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17 虐め
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結婚式以来、新郎は顔も見せない。
もうここにきて何日が過ぎただろうか……花さえ飾られていない牢獄のような部屋。
この部屋を誰かが訪れるのは、食事を運ぶメイドだけだ。
声が出るようになって、メイドに声を掛けたが無視された。
それでも医者を呼ぶように言ったが、やっぱり来る気配は無かった。
メイドが来る度に医者を要求したが、心から嫌そうな顔を向けられマリアの心は折れた。
動かさなければ痛みは無いが、安静時でも痺れは残っている。
このまま歩けなくなるのではないかという恐怖に駆られたマリアは、言いつけを破り部屋を出た。
壁伝いになんとか階段のところまで行ったが、メイド長に見つかって引き摺って連れ戻された。
引き摺られていた時、傷の内側で変な音がして激痛が走った。
何度も医者を呼んで欲しいと頼んだが、聞き入れてくれる様子は無い。
その翌日から、誰も部屋に来なくなった。
食事は廊下に置かれ、ノックだけして去って行く。
なんとかドアまでたどり着いても外から鍵が掛っていた。
『どこまでバカにするのか!』
マリアは怒りを通り越してバカバカしくなってきた。
外鍵を掛けられた翌日、食事に手を付けていないことがわかったメイドが、文句を言おうとでもしたのかドアをガチャガチャやっていた。
静かになってしばらくすると、外鍵が外れる音がした。
顔を出したのはメイド長だった。
「あなたが逃げないようにするために鍵をつけたことを失念しておりました。まあ、1日くらい食事を抜いても大したことないでしょう? だって何もしていないのだから。食事は今まで通り1日2回運びます。ドアをノックしたらすぐに扉のところに来てください」
マリアが口を開いた。
「すぐに来いと言われても、足を怪我しているから動けません。医者を呼んでくれと何度も言いましたよね」
「あら、そうですか?奥様にお伺いしておきます」
奥様は私ではないか! とマリアは思ったが口を噤んだ。
「お願いします。それと食事は部屋の中に運んでください。私は歩けないのです!」
「まあ! なんと高飛車な」
メイド長とメイドが去って行き、再び静寂が戻る。
あまりにも静かすぎて耳の奥で羽虫が飛んでいるような音がする。
マリアはベッドに座り、痛む足を擦りながら窓の外を見ていた。
夕食だろうか、カタンと音がしてドアがノックされた。
ここまで来たのだから、食事を運び入れてくれればいいのにと思ったが、床に置かれたままだった。
すでにスープはこぼれ、固いパンにしみ込んでいる。
「ああ、こうすれば柔らかくなるんだわ。はははははは」
マリアはもう笑うしかなかった。
それからも、相変わらず医者は来ず、食事はドアの隙間から床に置かれる状態は続いた。
ただ一つ、変化があったと言えばランドリーメイドが来たことだ。
嫁いだ日から風呂も不浄も掃除をされないまま、廊下にまで悪臭が漂ったのだろう。
ある日、男の使用人が数人きて掃除をしていった。
ベッドの上のマリアは大きなリネン生地で隠されていて、使用人はそこにマリアがいる事にも気づいてない。
掃除が終わり、覆われていた布が取り払われると、自分で服を脱ぎ浴室に向かう。
風呂桶に張られた湯に体を浸すと、体中に小さな泡がみっしりと付いていた。
カチカチになった石鹼をハンカチに擦り付け、ごしごし洗うと、湯の表面に粉のようなものが浮く。
それを腕で脇に寄せながら、マリアは体を洗い続けた。
よほど臭かったのだろう。
あれから一週間に一度は使用人たちが掃除に入った。
そのたびに姿を隠されるが、それを受け入れないと掃除をしないと言われた。
マリアにとって一週間に一度の入浴は貴重だ。
入浴の度にランドリーメイドが脱いだ衣類を持っていく。
翌日にはきれいに洗濯したものを部屋に持ってきてくれるのだが、着替えを2枚しか持っていないマリアは、それを交互に着ることになる。
ある日、洗いあがった洗濯ものを持ってきたランドリーメイドが、珍しく口をきいた。
「お客様の衣類を洗っている時に、少し強く擦り過ぎて破れてしまいました。メイド長に報告しましたが……お客様のためのお金は無いと……申し訳ございませんが、これは私が着ていたものです。これで我慢していただけませんか」
マリアの前に差し出されたのは、どこか懐かしい草木染のワンピースだった。
「これを私に?」
「粗末なもので申し訳ございませんが……これしか持っていないのです」
「これを渡してしまうとあなたが困るのではないの?」
「実家に頼んでまた送ってもらいますので。それに私にはお仕着せもございますから」
「もしかして……あなたはカリアナの出身?」
「はい、そうです」
