くしろ!」
ロナルド公爵の声に、アレンの肩が跳ねた。
聞き覚えのある今のセリフ……。
そうだ、あの言葉は僕が彼女に掛けた唯一の言葉だ。
結婚した教会の前で、僕は確かにそう言った。
婚約者を奪われた令嬢たちが投げつけた卵に戸惑う彼女をゴミのように見たんだ。
真っ赤なブーケを踏みつぶされた時の彼女の顔……。
馬車で身を縮こませ泣くのを我慢していた。
それから全く彼女の姿を見ていないどころか、それ以外の言葉も掛けていない。
全てに蓋をしてルーナとの生活だけを夢見ていたんだ。
「そうか、僕は初手から誤ったんだ」
ロナルド公爵がアレンの肩を掴み、移動を促した。
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