「まあ、やっぱり。この草木染には覚えがあったのよ」
「カリアナをご存じなのですか?」
その時に全てを明かしてこの家の主に伝えてもらえば、運命は変わっていたかもしれないが、マリアは唐突に思い出してしまった。
『名前以外は口にしてはいけない』
呪縛のようなその言葉が、脳内で響く。
「ええ、少しだけ。素敵な色ね」
これくらいなら良いだろうと、マリアは思った。
「そうですか! 私もこの草木染大好きなんです」
「そうなの。私も大好きよ」
その時、ドアがノックされていつものように食事が床に置かれた。
近頃では顔も覗かせないメイドは、中にマリア以外の人間がいることに気づきもしない。
鍵が外されているのに気づかないとは、よっぽど興味が無いのだろう。
ランドリーメイドは、客人に対するその扱いに啞然としていた。
「いつも……こうなのですか?」
「ええ、初日からずっとそうよ」
「そんな……。奥様はご存じなのでしょうか」
「私にはわからないわ。そもそも奥様ってどなた?」
「ルーナ様です。とてもお美しい方で、ご主人様とご結婚されてふた月と聞いています。とても仲睦まじいそうですが、ご主人様は長期の出張でご不在でしたからお寂しそうで……。でももうすぐお戻りになるそうですよ」
「……そう。それは……嬉しいでしょうね……ご主人様は長期の出張だったの」
「ええ、そう伺っております。結婚してすぐに出張を言いつけるなんて酷いですよね。でも屋敷中がお二人の結婚を喜んでいます。使用人も増えて、私もお仕事をいただけたのです」
「そうなの。ふた月経ったの……。あとひと月で終わるのね」
「……お客様? もしかしてご病気なのですか? お顔の色が……」
「いいえ、何でもないの。申し訳ないのだけれど、私は足を痛めていてね、あのトレイをこっちに持ってきてくれないかしら」
「はい、畏まりました」
ランドリーメイドは床に置かれた食事をテーブルに運んだ。
「これって……」
「ずっと同じメニューよ」
「えっ!」
「固いパンだから、スープの中にひたしておくの。でもすぐに皿を下げに来るから……」
「お客様、奥様はとてもお優しい方です。私からこの状況をお話ししておきますね」
「そう? ありがたいけれど、あなたが怒られないようにしてちょうだいね」
ランドリーメイドは草木染のワンピースを置いて去って行った。
その娘が本当に奥様という人に言うかどうかはわからないが、マリアはもうどうでも良いと思っていた。
「あとひと月よ。あと30回朝を迎えたらカリアナへ帰れるんだわ」
この屋敷に来て初めて、マリアの心がほんの少し温かくなった。
もうここにきて何日が過ぎただろうか……花さえ飾られていない牢獄のような部屋。
この部屋を誰かが訪れるのは、食事を運ぶメイドだけだ。
声が出るようになって、メイドに声を掛けたが無視された。
それでも医者を呼ぶように言ったが、やっぱり来る気配は無かった。
メイドが来る度に医者を要求したが、心から嫌そうな顔を向けられマリアの心は折れた。
動かさなければ痛みは無いが、安静時でも痺れは残っている。
このまま歩けなくなるのではないかという恐怖に駆られたマリアは、言いつけを破り部屋を出た。
壁伝いになんとか階段のところまで行ったが、メイド長に見つかって引き摺って連れ戻された。
引き摺られていた時、傷の内側で変な音がして激痛が走った。
何度も医者を呼んで欲しいと頼んだが、聞き入れてくれる様子は無い。
その翌日から、誰も部屋に来なくなった。
食事は廊下に置かれ、ノックだけして去って行く。
なんとかドアまでたどり着いても外から鍵が掛っていた。
『どこまでバカにするのか!』
マリアは怒りを通り越してバカバカしくなってきた。
外鍵を掛けられた翌日、食事に手を付けていないことがわかったメイドが、文句を言おうとでもしたのかドアをガチャガチャやっていた。
静かになってしばらくすると、外鍵が外れる音がした。
顔を出したのはメイド長だった。
「あなたが逃げないようにするために鍵をつけたことを失念しておりました。まあ、1日くらい食事を抜いても大したことないでしょう? だって何もしていないのだから。食事は今まで通り1日2回運びます。ドアをノックしたらすぐに扉のところに来てください」
マリアが口を開いた。
「すぐに来いと言われても、足を怪我しているから動けません。医者を呼んでくれと何度も言いましたよね」
「あら、そうですか?奥様にお伺いしておきます」
奥様は私ではないか! とマリアは思ったが口を噤んだ。
「お願いします。それと食事は部屋の中に運んでください。私は歩けないのです!」
「まあ! なんと高飛車な」
メイド長とメイドが去って行き、再び静寂が戻る。
あまりにも静かすぎて耳の奥で羽虫が飛んでいるような音がする。
マリアはベッドに座り、痛む足を擦りながら窓の外を見ていた。
夕食だろうか、カタンと音がしてドアがノックされた。
ここまで来たのだから、食事を運び入れてくれればいいのにと思ったが、床に置かれたままだった。
すでにスープはこぼれ、固いパンにしみ込んでいる。
「ああ、こうすれば柔らかくなるんだわ。はははははは」
マリアはもう笑うしかなかった。
それからも、相変わらず医者は来ず、食事はドアの隙間から床に置かれる状態は続いた。
ただ一つ、変化があったと言えばランドリーメイドが来たことだ。
嫁いだ日から風呂も不浄も掃除をされないまま、廊下にまで悪臭が漂ったのだろう。
ある日、男の使用人が数人きて掃除をしていった。
ベッドの上のマリアは大きなリネン生地で隠されていて、使用人はそこにマリアがいる事にも気づいてない。
掃除が終わり、覆われていた布が取り払われると、自分で服を脱ぎ浴室に向かう。
風呂桶に張られた湯に体を浸すと、体中に小さな泡がみっしりと付いていた。
カチカチになった石鹼をハンカチに擦り付け、ごしごし洗うと、湯の表面に粉のようなものが浮く。
それを腕で脇に寄せながら、マリアは体を洗い続けた。
よほど臭かったのだろう。
あれから一週間に一度は使用人たちが掃除に入った。
そのたびに姿を隠されるが、それを受け入れないと掃除をしないと言われた。
マリアにとって一週間に一度の入浴は貴重だ。
入浴の度にランドリーメイドが脱いだ衣類を持っていく。
翌日にはきれいに洗濯したものを部屋に持ってきてくれるのだが、着替えを2枚しか持っていないマリアは、それを交互に着ることになる。
ある日、洗いあがった洗濯ものを持ってきたランドリーメイドが、珍しく口をきいた。
「お客様の衣類を洗っている時に、少し強く擦り過ぎて破れてしまいました。メイド長に報告しましたが……お客様のためのお金は無いと……申し訳ございませんが、これは私が着ていたものです。これで我慢していただけませんか」
マリアの前に差し出されたのは、どこか懐かしい草木染のワンピースだった。
「これを私に?」
「粗末なもので申し訳ございませんが……これしか持っていないのです」
「これを渡してしまうとあなたが困るのではないの?」
「実家に頼んでまた送ってもらいますので。それに私にはお仕着せもございますから」
「もしかして……あなたはカリアナの出身?」
「はい、そうです」
「まあ、やっぱり。この草木染には覚えがあったのよ」
「カリアナをご存じなのですか?」
その時に全てを明かしてこの家の主に伝えてもらえば、運命は変わっていたかもしれないが、マリアは唐突に思い出してしまった。
『名前以外は口にしてはいけない』
呪縛のようなその言葉が、脳内で響く。
「ええ、少しだけ。素敵な色ね」
これくらいなら良いだろうと、マリアは思った。
「そうですか! 私もこの草木染大好きなんです」
「そうなの。私も大好きよ」
その時、ドアがノックされていつものように食事が床に置かれた。
近頃では顔も覗かせないメイドは、中にマリア以外の人間がいることに気づきもしない。
鍵が外されているのに気づかないとは、よっぽど興味が無いのだろう。
ランドリーメイドは、客人に対するその扱いに啞然としていた。
「いつも……こうなのですか?」
「ええ、初日からずっとそうよ」
「そんな……。奥様はご存じなのでしょうか」
「私にはわからないわ。そもそも奥様ってどなた?」
「ルーナ様です。とてもお美しい方で、ご主人様とご結婚されてふた月と聞いています。とても仲睦まじいそうですが、ご主人様は長期の出張でご不在でしたからお寂しそうで……。でももうすぐお戻りになるそうですよ」
「……そう。それは……嬉しいでしょうね……ご主人様は長期の出張だったの」
「ええ、そう伺っております。結婚してすぐに出張を言いつけるなんて酷いですよね。でも屋敷中がお二人の結婚を喜んでいます。使用人も増えて、私もお仕事をいただけたのです」
「そうなの。ふた月経ったの……。あとひと月で終わるのね」
「……お客様? もしかしてご病気なのですか? お顔の色が……」
「いいえ、何でもないの。申し訳ないのだけれど、私は足を痛めていてね、あのトレイをこっちに持ってきてくれないかしら」
「はい、畏まりました」
ランドリーメイドは床に置かれた食事をテーブルに運んだ。
「これって……」
「ずっと同じメニューよ」
「えっ!」
「固いパンだから、スープの中にひたしておくの。でもすぐに皿を下げに来るから……」
「お客様、奥様はとてもお優しい方です。私からこの状況をお話ししておきますね」
「そう? ありがたいけれど、あなたが怒られないようにしてちょうだいね」
ランドリーメイドは草木染のワンピースを置いて去って行った。
その娘が本当に奥様という人に言うかどうかはわからないが、マリアはもうどうでも良いと思っていた。
「あとひと月よ。あと30回朝を迎えたらカリアナへ帰れるんだわ」
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